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2.図書部捜索チーム
初めての家宅捜索
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正直なところ、石田の話を聞いた後はそのまま解散したかったし、石田の家に上がることになってしまうだなんて予想していなかった。おごりで出されたコーラとフライドポテトを平らげてから数分もしないうちに石田の家についた。オートロックのエントランスを抜けて、エレベータで四階まで上がる。
人の家をたずねる、なんて大したことではないが、石田の家が近づくにつれて妙な緊張感が徐々に積み上がってくるのだ。きっとアドバイスが待っているだろうが、目の当たりにしてしまったら日常に戻れなくなってしまいそうな気がした。境界の扉を叩きに行くはじめの一歩である。高畑と浦は異世界の扉を叩こうとしている。
真っ先に通されたのは他人を招く気のない部屋だった。少しでも部屋を片付けて見てくれをよく繕おうとするものだが、床に紙や菓子の袋が散乱していたり、ベッドの上の毛布は使いっぱなしで枕とは反対側のところ、足元だったろうあたりで団子となっていたりした。
「汚いところはあるんだが、下手にいじってしまうと何がなんだか分からなくなってしまうから、あえて何もしていない」
石田拓朗の部屋だった。
「これが『アドバイス』ですか」
「いわばここが拓朗にとっては取材の拠点。手がかりがあるとすれば、ここがとっかかりになるはず」
「石田先輩、しかしいきなりここに連れてこられて探せと言われても、何を探せばいいのか分からないです」
浦の言っていることはもっともだった。たとえ図書部の一員だとしてもだ、石田孝之のように危ない取材をこなしてきたわけではない。かたやプログラム、かたや文学。大手企業にクラッキングして情報を抜き取らなければ書けないようなネタを書こうと思い立つこともなければ、銃弾と爆発にまみれた戦場を取材しなければならないような小説を手がけようとも考えないのだ。
石田は足元を見回しておもむろにしゃがむと、クリーム色の何かを拾い上げた。小さく丸められたそれのでこぼこさ加減から見れば、ボール状に丸めて捨てられたメモ書きがゴミ箱を外れてあらぬ方法に転がってしまった、という様子だった。
それを石田は浦に調べさせようとする。中空で届かないつっつきを繰り返して浦を促した。
受け取った紙くずを恐る恐る開けてゆけば、できた隙間から何かがこぼれ落ちた。高畑が浦の横でしゃがみこんでみれば、やや黄色みを帯びた半透明な三日月がいくつも転がっていた。ゴミを見た瞬間に連想するのは爪切りの光景。爪を切って、最後に爪切りを逆さにしてゴミとして捨てる映像だった。
石田拓朗の爪の切りカスだと高畑が気づくのと、浦が渡されたゴミを床に投げ捨てるのはほぼ同じタイミングだった。浦はゴミを手にしていた手を抱きしめて後ずさりを一歩、腕には鳥肌が嫌悪感を示していた。
「この部屋にあらゆるもの。ゴミ一つとってもヒントが隠されているかもしれない。何でもかんでもが調べる対象なんだ。ただ、その、今渡した奴はあれだな、申し訳ない」
「本当に俺達に探させるんですか? 何があるか分からないし、その、あまり触りたいと思えないものもありそう、というかあったわけですが」
「その時は呼んでくれ、俺が確かめよう」
「それなら浦も大丈夫か?」
ぶつぶつの肌を見上げる高畑に浦は一つ頷きを返した。しかし腕を抱きしめるのはやめず、捜索に参加する気持ちはすっかり失ってしまっているようだった。
「今日はひとまず部屋の雰囲気を分かってもらえれば十分だと思ってる。弟のために必死になってくれるのであれば嬉しいことこの上ないが、いきなりは難しいだろう」
