境界の扉

衣谷一

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2.図書部捜索チーム

グループトーク

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 チャイムが鳴っても石田と先生は帰ってこなかった。そのころには上級生はどうしようとあたふたするだけの気持ちの余裕が戻ってきたが、対照的に一年生は動けなかった。高畑と浦で付き添っていたが、石田を早退させた深田が戻ってくるなり前澤の早退も判断。取って返すように前澤も深田にどこかへ連れてゆかれるのだった。

 高畑と浦は途中から答案返却に戻るが、どう考えたってテストの答案に気持ちを向けることができなくて、息が詰まるような苦しい気持ちの中、終業を迎えた。どうして高畑と浦が沈痛な面持ちでいるのか分からなかったクラスメイトたちも、終業式で聞いた話を聞いて、程度こそ異なるものの、同じような顔つきになっていた。

 そうして出鼻をくじかれたような格好の夏休み初日だが、高畑と浦はファミレスで時間を共にしていた。高畑は自分の端末を開いているが、対する浦は英語のテキストらしきものとノートを広げていた。

 浦の英語の得点が四十三点だった。答案返却の中で唯一浦が高畑にバラした点数だった。点数を見せながら、答案と一緒に渡された問題集の小冊子を見せながら、

「あんなことがあった後で何だけど、ごめん、英語教えて」

と力なく乞うたのだった。成績が芳しくない生徒には問題集を与えて夏休みを使ってなんとかしろ、というわけだ。

 チラチラと浦の勉強具合を横目に見ながら、高畑が端末で見ているのは石田からのメッセージだった。あの日の夜遅く送られたメッセージ。高畑に対する謝罪のメッセージだった。

 曰く、自分自身で止められなかったのが悔やんでも悔やみきれない。

 曰く、高畑に八つ当たりしてしまった。

 曰く、拓朗を探す。部誌の原稿は落とすかもしれない。

 曰く、何か知っていることがあれば教ええて欲しい。

 石田からのメッセージに高畑は石田拓朗とのやり取りをまとめて返信したが、それからというものの石田孝之からの連絡はなかった。

 端末でLINEを確認している間、浦の手は動かなかった。短文の穴埋めをする、一つのカッコにつき一つの英単語を入れてゆく問題。カッコに埋めるべき言葉が見つからない、ではなかった。浦の手は問題を考えることをやめていた。シャープペンシルを持つことさえ諦めて、ペンがノートに転がった。

「どうした、眠たい?」

「いや、そうじゃなくて、その、やっぱり、石田のことが気になっちゃって仕方ないというか、その、勉強していていいのかなって」

「そりゃ浦は英語の成績悪いんだから、心置きなく勉強すればいいじゃないか、って普通なら言うけれど、流石になあ」

 石田拓朗の影がつきまとう。二人がこうやってファミレスにいる間もなお石田拓朗は行方が分からないのである。その身に何が起きているのか。ちょっとしたジョークでは済ませることができない、差し迫った状況。

 とは言え、できることはないから思い思いの時間を過ごすほかに選択肢はなかった。

「なら、ちょっと休憩にしようよ。ファミレスだし何か頼めばいいんじゃない。ちょうど甘いものが欲しいなって思ってたし」

「ならそうしよ、私はチョコバナナサンデーで」

「早いな」

「私このファミレスならいつもチョコだよ」

「あれそうだったっけ、前はみかん山盛りフルーツあんみつだったような」

「それいつの話してるの?」

 高畑がメニューを眺めている中で浦はいち早く呼び出しボタンを押すのだった。待ち構えていたかのように現れる店員に対して浦がサンデーを頼み、ややあってから高畑はパンケーキを頼んだ。

 店員が注文を受けて立ち去るのを見送ってから、浦は勉強道具をたたんでテーブルの隅に追いやった。ノートパソコンの画面に興味を戻す高畑とは対照的に、スイーツを待ち構えるには積極的だった。

「ねえ高畑、石田ってどうなっちゃうんだろう、どうなってるんだろう」

「警察が調べているって先生が言ってただろう? 任せるしかないんじゃないか」

「それはそうなんだけれど、気になるじゃない。その、先生からあんな話も聞いてるわけだし」

「扉のこと?」

「そう。取り上げると悪いことが起きるなんて、まるで呪い」

「話だけを聞けば恐ろしい限りだね。でもさ、石田が今同じようなことになっているとは限らないんだし、そこは信じるしかないでしょ。何事も起きていないって」

 浦のもとにサンデーが届けられた。高畑との会話を割り込むサンデーにたちまち関心が移った。一緒に供されるスプーンに飛びついてチョコレートがかかるてっぺんのソフトクリームをすくい上げた。ついさっきまで会話していたことを忘れてしまったかのようだった。

 会話が終わってしまったことを察した高畑は再び原稿用のプログラム作成に戻った。が、通知画面に数字が付いていることに気づいて、プログラムよりも先にその通知を開いた。

 LINE。

 メッセージの送信元として表示されているのは、石田拓朗だった。予想だにしない通知に、

「おいおいまじかよ」

と思わず口にしてしまうのだった。

「ん、どうしたの?」

「石田から連絡が来た。なんだろう」

「石田先輩から?」

「いや、弟の方から」

 バナナに刺したフォークが止まった。サンデーを食べていることを忘れてしまったかのように、刺したフォークの存在も忘れて呆然としていた。

「お久しぶりです、ようやく送れました」

 石田のメッセージはそれだけでは意味が分からなかった。

 高畑が対して送るのは居場所を確認するメッセージだったが、すぐさま帰ってくる石田のメッセージは高畑の問いかけを完全に無視するものだった。

「こっちの世界はすごいです。まさにゲーム、ロールプレイング・ゲームの世界です」

「こっちの質問に答えるんだ。今どこにいる? どこから連絡してるんだ? お前今、行方不明になってるぞ」

 高畑がLINEに気を取られている間に浦は隣に移った。腰を上げようとした時にバナナの存在を思い出して口に放り込んでやってきたからか、口をモゴモゴとさせて中々言葉を発せない。

