謝漣華は誘惑する。

飴谷きなこ

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漆、謝漣華は運ばれる。

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 「俺の弟子に何をしている」

 礼記れいきは猛吹雪のタイガに放り出された気がして、掴んだままの漣華れんげの両腕から手を離して抱き込む。
この人を守らなければ。
そう思ったのもつかの間、礼記は寝台から蹴り落とされた。

「俺の弟子から手ぇ離せ、このクソガキ」

 瑯炎ろうえんはあっと言う間に礼記から漣華を取り戻すと、漣華に視線を戻した。

「おーい。大丈夫か」

 軽くぺちぺちと頬を叩くと、熱に溶けて合わなかった焦点が戻ってくる。

「あ……ろうえん、さま……?」

「おう、俺だ。大丈夫か」

 そう聞きつつ漣華の様子を検分するが、こりゃダメだなと思う。
肌蹴た単衣からは尖り切った乳頭が食べごろだと主張しているし、股間は痛々しく勃ちあがっていて、今にも暴発しそうだ。

 流石にここじゃかわいそうだからなあ。

 よし、と瑯炎は決めた。

「そこのクソガキ。お前、今から休暇申請してこい」

 床に蹴り転がされて口でも切ったのか、口の端を擦っていた礼記はそれを聞いて瑯炎を見る。

「は?」

「は?じゃないんですよ。休暇取って来いって言ったんだ、さっさと行きやがれ」

 再度軽く礼記を長靴でちょいちょいとつつく。

「えっ?いや、なんで?」

 その疑問に瑯炎はめんどくさそうに答える。

「こいつ、このままほっときゃオトコ漁りにふらふら出ていきかねないだろうが」

 礼記は気づいているのかどうか、瑯炎の口調は既に崩れていた。
ぐい、と漣華を親指で指し示す。

「昨日媚薬を盛られたらしくてな。今朝になって効きだしたみたいなんだが、打ち合わせ済ませて戻る前には勝手にヌイて、寝てるだろうと思ったんだがどうもその様子がない。多分これ、効きすぎてる」

 瑯炎は礼記の前にしゃがむと、礼記と目を合わせて言った。

「薬を盛ったヤツはわかってる。だが問題は此奴に耐性がなくて効きすぎてるってこった。抜いてもらうには盛ったヤツに任せるのが手っ取り早いが、今のこいつは俺だけじゃ手に余る」

 それに、と瑯炎は続ける。

「こいつのこんな姿をさらして仮にも内裏だいりの中を歩けないだろうが」

「いや、医官にその薬を分析させて解毒剤を調合させてみては」

 礼記が慌てて反論するが、瑯炎は一蹴いっしゅうした。

「それじゃ間に合わない」

 じろり、と礼記を見るとびくっと居住まいを正した。

「どうせなら、気持ちいい方がいいじゃねぇか。お互いにな」


 しばらくして礼記が急遽きゅうきょ休みを申請し、瑯炎が自分と漣華の休みを申請して処理したところで礼記に何とか着替えさせ、更に敷き布か何かでぐるぐる巻きにした漣華を担がせてさっさと退出していくのを工房の面々は唖然あぜんとして見送っていた。





 瑯炎は取りあえず、何とか衣服を身に着けさせた漣華を馬車の中で横抱きにして膝の上に乗せている。
先ほどまできっちりとぐるぐる巻きにして動けないようにしていた敷き布をわずかに緩め、不安げにその瞳を揺らす漣華が安心できるかのように自らの首にその両腕を掛けさせてやる。

 今朝がた乗ってきた馬車は昨夜の事もあったから、そのまま帰してしまった。
夕刻にはいつも通り迎えに来る予定だったのを工房内の雑務を請け負う下男に小遣いをやって、迎えは無くて構わない、今夜は帰宅しないと伝えさせてある。
それを礼記はうらやましそうに見ながら、瑯炎に声を掛けた。

