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オスカー・ローラントの幸福

7.聖ドラグス暦1849年と1853年、トゥーラン

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 この女の子ともっと仲良くなれたらいいのに――オスカーは年齢的にそれを両親に告げる気恥ずかしさが勝ってしまって、その想いを誰にも打ち明けられなかった。八歳の自分が、三歳の女の子と仲良くなりたいなんて、絶対におかしいとオスカーは信じていた。

 だからその後、オスカーはレイチェルと会う機会を得ることはなかった。毎年、年が変わる時にトゥーランの城で行われる夜会にレイチェルの両親が訪れることはあったが、幼い彼女が同伴することはなかったし、かと言ってオスカーや彼の両親が旗手であるメアホルンにわざわざ赴く理由もなかった。





 次にレイチェルを見たのはオスカーが十二歳の時、九月から王都のアーケアネス王立学院に入学するオスカーの、入学祝のガーデンパーティーがトゥーラン城で開かれた時だった。

 昼間のパーティーだったので、夜会にはまだまだ出られない年齢のレイチェルも両親に連れられてトゥーラン城を訪れた。久しぶりに見る彼女はすこやかに成長し七歳になっていて、その愛らしさはきっと将来とても美人になるだろうと、この頃は魔術以外にはさっぱり興味を示さなくなっていたオスカーが胸を高鳴らせるほどだった。
 緩やかに波打つ黒い髪は濡れたように美しく、同じ色の睫毛が縁どった猫のような瞳は退屈そうに伏せられている。ふと、オスカーは違和感を覚えた。彼はとなりに立っていた姉の袖を引いてそっと耳打ちした。

「姉上、先ほどメアホルン伯爵家のレイチェル嬢と挨拶をしていましたよね?」
「ええ、したわ」
「彼女、何かおかしくなかったですか? その――遠目からだとわかりづらいのですが、雰囲気が違う気がして……」
「あなた、よく見ているのね、オスカー」

 姉の言葉には呆れたような響きがあった。

「きっと瞳の色でしょう?」
「えっ?」
「ご両親と相談して、人前に出る時は瞳の色を少し変えているそうよ。わたしたちのお父様やお母様、それにあなた自身は気にしないみたいだけれど、気にする人もいるのよ」
「どういうことです? 何を気にするんです?」
「つまり、穏やかに暮らしたいの――特別な瞳の色を利用しようと悪いことを企んで近づく人もいるでしょう。レイチェルは女の子なのだから尚更ね。もっとも我が家の旗手であるメアホルンにそんな大それた真似する人なんていないでしょうけど……あと、心無いことを言う人もいることだし……あなたはよく知っているでしょうけれど」

 オスカーは姉にだけ、自分が赤ん坊の頃からの記憶を持っていると打ち明けたことがあった。それから、赤ん坊のオスカーを見に来た大人たちが祝いの言葉を述べたのと同じ口で瞳の色が違うのだから不義の子ではないかとささやいていたことも。

 オスカーにも下心のある大人が近づいたことはもちろんあったが、オスカー自身が聡明でそういう大人をかわすのがすでにうまかったのもあり、虹色の瞳を持ちなおかつローラント家の嫡子であるオスカーに近づいたところで彼らの野望にはとても利用できなかったのだ。

 でもレイチェルは違う。なるほどと、オスカーは思った。瞳の色をちょっと誤魔化せば、まさか元が虹色の瞳だと思わないだろう。何しろ稀な色な上、今はオスカーがいるのだ。
 メアホルン伯爵夫妻は娘の瞳の色を知った時点であの三歳の誕生日祝い以外、むやみに娘を人前に出さなかったらしいので領地の外に出てしまえばレイチェルの本当の瞳の色を知る人間はきっとごくわずかだ。
 未だにレイチェルと親しくなりたい気持ちを抱えていたオスカーは、レイチェルが嫌な思いをしなくてすむことにほっとしながら、同時にひどく落ち込んだ。彼女とのつながりが急に断ち切られてしまったようだった。





***   ***





 十六歳になったオスカーは、王立学院の学生ではあったが色々な新しい魔術や魔道具を開発し、祖父に協力してもらってそれを売ることで貯えを増やしていた。祖父はオスカーが生まれる前、爵位を早々に父に譲って隠居という形をとっていたが、商才のある人で若い頃に立ち上げた商会に力を入れて侯爵であった頃より随分儲けている――ローラント家の男性は大抵、貴族らしいとは言いがたい才能とそれを発揮したがる行動力を持っていた。オスカーなら、それは魔術の研究だろう。
 祖父は貯えた私財を領地のために使うことはもちろん、領地や近くの土地の才能ある子どもたちがそれを伸ばしたり発揮したりする機会を与えるために使うことを楽しみにしていた。