 浦が意見できない間にもLINEの吹き出しが付け加えられてゆく。

「今まで特訓の日々で中々連絡できなかったんです」

「すごく大変でした。簡単に言えば始まりのダンジョンみたいな場所で特訓してました」

「ゲームではすごく簡単なクエストなんですけど、実際にやってみるとすごく大変でした」

「ダンジョンの中にあるアイテム回収でしたが、何回も危ない目にあって助けられて、はじめからやり直す、みたいな。大怪我もしたんですよ」

「今も傷だらけです」

「なにこれ訳分かんないよ」

 バナナをようやく飲み込んだ浦の第一声は高畑の考えも代弁するのだ。連投に言葉を失っていた高畑も同じことを考えていた。

「えっと、なんて言えばいいのか、控えめに言ってもふざけているとしか思えないんだけど」

「どう答えたらいいんだろう、その、ゲーム?」

 ふと思いつきに、

「何のゲームをプレイしているんだ、楽しそうだな」

と送ってみた。間髪を容れず、

「僕は遊んでいるわけじゃないんですよ。僕は境界の扉の向こうの世界を探ってるんですよ」

と反論。続けて浮き出る血管の絵文字を五個並べて送ってきた。

 雰囲気を崩す絵文字に二人共固まった。かたや行方不明者、かたや後輩を見つけた部活動の先輩、両者の間に渡された場違いな絵文字。

「高畑、私をチャットに誘って。ちょっと我慢できない」

 浦はすでにスマートフォンをテーブルに出して画面を表示させていた。見た感じでは勉強している時とさほど表情に変化はなかったが、声のトーンは勉強をしている間のやり取りのそれとはまるで違った。

「お前ふざけてないでちゃんと答えろ」

「どこにいる?」

「何が起きている?」

「今すぐ帰ってこい」

「すぐ帰ってこい」

 浦が仕返しの連投を繰り出した。言いたいことは言えたのか、言葉を投げつけた彼女は一つ深呼吸をして、そうしてからサンデーを自らの前に引き寄せた。

 浦のメッセージに石田はなかなか反応しなかった。既読マークは付いているにもかかわらず、である。浦がサンデーを二口、三口とばくついても返信が帰ってくることはなかった。その間、高畑も浦も言葉を交わさなかった。関心は一つ、石田がどう答えてくるか。

 途中高畑のパンケーキが届いて、二人してスイーツを食べながら石田を待つ格好となる。浦がパンケーキの味見を求める場面があったけれども、それだけだった。サンデーが空になるまで石田は黙ったままだった。

 石田がようやく口を開いたのはサンデーが空になった後だった。例にもれず、先輩たちの言葉に耳を貸さなかった。

「急なトラブルがあったので対処してました。街にモンスターが入り込んできたので」

「質問に答えろ」

「質問ってなんですか?」

「ついさっきメッセージを送った。既読スルーなのはわざと?」

「すみません、メッセージが届いていないみたいでして、あ、今届きました。境界の扉のせいか僕のスキル不足かは分からないんですけど、時間差があるみたいです」

「じゃあ答えて」

「僕は今境界の扉の向こう側にいるんです。境界の扉が何なのか、そして境界の扉の向こう側に何があるのか。まさに今、それを『取材』しているんです。すごいですよこっちは」

 まるで隣町でショッピングをしているような物言いだった。高畑には違和感しかない。ロールプレイング・ゲームの世界、と言っても間違っていない様子、現実ではない様子、しかし石田はそれをさも普通であるかのようにLINEしてくる。

 どこにいるのか。

「お前はどこにいるんだ? 場所を教えてくれ」

「僕も正しい名前が何なのかは正直分かっていないんですけど、ここの人たちはここらへんをテムロンと言っているので、多分それが場所の名前だと思います」

 当然日本人の耳には聞き慣れない地名だった。テムロン、浦がスマートフォンで検索をしてみても似た名前の会社がヒットするだけで、念の為地図アプリでも調べても該当する地名はなかった。

 地球に存在しない場所。

「先輩たちも一度来てみればいいですよ。日本とは比べ物にならないほど不便は多いですが、これはこれで楽しいですよ」

「石田は今行方不明の扱いになってるんだ。今すぐにも戻ってこい」

 メッセージを送ったところで高畑はある疑問に気づいて、背中から血が吸い取られるかのような寒気に固まった。プログラム的な考えである。入力があれば出力がある。入るのであれば、出ることも必要だ。

「石田、そっちからこっちに戻ってくる方法は分かっているのか」

 チャットに追加されたメッセージを見た浦が目を見張る。高畑に目を向けて何か言いたそうな口をしていたが、ついぞ言葉は出てこなかった。高畑の端末の画面に見えた文字にかき消されてしまった。

「分からないですよ。しばらくこっちの生活をしてから探ろうと思ってますが」

「でも生活は楽しいですよ。兄もみんなも隠さないでどんどんこっちにくればいいのに」
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