「行先は?」

「さっき言ったろ、花街だ」

 瑯炎はさっきからやたらと漣華の腰を撫でたり、頬を撫でたかと思うと背中を悪戯めいた顔で撫で上げて、漣華が艶めいた声を上げるのを楽しんでいる。
礼記の嫉妬に塗れた視線が心地いいのかふふんと得意げな色を口の端に乗せた。

「漣華はおそらく媚薬を盛られてる。昨日按摩をさせたんだが、どうもそいつが悪戯をしたらしくてな」

「悪戯?」

「ああ。あちこち揉みほぐさせたのはいいんだが、こっちもヤられた」

 そう言いながら、瑯炎は漣華の尻たぶをつぃっと撫で上げた。
それを見て礼記が眉をしかめる。

「それは……」

「最後までさせてはいないさ。ただ、まあ気持ちよく解されたんだろうよ」

 撫でただけでびくびくと震え、甘い声をあげる漣華を瑯炎はなだめるように背をぽんぽんと叩くが、それですら刺激になるようで漣華は今にも泣きださんばかりだ。
幸いにして礼記が日常的に使う馬車は西方の技術が使われていて、伝わる振動が余り伝わらないようにはなっている。
それでも完全に伝わらないわけではなく、それなりに伝わる。
それを膝の上に抱き上げることで振動を更に軽減しているつもりなのだが、漣華はそれでも伝わる振動がツラいのかびくびくと震えながらぎゅっと瑯炎の首にしがみつく。
振動で段々と姿勢が崩れるのを揺すりあげてやると漣華はまた甘い声をあげた。

「だからな」

 瑯炎は漣華をなだめるようにまたぽんぽんと叩いて、礼記をちらりと見た。

「まあ、その薬を抜くのを手伝えって話だ」

「手伝う?」

「実際人出は必要なんだよ。妓楼に人数借りられればそれもいいんだが、如何せん心もとない。その点、礼記どのなら身体も頑丈だしちょっとやそっとではへばったりしねぇだろ?」

 瑯炎はそれからだんまりを決め込み、御者から妓楼に着いた、と知らせがあるまで何を聞いても答えなかった。
ただ、その表情は口元に笑みがあるものの、眉根は僅かに寄せられていて一見すると笑っているようにも見えるが何とはなしに不安を感じるものであった。

 妓楼に着いて馬車を降りると、大きな白い布に包まれた漣華を両腕に抱いて瑯炎は馬車から降り立った。
次いで、礼記も馬車から降りて、御者に馬車溜まりで待機するように言いかけると、それを瑯炎が遮った。

「時間が読めないからな。一旦帰してやった方がいい。こっちぁ最初っから泊りの予定でもあるし、早けりゃ明日か明後日にはなんとかなるはずだ。一旦明日の昼ぐらいに使いを出すから、それで帰るんなら馬車を出してくれ」

 そう言い残すと瑯炎はさっさと妓楼に上がってしまう。
礼記は御者に瑯炎の言った通りにするよう言い含めて、慌てて後を追った。
瑯炎は青緑色の柱を抜けてすぐの吹き抜けのある一階の広間に居た。
相も変わらず漣華はそのまま抱かれている。

「おや、瑯炎さま。昨夜に引き続き今夜もですか?そちらの方も昨日はお楽しみ頂けたご様子ですこと」

 そう鈴を転がすようにころころと絹を張った団扇うちわゆるあおいでみせるのは、ここを取り仕切る女将だ。
礼記も男なので、ここ蜃気楼しんきろうには何度か登楼している。

「あら。礼記さまもですか?今日は何やら趣向がおありのご様子ですし、私も混ぜていただこうかしら」

 女将が額に描かれた花鈿かでんも鮮やかに艶笑わらってみせる。
それに瑯炎は苦笑する。

「今日は蘭秀らんしゅう莱玲らいれいを頼む」

「あら?では莱玲は後ほど向かわせますわ」

「そん時に女将も来ればいいさ」

 瑯炎は女将の頬に軽く口づけを落とすと、さっさと自らが奥に設えた昇降機エレベーターへと礼記を伴って行ってしまう。
それを見送って女将は回りに居た新造しんぞ禿かむろ、小女たちに指示を出し始めた。