床に散らばった爪のかけらを寄せ集めて握りしめれば、石田孝之は部屋を出て行ってしまった。扉を閉じる直前、
「とりあえず済んだら俺のところに顔を出して。向かいの部屋が俺の部屋だから」
と言い残した。
兄を失った部屋で二人は押し黙った。揃って扉の向こう側の生活音に聞き耳を立てていた。ごく近くでドアが閉まる音がして、ややあってから何かがきしんだ。
高畑はあたりの床を見回してみて、改めて石田拓朗の部屋の汚さを認めた。書類なのかテスト印刷したものか、あるいは純粋なメモの走り書きなのか。ゴミ箱に収まりきらなかったものが周りに転がって、ゴミ箱それ自体も山盛りだった。そりゃあ爪切りのカスがそこら辺に転がっていてもおかしくないし、これを捜索のタイミングで意味ありげに思って開いてしまう事故も起きて当然だった。
浦は壁に背中を預けてもはや探すことから体を遠ざけていた。石田拓朗の爪が浦の気持ちを切り取ってしまったのである。
「探すの、できる? 無理そう?」
「ごめん、ちょっときつい。まだ鳥肌が収まらないもの」
「じゃあ先輩が言っていたとおり、軽く見回してそれで終わりにしてしまおうか。もし気になる場所があれば言って。俺が見るから」
「お願い」
高畑の関心がまず向いたのは本棚だった。同じ本棚が二つ並んでいる。詰め込まれている本の背中を眺める。心霊写真の写真集を始めとして都市伝説を扱ったもの。超常現象を扱ったもの。石田拓郎の趣味が丸出しの蔵書だった。本だけではなかった、本棚の一角に収められているブルーレイのタイトルも、見た感じオカルト色の強いものだった。
ゲーム機、形状からすればPS4だろうか、それを中心に物が散乱していた。使いっぱなしのコントローラがフローリングに転がっていて、横ではゲームソフトのパッケージが雪崩を起こしていた。全て英語で書かれたところ、海外版のゲームらしかった。おどろおどろしいパッケージ、グロテスクな紹介画像が目についた。
石田拓朗の部屋で最も荒れている場所はデスク周りだった。机上は紙で埋め尽くされていた。手書きのメモ、パソコンで打ち込んだメモらしき印刷物、インターネット上のページを印刷したもの。大小厚薄様々な痕跡が散らかっていた。
石田拓朗の足跡をたどることを考えれば、パソコン周りの紙の山は彼の足跡を見つけるにはうってつけの場所に思えた。浦が境界の扉を見つけた昔の部誌も置いてある。表層に漂っている紙を眺めるだけでも、『境界の扉』という言葉が至るところに記されていた。見当違いな結果ばかりがヒットする検索エンジンの検索結果画面が複数種類。どこから引っ張ってきたのか分からないが、境界の扉に関する記述をまとめたドキュメント。手描きの地図と思しきものはそもそも地図であるかどうか怪しくて、根拠もなく拓朗が妄想した産物かもしれなかった。
デスクトップパソコン。
高畑は筐体の中にあるものを想像した。モニタの手前に姿を現している情報なんか目ではない。はるかに大量で処理しがいのあるコンテンツが隠されている。かつて石田拓朗がやりたいと言っていた検索だって、黒い箱に対しては容易に行える。
電源ボタンを押した。低い音が奥底から湧き上がってくればモニタにも電源が入って、しかし期待した画面にはならなかった。デスクトップ画面になればそのままに高畑の本領を発揮するところだったが、ログイン画面に阻まれて何もできなかった。
高畑の中で燃えていた火が吹き消された。端末が目の前にあるのに入り込むことができない、この状況にやる気を殺されてしまった。操作できないパソコンは単なる粗大ごみに等しい。このぐらいかなでいいかな、という気持ちに心が満たされた。
初めての家宅捜索、収穫できたものといえばほとんどなかった。石田拓朗の境界の扉に対する熱意と、触ることをためらってしまうほどの部屋の汚さだけだった。
「俺の力不足で申し訳ない。二人には迷惑をかける」
