19 / 36
3.俺らはモンスターになった
夢魔の寝床
しおりを挟む
深田教諭は前澤と面会をしてきたらしかった。重苦しい土曜日に前澤との面会が解禁されたという知らせは唯一の吉報だった。連絡の中では前澤の様子も軽く触れられていて、文面からは容態は安定して、かつ精神的にも落ち着いている、と言う。
高畑としては行かない理由はなかった。ほかのメンツを連れ立って、特に浦と一緒に行くことを考えてもみたが、昨日の今日で誘ったところで予定が合うかどうか分からなかった。思い立ったのは土曜夜間、面会に行こうと思っているのが日曜日の午前。人を誘って何かしようと提案する時間ではなかった。浦たちの予定を聞くこともなしに、高畑は単身面会に赴くことにした。
病院のナースステーションで面会の記帳をする。病室の番号はすでに深田から伝えられていた。名前と面会先を書いて手続きを終わらせると、高畑は病室を目指した。
消毒液の匂いに満ちた廊下。すれ違う患者の年代は幅広かった。十代らしい見た目から皮と骨だけのような老人の姿まで。それぞれの人が放つ匂いが全く感じられなくて、あたかも非現実的な空間に迷い込んでしまったかのような気分になった。
病室の番号は聞かされていたとは言え、病室の番号を一つ一つ確かめてゆくのはどこか冒険、探索に近いものがあった。前澤が入っている部屋は六人部屋らしいが、前澤以外には一人の名札がつけてあるのみだった。
音を立てないよう引き戸を開ける。もしかしたら前澤が眠っているかもと思って静かな足運びで中に入ったが、早々に前澤と目があった。左側の廊下側でノートパソコンを開いていた。
ノートパソコンのへりからはみ出た前澤の目。
前澤の表情は高畑を歓迎していた。途端に顔が弾けてベッドの横にやって来るのを待っていた。高畑がベッド横のスツールに腰かけるまで、彼女は足取りを顔で追った。どうしてだろう、目のクマがひどかった。
「起きていても大丈夫? 面会できるようになったって聞いたから、とりあえず来てみたんだけど」
「大丈夫ですよ。この通りです。昨日先生が来たんで、先生から聞いたんですか」
「そんなところ。本当は浦も一緒に、と思ったけれど、知ったのが昨日の夜だったから。とりあえず俺だけで来た。浦たちとは別のタイミングで来るよ」
「私は待ってますよ。まだまだ入院生活は長そうですから」
「そんなによくなかった?」
「いや、話を聞くと、この手の怪我だとそれぐらいが普通なんですって。大体半月で抜糸して、その後は様子を見て退院時期を見極めるらしいです。そこでおおむね一ヶ月と」
病院着を着ていなければ前澤は図書室で見た様子とさほど変わっていないように見えた。何者かにナイフで刺されて病院に担ぎ込まれたとは考えられなかった。
前澤を眺めているとちらちらと視界の端っこに映ったり映らなかったりするのが端末の画面だった。複数の仕切りで区分けされていて、それぞれに細々とした設定項目が並んでいる。一番大きなところには階層づいたアルファベットが並んでいた。情報量が多すぎて一見すれば何が何だか分からない画面、しかし高畑にはそれがプログラムであることは一目瞭然だった。
「プログラムを組んでた? あれ、文化祭のやつ」
「そうです、ここだと寝てる以外にやることがないんで、いっそここで開発をしてしまおうと」
「今は休むのが大事ではあるけれど、無理していないならいいんだけど」
「それがですね先輩、何もやることがない環境っていうのは捗るんですよ。これ以外やることがないので。入院生活なのは不本意ですが、進捗的にはホクホクです」
高畑が見やすいよう前澤が端末を横に回した。端末が動くにつられて目を向けたところで、一番左端を占めるソース一覧に好奇心が湧いた。ソースツリーが展開されていたりディレクトリ単位で集約されていたりするが、それでもスクロールバーが豆粒のような大きさになっていた。大体十三インチほどの大きさの端末だ、豆粒から想像されるソース数は数百。
一人で数百のソースファイル。高畑の感覚では一人で扱う規模のソースではなかった。数人が膝をこすりあわせながら立ち向かう開発規模のソース量だった。
「それ、一人で書いたの? 学校で見た時はそんな量になかったと思うが」
「ここで実装し始めた結果ですよ。本当はもっと素朴な感じのソフトになるはずだったんですけど、いろいろと凝っちゃっいまして、ノベルゲーが3Dアドベンチャーになっちゃいました」
「えらい進化だな」
「はい、没頭に没頭して、気がついたらイラストがポリゴンになってました」
端末を元に戻せば前澤はキーボードに手を置いた。すでに開かれていた数百行のソースに手を加え始めた。マシンガンのようにキーを叩き込んで、トラックパットを指でなぞればさらなる銃撃を繰り広げた。
「まあ、ひたすら書き続けないと思い出しちゃうんですけどね」
「事件のこと?」
「ええ、本当はパソコンダメなんですよね、この病院。でも何もしないでいるとまた同じことが起きそうな気がして、すごく辛かったんです」
