新緑の宝玉

ツバキ

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旅立ち

いつもの日常からの変化

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今日もアルスは叔父の家の書物庫で勉強している。

最近はエリオンも忙しいのか、あれほど頻繁に隙を見て遊びに来ていたのに、姿を見せない。おかげで、勉強が捗る捗る。

エリオンが来ることが嫌な訳ではないが、勉強の邪魔であることは確かで、たまにこういう期間があるのも勉強に専念できるのでいいと思うアルスだった。

その時、ふと誰かが書庫の扉を開ける音がした。

アルスが階段の上にある書庫の扉の方へ目を向けると、ラムダが手に古びた分厚い本を持って階段を下りて来ている。

「アルス、調子はどうだ?」

「邪魔するエリオンが来ないから、びっくりするくらい調子がいいよ。」

アルスは勉強の手を止めて、階段を下りてきたラムダに答えた。

甥のその返事にラムダは苦笑した。

「寂しいんだろう、本当は。

・・・まあ、エリオンはしばらく来れないだろうな。それどころじゃないだろう。」

微妙な表情で目を伏せたラムダの言葉にアルスは首を傾げる。

・・・・?

オーテッド家で何かあったのだろうか?

何も知らないアルスが叔父の顔を見ると、ラムダは一瞬、言うか迷う素振りを見せたが、口を開いた。

「エリオンの母親の体調が思わしくないらしい。詳しい容体はわからないが、かなり悪いようだ。

今、オーテッド家にはあちこちから腕利きの医者たちが呼ばれて来ているよ。

今はエリオンも大変だろうから、もう少し、彼の母親の容体が落ち着いたであろう頃にでも、手紙でも書いて励ましてあげなさい。

エリオンのことだ、母親が元気になるまでつきっきりで看病するだろうからな。」

ラムダの言葉にアルスは驚いた。

つい先日、ミルダに会った時は元気そうだったのに。確かに身体が弱いとは聞いていたし、この間、会った時も彼女はベッドの上だったが。

「そんな・・・。

だからエリオンは最近、来なかったんだ・・・。」

そんな理由でエリオンが来ないと知らないアルスはエリオンが来ないから、勉強が捗ると呑気なことを思っていたことに罪悪感を覚え、言葉をなくした。

もしかして、アルスと会うことで無理をしたのだろうか。

ショックで落ち込むアルスにラムダはふと優しい目を向けて、子供にするようにその頭に手を乗せて撫でた。

「お前が落ち込んでも、今は他人に出来ることは何もないさ。エリオンにも他人に構う余裕なんてないだろうしな。」

叔父のその言葉にアルスは黙って頷いた。

エリオンの母親が体調を崩すことはよくある。それが理由で数日、しばらく遊びに来ないことも度々あった。

きっと、今回もしばらくして母親の体調が良くなれば、また、いつものように陽気に訪ねて来るに違いない。ラムダの言う通り、アルスに今、出来ることは何もない。

エリオンのことが気になりつつも、気持ちを切り替えたアルスにラムダは話題を変えるように努めて明るく、手に持っていた本を差し出した。

「そうそう、お前が読みたがるだろう本を見つけたぞ。」

そう言って手渡された本はとても古く、表紙も中身もボロボロで年季の入った古代書だった。

「魔封術の起源について書かれている本だ。」

叔父の言葉にアルスはハッとして、ラムダの顔を見ると、彼は頷いた。

アルスは改めて、叔父に渡された本に視線を向けた。

まだ辞書無しでは古代文字を読むことができないアルスはこの本のタイトルも内容もわからない。だが、叔父が言う通りの内容なのなら、アルスが読みたい本だ。

「叔父さん、ありがとう!」

これで魔物への復讐にまた一歩近づけるかもしれない。

両親を惨殺した魔物を魔封術で一掃するという目標。一度は生きる意味を見失ったアルスの望み。

そんな甥にラムダはほんの少し憐れむ視線を向けたが、何も言わず、にこやかにアルスの肩を叩いた。

「勉強、頑張りなさい。

お前は魔封術の才能がある。」

ラムダはアルスを叱咤激励して、その場を立ち去った。

『これから先、魔封術の知識が復讐以外にもきっと役に立つことがあるだろう。』

立ち去る間際にちらりとアルスを振り向いたラムダがそっとつぶやいた言葉に、貰った古代書に夢中のアルスが気づくことはなかった。

その日から、アルスは寝食を忘れる勢いで、辞書を片手に貰った古代書を読んだ。

実に興味深い内容でアルスが夢中になるには十分な内容の本だったのだ。

そうして、一ヶ月ほどで難しい古代書を辞書を片手にアルスは半分ほど読み切ったアルスは、あれから一度もエリオンがやって来てないことに気づいた。

まだ、ミルダの具合は良くならないのだろうか。

・・・・手紙、書いてみるかな。

ラムダに相談してみると、一度出してみるのもいうだろうとのことだったので、アルスは手紙を書いて出した。

しかし、エリオンから返事が返って来ることはなく、古代書を解読しながら読みつつ、その後、何度か手紙を出した。

それから一ヶ月後、古代書をなんとか読み切ったアルスだったが、結局、何度手紙を出してもエリオンから返事が返って来ることはなかった。

そして、その日の夕食時、

「・・・・・・・。

ラムダ叔父さん、僕さ、旅に出たいんだ。」

アルスは古代書を読みながらずっと考えていたことを口にした。

「旅?急にどうした?」

ラムダは予想もしない突然のことに驚いて聞き返す。

「急にっていうか、叔父さんから貰った本を読んでいて、新緑の宝玉ホウギョクって言う魔物を滅ぼせる力を持った宝玉があるって書いてたんだ。

僕はそれを探したい。」

そのアルスの言葉にラムダは少し考え込んだ。

そんな叔父にアルスは言葉を続ける。

「分かってるよ。本当にあるか分からないことくらい。だけど、可能性はゼロじゃないと思うし、それに、魔封術の勉強のためにも見聞を広めるのはいいと思ってる。」

アルスは叔父を説得するために自分の気持ちを話す。

そんなアルスにラムダは伏せた視線をあげて、向かいの食卓に座る甥を見た。

「まあ、確かにそろそろ私のもとを離れるのも勉強になっていいだろう。

それは分かったが・・・、決心して私に話した割には浮かない顔だな。

理由は、エリオンか?」

叔父に尋ねられて、アルスは沈黙した。図星だったからだ。

結局、オーテッド家のパーティの日以来、エリオンに会っていない。手紙を出しても返事もない。こんな時に旅に出るというのはやはり悩む。

「・・・うん。

励ませもしない、旅に出ることもきちんと言えないまま、出発するのもなんだかなって思ってる。

・・・・・・。

ねえ、叔父さん。エリオンに会いに行ったら迷惑かな?」

「そうだな・・・・。

もう二ヶ月以上経つしな。

一度、お見舞いに行ってみるのもいいかもしれない。ダルド様がお前の見舞いを許すかどうかという問題もあるが。」

ラムダは自分の顎を撫でながら、考えつつ答える。

このままエリオンの訪問を待ち続けるのも返事の来ない手紙を描き続けるのもアルスにとっては心配が募るだけだろう。

「行くうだけ行って、状況を聞いてきたらいい。

エリオンに会えるかは分からないが、門番もミルダ様の病状は知ってるだろうし、エリオンの様子も尋ねれば教えてくれるだろうから、状況だけでも教えてもらってこればいい。

旅に出るのをどうするかは、それから考えても遅くないだろうしな。」

叔父の言葉にアルスは頷いた。

ここでずっと心配しているより、その方がいい。

アルスは明日にでもエリオンに会いにオーテッド家に行ってみることにした。


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