石田宅を後にする時、オートロックの外で石田孝之が頭を下げた。
「俺もできるだけあいつの後を追っかける。何か分かったら都度伝えるようにする」
高畑と浦がエントランスを出た後も石田は頭を下げていた。駅の出入り口で振り返ってみれば、なおも頭を下げる石田孝之がいた。
人の家をたずねる、なんて大したことではないが、石田の家が近づくにつれて妙な緊張感が徐々に積み上がってくるのだ。きっとアドバイスが待っているだろうが、目の当たりにしてしまったら日常に戻れなくなってしまいそうな気がした。境界の扉を叩きに行くはじめの一歩である。高畑と浦は異世界の扉を叩こうとしている。
真っ先に通されたのは他人を招く気のない部屋だった。少しでも部屋を片付けて見てくれをよく繕おうとするものだが、床に紙や菓子の袋が散乱していたり、ベッドの上の毛布は使いっぱなしで枕とは反対側のところ、足元だったろうあたりで団子となっていたりした。
「汚いところはあるんだが、下手にいじってしまうと何がなんだか分からなくなってしまうから、あえて何もしていない」
石田拓朗の部屋だった。
「これが『アドバイス』ですか」
「いわばここが拓朗にとっては取材の拠点。手がかりがあるとすれば、ここがとっかかりになるはず」
「石田先輩、しかしいきなりここに連れてこられて探せと言われても、何を探せばいいのか分からないです」
浦の言っていることはもっともだった。たとえ図書部の一員だとしてもだ、石田孝之のように危ない取材をこなしてきたわけではない。かたやプログラム、かたや文学。大手企業にクラッキングして情報を抜き取らなければ書けないようなネタを書こうと思い立つこともなければ、銃弾と爆発にまみれた戦場を取材しなければならないような小説を手がけようとも考えないのだ。
石田は足元を見回しておもむろにしゃがむと、クリーム色の何かを拾い上げた。小さく丸められたそれのでこぼこさ加減から見れば、ボール状に丸めて捨てられたメモ書きがゴミ箱を外れてあらぬ方法に転がってしまった、という様子だった。
それを石田は浦に調べさせようとする。中空で届かないつっつきを繰り返して浦を促した。
受け取った紙くずを恐る恐る開けてゆけば、できた隙間から何かがこぼれ落ちた。高畑が浦の横でしゃがみこんでみれば、やや黄色みを帯びた半透明な三日月がいくつも転がっていた。ゴミを見た瞬間に連想するのは爪切りの光景。爪を切って、最後に爪切りを逆さにしてゴミとして捨てる映像だった。
石田拓朗の爪の切りカスだと高畑が気づくのと、浦が渡されたゴミを床に投げ捨てるのはほぼ同じタイミングだった。浦はゴミを手にしていた手を抱きしめて後ずさりを一歩、腕には鳥肌が嫌悪感を示していた。
「この部屋にあらゆるもの。ゴミ一つとってもヒントが隠されているかもしれない。何でもかんでもが調べる対象なんだ。ただ、その、今渡した奴はあれだな、申し訳ない」
「本当に俺達に探させるんですか? 何があるか分からないし、その、あまり触りたいと思えないものもありそう、というかあったわけですが」
「その時は呼んでくれ、俺が確かめよう」
「それなら浦も大丈夫か?」
ぶつぶつの肌を見上げる高畑に浦は一つ頷きを返した。しかし腕を抱きしめるのはやめず、捜索に参加する気持ちはすっかり失ってしまっているようだった。
「今日はひとまず部屋の雰囲気を分かってもらえれば十分だと思ってる。弟のために必死になってくれるのであれば嬉しいことこの上ないが、いきなりは難しいだろう」
床に散らばった爪のかけらを寄せ集めて握りしめれば、石田孝之は部屋を出て行ってしまった。扉を閉じる直前、
「とりあえず済んだら俺のところに顔を出して。向かいの部屋が俺の部屋だから」
と言い残した。
兄を失った部屋で二人は押し黙った。揃って扉の向こう側の生活音に聞き耳を立てていた。ごく近くでドアが閉まる音がして、ややあってから何かがきしんだ。