ふと、手が止まった。
「だから端末を使わせてもらうようにしたんです。プログラムに集中していれば全部忘れられます。頭の中をプログラミング言語と設計とモデリングでいっぱいにすると、『アレ』を追いやれるんです」
「ここに来てから、どれだけ書いた?」
「ざっと三万ステップですかね」
いつもと変わらないように見えたことが間違いだった。前澤は壊れかけていた。存在の分からない何者の襲撃にまだ怯えていた。プログラムの檻に自らを閉じ込めて隠れていた。ひたすらプログラムにのめり込んでソースコードのアルファベットに身を埋めているのだ。
目の下のクマはそういう意味だった。
高畑は当時のことを聞くつもりだった。当然ながら前澤の調子がよいことが前提だが、元気そうに見えるから頭の中ではどう聞いたらよかろうかを考えているところだった。
しかし、前澤の容態は悪い。
逃げているところを内側から刺してしまってならない。あの時のことを考えさせてしまうのは避けなければならなかった。
ならば、と高畑は考えた。もっとコードの中に押し込んでしまえばいい。
「プログラムで何か困っていることはあるかい? よければ相談に乗るよ」
「実はちょうど聞いてみたいことがあったんです。あるクラスなんですが、オブジェクトとしての構造がなんだかしっくり来なくて。インターフェースか抽象クラスの扱いがまずいような気がするんですけれど、手詰まりなんですよ。アドバイスもらえませんか?」
高畑は椅子をベッドに近づけて画面が見やすいように移動した。前澤も前澤で端末をできるだけ高畑に近づけて自らも横にずれようとした。途端に顔をしかめるものだから前澤を制して、高畑はもっと椅子を近づけたのだった。
高畑としては行かない理由はなかった。ほかのメンツを連れ立って、特に浦と一緒に行くことを考えてもみたが、昨日の今日で誘ったところで予定が合うかどうか分からなかった。思い立ったのは土曜夜間、面会に行こうと思っているのが日曜日の午前。人を誘って何かしようと提案する時間ではなかった。浦たちの予定を聞くこともなしに、高畑は単身面会に赴くことにした。
病院のナースステーションで面会の記帳をする。病室の番号はすでに深田から伝えられていた。名前と面会先を書いて手続きを終わらせると、高畑は病室を目指した。
消毒液の匂いに満ちた廊下。すれ違う患者の年代は幅広かった。十代らしい見た目から皮と骨だけのような老人の姿まで。それぞれの人が放つ匂いが全く感じられなくて、あたかも非現実的な空間に迷い込んでしまったかのような気分になった。
病室の番号は聞かされていたとは言え、病室の番号を一つ一つ確かめてゆくのはどこか冒険、探索に近いものがあった。前澤が入っている部屋は六人部屋らしいが、前澤以外には一人の名札がつけてあるのみだった。
音を立てないよう引き戸を開ける。もしかしたら前澤が眠っているかもと思って静かな足運びで中に入ったが、早々に前澤と目があった。左側の廊下側でノートパソコンを開いていた。
ノートパソコンのへりからはみ出た前澤の目。
前澤の表情は高畑を歓迎していた。途端に顔が弾けてベッドの横にやって来るのを待っていた。高畑がベッド横のスツールに腰かけるまで、彼女は足取りを顔で追った。どうしてだろう、目のクマがひどかった。
「起きていても大丈夫? 面会できるようになったって聞いたから、とりあえず来てみたんだけど」
「大丈夫ですよ。この通りです。昨日先生が来たんで、先生から聞いたんですか」
「そんなところ。本当は浦も一緒に、と思ったけれど、知ったのが昨日の夜だったから。とりあえず俺だけで来た。浦たちとは別のタイミングで来るよ」
「私は待ってますよ。まだまだ入院生活は長そうですから」
「そんなによくなかった?」
「いや、話を聞くと、この手の怪我だとそれぐらいが普通なんですって。大体半月で抜糸して、その後は様子を見て退院時期を見極めるらしいです。そこでおおむね一ヶ月と」
病院着を着ていなければ前澤は図書室で見た様子とさほど変わっていないように見えた。何者かにナイフで刺されて病院に担ぎ込まれたとは考えられなかった。
前澤を眺めているとちらちらと視界の端っこに映ったり映らなかったりするのが端末の画面だった。複数の仕切りで区分けされていて、それぞれに細々とした設定項目が並んでいる。一番大きなところには階層づいたアルファベットが並んでいた。情報量が多すぎて一見すれば何が何だか分からない画面、しかし高畑にはそれがプログラムであることは一目瞭然だった。
「プログラムを組んでた? あれ、文化祭のやつ」
「そうです、ここだと寝てる以外にやることがないんで、いっそここで開発をしてしまおうと」
「今は休むのが大事ではあるけれど、無理していないならいいんだけど」
「それがですね先輩、何もやることがない環境っていうのは捗るんですよ。これ以外やることがないので。入院生活なのは不本意ですが、進捗的にはホクホクです」
