魔王さま、今度はドラゴンです!

通木遼平

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第二章 妃選び

32.休暇

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 透き通った青空はどこまでも高く遠くまで広がっている。中庭の物干しロープには真っ白なシーツのカーテンがかかり少し強い日差しをやわらげ、その周囲を駆け回る子どもたちの声が響いていた。空っぽになった洗濯かごを足元に、大きく伸びをする。背後から名前を呼ばれてミモザはかごを抱えると振り返りながら大きな声で返事をした。



 今日も一日がはじまる。





***





 “蛇の巣”と呼ばれるその地上三階地下三階の建物は、中枢区にある医務官たちが勤める医療棟だ。ザルガンドの各地から集った医務官たちは皆、地下に個別の研究室を持ち、それぞれの専門分野の研究を主な業務としている。が、当然医者としての仕事もし、中枢区だけでなく必要に応じて王都内外問わず医者を必要とする場所へ派遣されることもあった。

 建物内は薬のものなのか独特の臭いが漂っている。どこかよそよそしい静けさが蛇の巣を満たし、中枢区内でも異質の雰囲気をまとっていた。もっともこの臭いだけで鼻がいいシトロンは蛇の巣があまり得意ではなかった。今日も魔法で多少マシにしている。いつもより鼻が利かないのも不便だが、背に腹は代えられない。

 地上の階はごく一般的な病院と似たような造りになっていて、入院患者は二階と三階の病室にいる。入り口を入ってすぐのところにある受付には無愛想な魔族が一人座って分厚い医学書を眺めていた。声をかけると明らかに面倒くさそうな顔をしたが、シトロンは大して気にも留めなかった。受付や外来は持ち回りらしく、他人と接することを苦手とする者も必ず当番が回ってくるので嫌でも務めなければならないのでこういう態度を取る医務官は少なくないからだ。

「入院患者の見舞いに来たんだが」

 三日ほど前にここに運び込まれ入院したミモザを見舞いに来るのは二回目だ。本当は毎日でも顔を見に来たかったが、忙しく中々来ることができなかった。手ぶらなのはやっとできた隙間の時間に急いでここにやって来たからだ。

「じゃあここに名前を書いて」

 陰気な声で受付係がぐいっとよれよれの紙とペンを押し出した。ミモザと仲のいいティンクやアンナベルの名前が並んでいる下にシトロンはあまりうまくない文字で名前を書いた。

「おや、陛下のところの坊主じゃないか」

 ちょうど書き終えて顔を上げると奥から白衣を着た老医師がやって来たところだった。この蛇の巣の長であるペルルカランだ。古くからここで働いている医務官で、鋭い目は更に細められシトロンに向けられている。その右目は白目の中に二つの黒目部分が存在していた。

「坊主はやめてくれっていつも言ってるだろ……もうここに来たばかりの時みたいな子どもじゃないんだ」
「こちらからしたらいつまでも子どもさ」

 フッとペルルカランが鼻で笑った。この蛇の巣の長より年上の魔族はこの王都には確かに少ないかもしれないが……シトロンは不満そうに眉をひそめた。

「それで? 見たところ健康そのものだけど今日は何のようだい?」
「……ミモザの見舞いに」
「ミモザ? ああ、三日前陛下が血相変えて運び込んだドラゴンのお嬢ちゃんか」

 “白い庭”で意識を失ったミモザを抱えてこの蛇の巣まで連れてきたのはガーディア自身だった。

 ミモザが目の前で倒れると、ガーディアの意識の中にもうフィアレンセの存在はなく、彼はすぐにミモザを蛇の巣へと連れてきたのだ。今まで何度も目にしてきた、彼女の死が脳裏に浮かんだが腕の中のミモザは痛みにうめくことはあってもその体温を失うこともなく、蛇の巣に着く頃にはなんとかペルルカランを呼び出せるくらいには冷静になっていた。

 もっとも、ペルルカランの目から見てガーディアはめったに見られないほど蒼白だったし、思わず何か異変が起きていないか外を確かめてしまうほどには動揺していたのだが。

「あのお嬢ちゃんならもう退院したよ」

 何でもないようにペルルカランは言った。

「……えっ?」
「退院したから、ここにはいない」
「た、退院? だけど、入院してからまだそんなに日が――それに、陛下から受けた傷だったのに」

 シトロンはあの日、ペルルカランに呼び出されてガーディアを蛇の巣に迎えに行き、そこで彼の口から“白い庭”で起きたことを――だいぶ主観混じりだったが――聞いた。当然、彼はガーディアを責めたがこれ以上ガーディアが落ち込んでは何が起きるかわからないとペルルカランが仲裁したのだ。その後、ガーディアはまた星宮せいぐうの私室に引きこもってしまって今日まで一度も顔を合わせていない。
 その時ミモザの傷の状態もこの蛇の巣の長から説明を受けたのだが、もっと退院まで時間がかかると聞いていた。それなのに、もう退院……?

