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第三章 同胞喰
64.襲撃
しおりを挟む先日リリアナが見つけた古い地図と現代の地図を並べ、位置関係を確かめるようにマリエルはその地形の一つ一つを指先でたどっていた。調べものをするとき、よくこうして手触りを確かめるように紙を指先でたどるのが癖で、指先が荒れやすくなるからやめるようにとよく侍女には注意される。
今はもうない国の名も、現代の地図と比べるとそれを由来としていると思われる地名が見つかる。森の境界が変わるのは開拓の歴史を思わせるし、あるいは逆に森が広がれば自然の力に思いをはせた。
ただ、どの次代の地図を見比べても、どんな文献を調べても星明けの山脈の存在は突然現れる。まるで荒地とこの暗闇の森を分断するように――山脈の向こう側との交流はなく、そこにあるという荒地をマリエルは見たことがなかった――星明けの山脈はどうしてできたのだろう? リリアナと話した時に出てきた、魔物が山になった民話はやはり本当にあったことなのだろうか? このザルガンドにいると、おとぎ話の何もかも実話だったように思えてくる。
思いをはせるように、マリエルは目の前に広がった古い地図をやさしく手のひらで撫でた。唯一、この暗闇の森だけが現代の地図と同じように広がっていたが、森を示す木々を描き忘れていたように一部がぽつんと空白になり、そこにはほとんど消えかかった“星の涙”の花の絵が代わりのように描かれていた。
***
小蜘蛛探しが忙しいからか、ベレナングレンと行動を共にする時間が多いせいか、この頃はミモザが“白い庭”の掃除に来てもガーディアが姿を現すことがほとんどなかった。来てもほんの少し言葉をかわすだけで、すぐにどこかに行ってしまう。
乾いた風が季節に問わず花を咲かせる“星の涙”を揺らしていた。どこか寒々しい雰囲気が庭全体を包んでいる気がするのは、決して季節のせいだけではないだろう。
見上げた白い霊廟も、いつも以上に静寂に包まれている。
同胞喰のことをミモザも個人的に調べてみた。ドラゴンとしてはまだ若いミモザにとって魔族特有の風習は、特にそれが今は失われたものであれば、知らないことが多い。調べたところによれば同胞喰が盛んだったのは他でもないドラゴンで、およそ千年前からの数百年間が顕著だったようだ。
その理由ははっきりとしていて、星影の竜であるガーディアに挑むため力をつけようとするドラゴンが後を絶たなかったためだった。星影の竜になる前のガーディアは人間はもちろん同族からも恐れ嫌われていたから、彼がドラゴンたちの王となったことに納得できない者も多かったのだろう。
廃れた理由も単純で、同胞喰までして力をつけても誰もガーディアに敵わなかったからだ。誰もが星影の竜の座を諦めると同時に同胞喰の風習も廃れていき、今はもう忘れられたものとなった。他の種族に関しても、やはり種族内の争いを理由に同胞喰が行われることが多かったようだが、ザルガンドが建国されたことで自然と消えていったのだった。
本当に同胞喰をした者がいたとして、その目的はなんなのだろう? それに――それに、もし魔族の行方不明事件と同胞喰が関係していたら……しかしミモザが母と共に入れられたあの娼館でも魔族はいなくなっていた。今もそれはつづいているようだが、ミモザがあそこにいたのはもう十数年前になる。魔族にとってはそれほど長くない年月だが、あの娼館だけでもいなくなった数はそれなりのはずだ。そんなに喰われているとは考えにくい。
同胞喰と行方不明事件は繋がっていないと考えた方が無難だったが、ミモザはなんとなく不安な気持ちをぬぐい去ることができなかった。
今日もガーディアは姿を現さず、ミモザは“星の涙”をひと握り分ほど摘んで持ってきていた小さなカゴに入れると、そっと“白い庭”を後にした。
“星の涙”は薬草としても使えるので、草花が少しずつ姿を消す時期になって来たことから、医療棟がゆずってくれないかとシトロンやミモザに頼んできた。さすがに大量には無理だがガーディアから許可もおり、こうして足を運ぶたびに少しずつ摘んで医療棟に持っていくようにしている。