高畑が見やすいよう前澤が端末を横に回した。端末が動くにつられて目を向けたところで、一番左端を占めるソース一覧に好奇心が湧いた。ソースツリーが展開されていたりディレクトリ単位で集約されていたりするが、それでもスクロールバーが豆粒のような大きさになっていた。大体十三インチほどの大きさの端末だ、豆粒から想像されるソース数は数百。
一人で数百のソースファイル。高畑の感覚では一人で扱う規模のソースではなかった。数人が膝をこすりあわせながら立ち向かう開発規模のソース量だった。
「それ、一人で書いたの? 学校で見た時はそんな量になかったと思うが」
「ここで実装し始めた結果ですよ。本当はもっと素朴な感じのソフトになるはずだったんですけど、いろいろと凝っちゃっいまして、ノベルゲーが3Dアドベンチャーになっちゃいました」
「えらい進化だな」
「はい、没頭に没頭して、気がついたらイラストがポリゴンになってました」
端末を元に戻せば前澤はキーボードに手を置いた。すでに開かれていた数百行のソースに手を加え始めた。マシンガンのようにキーを叩き込んで、トラックパットを指でなぞればさらなる銃撃を繰り広げた。
「まあ、ひたすら書き続けないと思い出しちゃうんですけどね」
「事件のこと?」
「ええ、本当はパソコンダメなんですよね、この病院。でも何もしないでいるとまた同じことが起きそうな気がして、すごく辛かったんです」
ふと、手が止まった。
「だから端末を使わせてもらうようにしたんです。プログラムに集中していれば全部忘れられます。頭の中をプログラミング言語と設計とモデリングでいっぱいにすると、『アレ』を追いやれるんです」
「ここに来てから、どれだけ書いた?」
「ざっと三万ステップですかね」
いつもと変わらないように見えたことが間違いだった。前澤は壊れかけていた。存在の分からない何者の襲撃にまだ怯えていた。プログラムの檻に自らを閉じ込めて隠れていた。ひたすらプログラムにのめり込んでソースコードのアルファベットに身を埋めているのだ。
目の下のクマはそういう意味だった。
高畑は当時のことを聞くつもりだった。当然ながら前澤の調子がよいことが前提だが、元気そうに見えるから頭の中ではどう聞いたらよかろうかを考えているところだった。
しかし、前澤の容態は悪い。
逃げているところを内側から刺してしまってならない。あの時のことを考えさせてしまうのは避けなければならなかった。
ならば、と高畑は考えた。もっとコードの中に押し込んでしまえばいい。
「プログラムで何か困っていることはあるかい? よければ相談に乗るよ」
「実はちょうど聞いてみたいことがあったんです。あるクラスなんですが、オブジェクトとしての構造がなんだかしっくり来なくて。インターフェースか抽象クラスの扱いがまずいような気がするんですけれど、手詰まりなんですよ。アドバイスもらえませんか?」
高畑は椅子をベッドに近づけて画面が見やすいように移動した。前澤も前澤で端末をできるだけ高畑に近づけて自らも横にずれようとした。途端に顔をしかめるものだから前澤を制して、高畑はもっと椅子を近づけたのだった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
それなりに怖い話。
只野誠
ホラー
これは創作です。
実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。
本当に、実際に起きた話ではございません。
なので、安心して読むことができます。
オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。
不定期に章を追加していきます。
2025/12/23:『みこし』の章を追加。2025/12/30の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/22:『かれんだー』の章を追加。2025/12/29の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/21:『おつきさまがみている』の章を追加。2025/12/28の朝8時頃より公開開始予定。
2025/12/20:『にんぎょう』の章を追加。2025/12/27の朝8時頃より公開開始予定。
2025/12/19:『ひるさがり』の章を追加。2025/12/26の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/18:『いるみねーしょん』の章を追加。2025/12/25の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/17:『まく』の章を追加。2025/12/24の朝4時頃より公開開始予定。
※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる