謝漣華は誘惑する。

飴谷きなこ

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礼記、漣華を見舞う。

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 はっと我に返り、寝室の入り口を見ると、薄暗い室内からは光を背負って誰かがいるとしかわからない。
こんなに乱れた姿を見られたら、たとえ家族と言えども恥ずかしくて死ねる! そう思ってささっと乱れた衣服を入り口からは見えないように整える。
そもそも、寝台には垂れ絹がかかっているから、それを開けない限り寝台の様子は見えないのだけれども。

 「だ……誰?」

 この痴態を気づかれてはいないだろうか、と内心慌てふためきながらも恐る恐る誰何すいかすると、ほっとした声でいらえがあった。

「漣華どの。私です、礼記です」

 漣華はどうしたものか、と目を泳がせる。

将軍……」
「すみません、あなたの顔が見たくなって。先ほど少しお休みなったと聞いたのですが、顔だけでも拝見できたら、と」

 申し訳なさそうな求婚者の声に戸惑いを隠せない。
今まさに、あなたを想って自らを慰めようとしたのに。
声だけでいいとは。
漣華ははずかしさと申し訳なさで居たたまれなかった。

「……こちらこそ、こんな時間からこのような格好で。お出迎えもせずに申し訳ございません」
「いえ。ご気分でもすぐれないのですか?」
「そういうわけではなくて」

 漣華を気遣う礼記に、ますます慌てる。

「私は大丈夫です、少し眠くなったので横になろうかと思っただけで」
「そちらへ行っても?」

 眠っていれば、客ならば家人が断る。
しかし、相手は漣華に求婚をしている。
求婚者であっても、普通は邸宅の客間で会うのが普通だ。
それが、こんな私的部分プライベートエリアにまで客を通すことなど、ありえない。
実際に礼記は漣華の私室に踏み込んでいるわけだが、それは謝家の奥向きを取り仕切る義母、朱稜佳しゅりょうかの意向が働いているに違いない。
あの年齢を感じさせない美貌の義母を思い出し、漣華は小さな声でうめき、両手で顔を覆う。
漣華の脳裏で稜佳りょうかが少女めいた顔で目をきらきらと輝かせ、親指を勢いよく立てている映像が浮かぶ。

 義母上、なにしてんですか!

 心の中で思わずツッコむも、脳裏で楽しそうに笑う義母はますます楽しそうだ。
なんだか切ない。

「漣華どの? 漣華どの」

 妙な声を出してうめいたっきり、反応のない漣華を心配してか、礼記は心配げに声を掛ける。

「あ、揮将軍。すぐに参りますので、どうぞ客間に」
「いえ。どうにも体調がすぐれていなさそうだ。お声も聞けましたので、私はここでお暇することにしましょう」

 ふ、と微笑う気配がして、礼記がきびすを返したようだ。
人型に切り取られた影が、捻じれて差し込む光が多くなる。
そこに礼記の顔が見えて、漣華は思わず声を掛けた。

「揮将軍!」

 ゆっくりとこちらを向く気配がする。
礼記の姿をした影は見えるが、こちらを向くと顔が見えない。
漣華はそれがさみしい、と感じた。

「どうぞ、こちらに」
「よろしいのか?」
「ええ。お茶くらいしか出せませんし、私も見られた恰好ではありませんが」

 嬉しそうに笑う気配がする。

「では、お言葉に甘えましょう。私も、漣華どのの顔が見たい」

 観音開きの扉が閉められ、床を踏む足音がする。
革靴なのか、鋲打ちの底が石を敷き詰めた床に当たって足音が聞こえてくる。
それがなんだか、気恥ずかしいような気がして、漣華は慌てて上着を羽織った。
寝台の端ににじり寄り、垂れ絹に触れると、それが外からたくし上げられて思わずその方向を見上げる。
そこには、礼記がいた。
先ほどまで自らを慰めようとして、脳裏に浮かんだ漣華の求婚者。
既に室内に充満していたあの淫靡な気配はないが、どこか気恥ずかしく精の臭いなどは残っていないだろうかと気になった。

「漣華どの」

 薄暗さに慣れた目で、礼記を見る。
ほほ笑まれて、思わず表情を緩める。

「こんな格好で、申し訳ございません」
「良いのです、むしろ役得です。稜佳りょうかさまには感謝せねば」

 驚いたように求婚者を見て、じわじわと頬に熱が灯るのを感じる。
この人はなぜこんなに優しいのだろう。
漣華の心臓がとくとく、と早鐘を打ち出す。

「ろくにおかまいもできずに」
「あなたの顔を見られれば十分だ」
「揮将軍」
「どうぞ、礼記と」

 はっとして礼記を見ると、眉根を垂らし困ったような表情をしていた。

「先ほどから気になっていたのです。どうか、礼記とお呼びください」

 この時、漣華は自覚した。

 私は、この方が好きだ。
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