“白い庭”から一歩外に出ると、どこか空気が重く感じられる。この漂う小蜘蛛の臭いのせいだろうか? ほんの少し眉根を寄せ、ミモザはのんびり歩きながらカゴに入った“星の涙”に鼻を寄せた。その香りが鼻先にある間は、あの悪臭もどこかに行ってしまうような気がした。
できる限りその香りをこぼさないようにゆっくりと顔を上げると、たおやかな光が吸い込まれるようにして美しい金色の髪に注がれているのがミモザの目に止まった。リリアナだ。
散歩でもしていたのか、侍女や護衛を引き連れ、温かそうな毛皮の上着を羽織っている、彼女もこちらに気づいたのか、ハッとしたように瞳を瞬かせ、それからどこか気まずそうな色をその涼やかな瞳に映し出した。
「こんなところで何をしているのですか?」
軽く会釈して通り過ぎようとしたミモザに思わぬ声がかけられた。少し驚いてリリアナを見ると、彼女は自分が口にした言葉にますます気まずそうにしていた。ミモザが使用人なのはリリアナもよく知っているし、今のミモザはその制服姿だ。仕事をしていたと思うのが普通だろう。
「これから医療棟に届け物をするところで……」
「その花ですか?」
「はい」
「そう……」
「……」
「……」
リリアナの表情と同じものをミモザも浮かべた。このまま適当に通り過ぎてしまえばいいのだろうが、気まずそうにする割にリリアナの視線はミモザを見つめ、何か言いたげな雰囲気さえしている。さすがにそれに気づいてしまっては無視して通り過ぎることもできなかった。せめて侍女たちがリリアナに先に行くよう促してくれればいいのだが、今のところその気配はない。
「……最近、陛下とお会いしましたか?」
「えっ?」
「いえ……その……」
珍しく口ごもったリリアナに首をかしげながらも「妃選びが行われないことを気にしているのですか?」と助け舟を出すようにミモザはたずねた。
「え、ええ――それに、あなたは個人的に陛下と親しいと耳にしたので……」
ミモザが選ばれるという噂を耳にしたのだろうか? 苦笑いが浮かび、どう答えていいかわからずに「そんなことはないですよ」とミモザは取り繕った。
「ベレナングレン様が戻ってきて、陛下は忙しそうなので――」
「リリアナ王女殿下!」と遮るように聞こえた声と足音にミモザは振り返った。大柄の、軍服姿の男がこちらに向かってきたところだった。耳などを見るに魔獣族だろう。左側の眉尻に大きな傷がある、見るからに強面な男だった。
「お探ししました! すぐにお部屋にお戻りを――」
「待て」
促すように手を差し出した強面の男を制したのはリリアナの傍に控えていた護衛の一人だった。ザルガンドからつけた護衛で、眉をひそめて強面の男に厳しい視線を向けていた。
「まず名前と所属を言え。見るに、妃選び関係の仕事をする立場ではないだろう?」
制服を細かく見れば軍部の所属などはある程度わかる。妃候補たちは各国の王族や貴族なので軍部の中でも護衛の選別には気を遣っていた。護衛期間も長引き、この仕事についているものはお互いに把握している。何か急な言付けがあったとしても、その日の担当者が知らない者に頼むことはまずなかった。こうして今更見たこともない同僚が突然現れるなんてありえない。
ミモザのすぐ傍でリリアナに手を差し出していた強面の男が大きく舌打ちしたのが聞こえた。刹那、振り上げられた太い腕が大きく振り払われると同時に辺りは混乱と警戒の空気に支配された。
「大丈夫ですか?」
土ぼこりが乾いた空気に舞い一気に悪くなった視界の中で、ミモザは咄嗟にリリアナと彼女のすぐ傍に控えていた侍女とをまとめてかばうように細い腕で抱え込んだ。膝をついたリリアナのドレスが汚れてしまったのは大目に見てもらおう……。
「一体、何が……」
護衛たちの剣とならず者の爪がぶつかり合う音がぼんやりとした視界の中でやけにはっきりと響いていた。リリアナが狙われているのなら、妃候補であることが最も考えられる理由だろう――しかし、今更?