 祖父が見知らぬ客人と話しているのを見かけたのは、その年の雨の月、オスカーが偶然週末、トゥーランに帰っていた時のことだった。
 うっかり耳に入った二人の会話から、オスカーはその厳しそうな女性がレイチェルの家庭教師だと知った。どうやらレイチェルの両親はそれほど王立学院に通うことにこだわりがないらしく、レイチェルが学院に行く必要はないと考えているようだった。
 しかしレイチェルは学院で学ぶことを望んでいた。祖父はそのことを知って彼女の家庭教師を呼び色々と話を聞いていたのだ。つまり、必要ならば自分が後押しして彼女を学院へ通わせるようにするために。
 メアホルン伯爵夫妻はレイチェルを心配してそう言っているのだろうと考えたが、伯爵夫妻が考えている以上にレイチェルは魔力が高いはずだ。瞳の色が裏切ることはないのだから。自分の身を守るくらい造作もないだろう。それに学びたいと思っている彼女の才能を埋もれさせるなんて――しかし家庭教師の話で、レイチェルが他の勉強が決して悪くはないが飛びぬけていいわけでもないと聞いた祖父は別の子どもを支援することに決めてしまった。

 家庭教師が帰った後、オスカーはすぐに祖父につめ寄った。

「おじい様!」
「どうした、オスカー。大声をあげて――」

 厳しい視線にオスカーはちょっと肩をすくめただけだった。祖父が跡取りの自分に甘いところがあることを彼はちゃんと知っていた。

「レイチェル・パーシヴァルが学院に行けるように取り計らってくれないのですか?」
「魔術の才能は間違いないだろうが、それ以外が平凡となるとな……お前もわかっていると思うが魔術師団や他の魔術研究所に勤めるには魔術だけできていてもいけないのだから。それにメアホルンは我が家の旗手伯爵家だ。たしかに領地収入はそれほどだが……ひどく貧しいわけではない。それでも両親が学院に行かせる必要はないと思っているのならよほどの理由がない限りわしは後押しはしない」
「それなら僕がします」

 きっぱりとオスカーは言った。

「何?」
「僕が彼女の支援をします。おじい様も知っていると思いますが、僕にも私財というものが十分にありますから」
「お前はまだ学生だ。学生が学生を支援するのか?」
「学生ですが成人してます。それでも問題があるようでしたらもっと年が上の大人のフリをします。やり取りは手紙だけにして学費などの援助だけをするのです。名前も偽名を使います。いけませんか?」

 ダメと言われても勝手にやるが。

「……どうしてそんなにレイチェル嬢を気にかける?」

 不思議な響きが祖父の言葉にはあった。

「どうして……僕はただ、親近感があるんだと思います……瞳の色のことで」
「彼女はお前と違って瞳の色を隠している」
「そうですが、それでも彼女と僕の瞳の色が同じことに変わりありません」

 祖父はまだ何か言いたそうだったが、「好きにしなさい」とだけ言ってオスカーとの会話を終わらせてしまった。

 そこからのオスカーの行動は早かった。彼は適当に考えた名前でレイチェルと彼女の両親宛てに手紙を書いた。
 自分はローラント翁の知人で、彼からレイチェルのことを聞き、彼女が王立学院に入学できないことを知ったのだが、非凡な彼女の才能を活かせないのは惜しいのでご両親には考え直してほしいということ。もし必要ならぜひ学費などを援助させて欲しいということ。他にもパーシヴァル家に有利でオスカー自身の力で実現できそうないくつかの好条件。
 返事はなかなか来なかった。きっと突然知らない男からきた怪しい手紙に戸惑っているのだろうとオスカーは落ち着かない気持ちだったが、しばらくしていい返事がオスカーのもとへやって来た。

 こうしてオスカーは最終学年になり、その年の新入生としてレイチェルが学院に入学してきたのを無事に確認することができた。レイチェルは自分を支援してくれている恩人に対してとても感謝をしているようで、月に一回と決めていた手紙はそれ以上のペースで彼の元へ届けられた。

 残念なことにオスカーはレイチェルと王立学院内で接点を持つことなく卒業し、魔術師団に入団した。レイチェルはいい学院生活を送っているようだ。
 最初に祖父の知人を名乗ったせいなのか彼女は顔も知らない支援者のことをおじ様だと思っているようだが、あまり気にすることはなくオスカーは変わらずに彼女を大切に思っていた。
 レイチェルが友だちとどんなことをして過ごしたとか楽しそうな報告をするたびに嬉しかったし、幾何が苦手で悩んでいるところを知ると愛らしい気持ちでいっぱいになった。

 レイチェルが自分の虹色の奥に幸福を見つけてくれた時以上に、レイチェルからの手紙はオスカーの心を癒してくれていた。


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