「こっちも驚いたけどね。さすがはドラゴンと言ったところさ。宝石竜っていうのははじめて診たが、どうもドラゴンの中でも特に表皮が硬い一種みたいだね」
「だからって……」
「問題あったら退院なんかさせやしないよ。さあ、こっちも忙しいんだ。帰った帰った」

 しっしっと犬でも追い払うように手を振られ、シトロンは仕方なく蛇の巣を後にした。





 さすがに働いてはいないだろうと思い、シトロンはそのままパランティアの執務室へ向かった。寮の部屋で休んでいるのかもしれないが勝手に訪ねるわけにはいかないし、訪ねたら訪ねたでシトロンは目立ちすぎる。ただでさえ妃候補になって余計なやっかみを受けているのに更に迷惑をかけてしまいそうだ。



 せめてどんな具合なのかわかればいいのだが……。



「ミモザなら寮にはいませんよ」

 執務室で書類仕事をしていたパランティアにミモザの様子をたずねると、何でもないようにそう言われてシトロンは思わず聞き返していた。

「昨日から休みを取って帰宅しています」
「帰宅?」

 いや、それよりも昨日には退院していたということになる。あのケガで? シトロンは眉根を寄せた。ペルルカランはああ言っていたが無理をしているのではないか不安になる。そんな彼の心境を読み取ったのかパランティアはどこかあきれたような視線をシトロンへ向けた。

「そんな顔をしなくても無理そうなら止めています。ドラゴンという種族は我々が思うよりも丈夫なんですよ」
「でも……」
「心配なら時間を見つけて様子を見に行ったらどうです?」

 それもそうだとうなずいて、ふと気がついた。

「彼女はアルディモアからザルガンドに来たんだろ? 帰宅ってアルディモアに?」
「生まれはアルディモアのようですが、ここで働きはじめる前は第二区に住んでいたと採用時の書類にあります。たしか――」

 引き出しから取り出したファイルには使用人たちの情報が書かれた書類がまとめられていた。

「ああ、蘭の館ですね」
「は?」

 シトロンはぽかんとした。

「第二区にある花街の――」
「それは知ってる。あ、いや……そうじゃなくて」

 口ごもるシトロンに対してパランティアの態度は特にいつもと変わらない。

「蘭の館で住み込みで働いていたようですね」





***





 荷物のつまった旅行鞄を両手で持ち、緊張した面持ちでアンナベルとティンクはその店の前に立っていた。昼間だというのに通りに人影は少ない――なぜならここは、夜にこそ活気あふれるこの名も無き王都の花街だからだ。

 当然、アンナベルもティンクもそんな場所に来たことはなかった――女性向けの店も存在するのは知っていたが。

 目の前にある白い壁の美しい建物は壁にかぐわしい蘭の花が描かれている。水瓶を持った下半身が蛇の美貌の女性の彫刻があり、その下半身は柱に絡みついていた。二人は顔を見合わせ、意を決して誰かの気配がある店内へと踏み込んだ。ベルが鳴り、掃除をしていた数名の従業員の顔が一斉に振り返った。

 扉を開けてすぐは広々とした空間になっている。もっとも、隅の方に机と椅子が積まれていたので普段はそれらがこの空間をもっと狭くしているのだろう。奥にカウンターも見え、ここが酒場の役割を果たしているのがひと目でよくわかった。

「お客さん……じゃないね」

 一番近くにいた、若い男が首を傾げた。

「あの、ミモザはいますか?」
「ミモザ? あっ、中枢区に働きに出た子だっけ?」

 ティンクがたずねると、男は反対方向に一度首を傾げはしたが「ちょっと待ってて」と店の奥にあるカウンターで書き物をしている男性の方へと向かった。

 ねじ曲がった二本の角は翡翠に似ている。色素が薄い髪も似た色をしていて、伸ばされた襟足は無造作に一つにまとめられていた。少しなで肩で、気が弱そうにも見えるが整った顔立ちをしている――カウンターから立ち上がって二人の前に立った男性は「こんにちは」と静かな声であいさつをした。

「ミモザの友だちだね? 話は聞いてるよ。案内するからついておいで」

 男はクヴィストと名乗った。蘭の館で裏方の事務仕事や用心棒のようなことをやって働いているらしい。「友だちが来ると言ってミモザはとても楽しみにしていたよ」と話すクヴィストはどこまでも穏やかな春風のようで、その灰色の瞳はやさしく細められていた。