高畑はあたりの床を見回してみて、改めて石田拓朗の部屋の汚さを認めた。書類なのかテスト印刷したものか、あるいは純粋なメモの走り書きなのか。ゴミ箱に収まりきらなかったものが周りに転がって、ゴミ箱それ自体も山盛りだった。そりゃあ爪切りのカスがそこら辺に転がっていてもおかしくないし、これを捜索のタイミングで意味ありげに思って開いてしまう事故も起きて当然だった。
浦は壁に背中を預けてもはや探すことから体を遠ざけていた。石田拓朗の爪が浦の気持ちを切り取ってしまったのである。
「探すの、できる? 無理そう?」
「ごめん、ちょっときつい。まだ鳥肌が収まらないもの」
「じゃあ先輩が言っていたとおり、軽く見回してそれで終わりにしてしまおうか。もし気になる場所があれば言って。俺が見るから」
「お願い」
高畑の関心がまず向いたのは本棚だった。同じ本棚が二つ並んでいる。詰め込まれている本の背中を眺める。心霊写真の写真集を始めとして都市伝説を扱ったもの。超常現象を扱ったもの。石田拓郎の趣味が丸出しの蔵書だった。本だけではなかった、本棚の一角に収められているブルーレイのタイトルも、見た感じオカルト色の強いものだった。
ゲーム機、形状からすればPS4だろうか、それを中心に物が散乱していた。使いっぱなしのコントローラがフローリングに転がっていて、横ではゲームソフトのパッケージが雪崩を起こしていた。全て英語で書かれたところ、海外版のゲームらしかった。おどろおどろしいパッケージ、グロテスクな紹介画像が目についた。
石田拓朗の部屋で最も荒れている場所はデスク周りだった。机上は紙で埋め尽くされていた。手書きのメモ、パソコンで打ち込んだメモらしき印刷物、インターネット上のページを印刷したもの。大小厚薄様々な痕跡が散らかっていた。
石田拓朗の足跡をたどることを考えれば、パソコン周りの紙の山は彼の足跡を見つけるにはうってつけの場所に思えた。浦が境界の扉を見つけた昔の部誌も置いてある。表層に漂っている紙を眺めるだけでも、『境界の扉』という言葉が至るところに記されていた。見当違いな結果ばかりがヒットする検索エンジンの検索結果画面が複数種類。どこから引っ張ってきたのか分からないが、境界の扉に関する記述をまとめたドキュメント。手描きの地図と思しきものはそもそも地図であるかどうか怪しくて、根拠もなく拓朗が妄想した産物かもしれなかった。
デスクトップパソコン。
高畑は筐体の中にあるものを想像した。モニタの手前に姿を現している情報なんか目ではない。はるかに大量で処理しがいのあるコンテンツが隠されている。かつて石田拓朗がやりたいと言っていた検索だって、黒い箱に対しては容易に行える。
電源ボタンを押した。低い音が奥底から湧き上がってくればモニタにも電源が入って、しかし期待した画面にはならなかった。デスクトップ画面になればそのままに高畑の本領を発揮するところだったが、ログイン画面に阻まれて何もできなかった。
高畑の中で燃えていた火が吹き消された。端末が目の前にあるのに入り込むことができない、この状況にやる気を殺されてしまった。操作できないパソコンは単なる粗大ごみに等しい。このぐらいかなでいいかな、という気持ちに心が満たされた。
初めての家宅捜索、収穫できたものといえばほとんどなかった。石田拓朗の境界の扉に対する熱意と、触ることをためらってしまうほどの部屋の汚さだけだった。
「俺の力不足で申し訳ない。二人には迷惑をかける」
石田宅を後にする時、オートロックの外で石田孝之が頭を下げた。
「俺もできるだけあいつの後を追っかける。何か分かったら都度伝えるようにする」
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