もしくは夜会のことで人間に対してよくない感情を抱いた者が行動を起こしたのだろうか? 男は魔獣族のようだった。獣と呼ばれたことに怒りを覚えた魔獣族はあの晩多くいた。それ以外の者に伝わって怒りも伝播した可能性もなくはない。
「逃げた方がいいのでは?」
「でも他に仲間がいるとかえって危険です」
リリアナの侍女、ジュリアの問いかけにミモザは慎重に答えた。この状況に千里眼を持つパランティアが気づくのにそう時間はかからないはずだ。そうなれば軍部の者が駆け付け、一気に状況が収まる可能性が高い。下手に動いて、もしあちらに隠れた仲間がいたら……リリアナの護衛は全員でならず者に対峙している。魔力の高さより、純粋に腕っぷしが強いのと体格差もあるせいだろう。考えなしに暴れる相手にかえって苦戦しているようだった。
リリアナの護衛が少しでもこちらに来てくれればいいが、土煙で見失っている可能性が高い。声を上げたいが相手に見つかってしまうことを考えると悩ましかった。いっそ自分があちらに助けに入ることができればいいが、リリアナたちが無防備になってしまう。
「誰かがこの騒ぎに気付いてくれれば――」
リリアナの視線がもの言いたげにミモザに向けられたのに、ミモザは気がつかなかった。
「見つけたぞ」
背後から聞こえた声にミモザたちは振り返った。土煙の中で暴れている男とは別の、細身の男がいつの間にか三人の真後ろに立っていた。
リリアナを背に庇おうと動いた瞬間、何か見えない力で脳を揺さぶられ、ミモザは自分の体が大きく傾くのを感じた。
「確かこいつも妃候補だったか? 丁度いい――」
意識が遠のく――視界の端で誰かが倒れ、リリアナが聞いたことのないような声でジュリアの名前を呼ぶのが聞こえた気がした。
***
「ミモザがいない?」
ほとんどの使用人が寮に戻った頃、調理場の先輩使用人からティンクは声をかけられた。“白い庭”に掃除に行くと言って出て行ったミモザが、それっきり戻ってきておらず、誰も姿を見ていないというのだ。ティンクは一緒にいた、同期で同じ庭仕事担当のジェンと顔を見合わせた。
「ほら、妃選びで色々と巻き込まれて大変だったみたいだし、また何かあったんじゃないかって心配でさ……」
「たしかにそうですね……」
シトロンかガーディアのところにいる可能性もあるだろうが、何となく不安な気持ちになり、ティンクはジェンと別れてまずパランティアのところへ向かった。彼ならば何か聞いているかもしれないし、最悪千里眼で捜してもらえるかもしれない。
使用人寮の最上階にあるパランティアの自宅に向かえば、ちょうど彼はその入口で娘でもあるスティナと何か真剣に話し込んでいるところだった。パランティアは制服姿のままだったが、スティナは私服でもう休むところだったのだろう。
「ティンク? どうかしましたか?」
入口前の階段を上ってきたティンクに先に気づいたのはこちら側に顔を向けていたスティナの方だった。パランティアに聞きたいことがあると告げると、彼はスティナとの話を中断してティンクへ向き直ってくれた。
「ミモザが“白い庭”に掃除しに行ってから帰ってきてないみたいで……どこにいるか知りませんか?」
「ミモザが?」
パランティアはスティナと顔を見合わせた。二人とも知らない様子に、ティンクは急に不安が大きくなるのを感じた。
「少し待ってください」
それが顔に出ていたのだろうか? そう言って、パランティアはすぐにこの中枢区全体を確認してくれた。が、その結果は芳しくないものだった。
ミモザの姿が、どこにもない――。
「そんな……! まさか、また何かに巻き込まれたんじゃ……!?」
夜会以来、ミモザの身には様々なことが起こっている。ティンクや、今は帰宅しているアンナベルはひと通りのことをミモザ自身から聞いていた。ミモザはドラゴンで、自分たちよりもずっと強い魔族ではあるが、それでも心配になってしまう。
「そうだ! シトロンさまや陛下に捜してもらえるようにお願いできませんか!?」
「……ミモザは妃候補ですが一使用人です。そう簡単にあのお二人に頼むわけにはいきません」
パランティアは静かに言った。
「それに……ここだけの話ですが、問題が起きていてお二人は手が離せません」
「問題?」
「ええ。実は――イシルマリのリリアナ王女と侍女の行方がわからなくなっているのです」
「えっ!?」
「まだ公にはしていませんから、内密にお願いします。私とスティナはこれからその対応に向かわねばなりません――ミモザのことは、できる限り気にかけておきますし、隙があればシトロンに伝えるようにしましょう」
「あ、ありがとうございます……」
ここから立ち去るパランティアのために階段の端に体をずらせば、ちょうど前の前に窓があった。外は暗く、何も見えない。星さえ瞬かない、不気味なほどに静かな夜だった。
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