「あの、ミモザのケガの具合はどうなんですか?」

 アンナベルはたずねた。

 ミモザが“白い庭”でケガを負い、蛇の巣に運ばれたことをミモザと親しい二人はすぐに知らされた。当然駆け付けたし、ケガの割にミモザが元気そうで安心はしたが心配も大きかった。それからミモザはすぐに退院し、しばらく休みを取って療養も兼ねて帰宅することを決め、二人にもよかったら遊びに来て欲しいと言ってくれたので実現することにしたのだ。

 もちろん、ミモザが使用人として働きはじめる前は花街の蘭の館にいたことは知っていたし、遊びに行くとなれば普段なら縁のない花街に行くことになる緊張もあったが、ケガをしたせいかどこか落ち込んでいるようにも見えたミモザが心配で、行かないという選択肢を採ることは二人にはできなかった。

「大丈夫だよ。ドラゴンというのは人の姿をしている時も案外丈夫にできているんだ。増してミモザは宝石竜だからね」

 クヴィストもドラゴンなのだろうか? アンナベルはふと思った。このザルガンドにドラゴンはほとんどいないと聞くが、顔立ちも整っているし、そうなのかもしれない。魔族の中でもエルフとドラゴンは特に容姿が優れている。ミモザやガーディア、それにこのクヴィストも十人いたら少なくとも九人は振り返るような顔をしていた。



 建物を突っ切って中庭に出ると、中庭を挟んだところに別の建物があった。クヴィストは二人を案内しながら、娼婦や男娼、クヴィストをはじめ住み込みで働く従業員はそのもう一方の建物――“家”に住んでいるのだと教えてくれた。二人が最初に話をした若い男は通いの従業員らしい、
 天気は良く、中庭には大量のシーツを含めた洗濯物が干されていて、その間を子どもたちが笑い声を上げながら走り回っている。そのシーツの波の中に見覚えのあるグラデーションを見つけると同時に先導していたクヴィストが「ミモザ」とやさしくその名を呼んだ。

 振り返ったミモザは、アンナベルとティンクの姿を見つけるとぱっと明るい笑顔を浮かべた。洗濯かごを抱えて駆け寄ってくる姿は元気そうだ。

「アンナベル、ティンク、いらっしゃい!」

 二人を案内してくれたクヴィストにお礼を言って、ミモザは早速二人を“家”に案内した。荷物が多くどこかごみごみとした印象のある廊下と通って軋んだ音のする階段を上った二階の部屋は普段は空き部屋で、荷物を保管したりプライベートの客を泊めたりするのに使っている。ミモザは相部屋だったので、アンナベルとティンクが遊びに来るにあたってこの部屋を使わせてもらうことにしたのだ。
 マットレスと毛布などの寝具とローテーブル、いくつかの年季が入ったクッション、水差しとグラスが用意されている。荷物をほどきながらくつろいでいる間に、ミモザがお茶を持ってきてくれた。

「そんなに気を遣わなくても……」
「そうよ、ケガはいいの? 無理しないでよ」
「心配しなくてももう大丈夫だから」

 苦笑いを浮かべてミモザは答えた。

「これでも結構丈夫だし」
「それで、ケガの原因はなんだったの?」

 理由をはっきりとは聞いていなかった。わかっているのは“白い庭”でケガをしたこと、その場にガーディアとフィアレンセがいたことくらいだ。

「“白い庭”にフィアレンセがいたの。それで――わたしの姿になってたの」

 ティンクとアンナベルが目を見開いた。ミモザは少し言葉を選びながら“白い庭”でフィアレンセとの間に起きたことを説明した。

「追いつめられたフィアレンセがわたしに矛先を向けてきたから陛下がフィアレンセを攻撃しようとして……それを庇った時にケガしたの」
「庇ったの? どうして?」

 ティンクが目を丸くした。

「……陛下の攻撃はちょっとやりすぎかなって」

 ミモザは困ったように眉を下げた。

「彼女はどうしてる?」

 蛇の巣に入院し、退院した後すぐに休暇を取って蘭の館に入ったためその後のことは聞いていない。

「フィアレンセさんは妃候補を辞退されて、静かの森に帰りました」
「えっ」
「わたしも顔を合わせてなくて……父に聞いたのですが詳細はちょっとわからなくて」
「そう……」

 ふっと視線を伏せ、ミモザは「……陛下は?」とつづけてたずねたが、さすがにガーディアがどうしているのかまではアンナベルもわからなかった。妃選びの茶会もなく――あってもガーディアが出席するとは思えないが――顔を合わせる機会がなかったからだ。

「それで、ミモザは?」

 空気が少し沈んだのを感じたのか、気を取り直すようにティンクが口を開いた。

「どうして急に休みなんて取ったの? 療養にしても、ケガはもうほとんどいいっていうなら」

 あぐらをかいてのぞき込むようにミモザを見るティンクの瞳にはちょっとおせっかいな色が浮かんでいたが、ミモザはどう答えたらいいのかわからなかった。


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