 礼記は昇降機に乗り込んだ瑯炎を追いかけて乗り込み、玻璃ガラスでできた円筒形の扉が閉まるのを何とはなしに眺めていた。
瑯炎は器用に昇降機の操作盤を操って目的の階を指定する。
わずかな秒を満たすか満たさないか程の時間のあと、低いそこまで大きな音ではない駆動音をさせながら昇降機は玻璃でできた円筒形の陥穽ふきぬけを順調に昇りだす。

「……見事なものだ」

 思わず礼記が独りごちると、瑯炎がどうも、と応えを返す。
その言葉にそちらを礼記は見やった。

「貴殿が?」

「ああ」

 何を、とは言わない。
何せ目の前に立つ男は技官の長である。
この位の絡繰からくりはお茶の子さいさいなのだろう。

「見た目もそうだが、これだけの階数を歩かなくて済むと言うのはご婦人方にはよろしいでしょうな」

 延唐えんとう国は段々と旧来の習慣はすたれて新しく外国からもたらされたものと融合して変わったり、廃れたりはしてはいるが、その中に纏足てんそくがある。
幼い女児の足をまだ骨が柔らかく、みずみずしいうちに第一関節から無理矢理折り曲げ、さらにアキレス腱を伸ばしきって布で固定し、大きくならないようにしてしまうのだ。
瑯炎はたまにそう言った女性を目にすることはあるが、何とはなしに忌避感きひかんがある。
人は自然な、生まれたままの姿が一番美しいように思う。

「……後宮についこないだ取りつけてきたばっかりなんだが、耳が早いな」

「後宮に妹が居ります。先だって面会に行ったらそれはそれは楽しそうに話してくれまして」

 礼記の妹は後宮で宮女をしているのだと言う。
嫁入り前の箔付はくつけの為に貴族の子女が一時的に後宮で奉公するのは一般的だ。
建前上後宮に納められた女性は全てかしこきところを迎える可能性のある女性という事になるが、実際はそうではない。
後宮を構成する人員のうち、畏きところの妻もしくは側妃として迎えられる可能性があるのは、最初からその目的で後宮に入れられた人員全てとそれに仕える人員のうち約半数ほどに当たる。
残りはそれ以外の宦官が占める。
礼記の妹はその約半分の人員の枠に含まれると言ったところか。
そう言った人員は大抵婚約期間のうち、一定期間を後宮で過ごしてから辞していく。
だからそう言った契約を結んで、その期間を務めるのだ。
そして畏きところもそう言った女性には手を出さない。

 基本的には。

 だが、当代の畏きところはそう言った女性に手を出してしまい、内裏だいり内は紛糾した。
そのすったもんだの挙句、その女性と婚約していた貴族が兵を挙げ地方で反乱を起こし、それをついこの間しずめてきたのは目の前に居る将軍位を奉じる男だったはずだ。

 だから、瑯炎は顔をしかめた。

「大丈夫なのか」

「何がです?」

「妹御だ。」

「大丈夫でしょう。妹は後宮の最奥に居りますゆえ」

 それを聞いて、知らず寄っていた眉根が自然と開く。

「そうか」

「ええ。後宮内で一番安心できるのはあそこしかありませんからね」

 男たちは笑いあった。
そこは後宮の最奥、皇太后の宮である。
皇太后は今回の事件の引き金になった娘こそかばえなかったものの、隠然たる権力を有している。
礼記の妹を畏きところから隠すには打ってつけだろう。
皇太后は先代の正妻であるが、当代の実母ではない。
まだ若く美貌を誇る女性だと言う。
最高権力者をたしなめ、叱り飛ばすことのできる唯一の存在。
男たちが再び笑いあった時に、昇降機は目的の階に到着した。
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