境界の扉

衣谷一

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3.俺らはモンスターになった

夢魔の寝床

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 深田教諭は前澤と面会をしてきたらしかった。重苦しい土曜日に前澤との面会が解禁されたという知らせは唯一の吉報だった。連絡の中では前澤の様子も軽く触れられていて、文面からは容態は安定して、かつ精神的にも落ち着いている、と言う。

 高畑としては行かない理由はなかった。ほかのメンツを連れ立って、特に浦と一緒に行くことを考えてもみたが、昨日の今日で誘ったところで予定が合うかどうか分からなかった。思い立ったのは土曜夜間、面会に行こうと思っているのが日曜日の午前。人を誘って何かしようと提案する時間ではなかった。浦たちの予定を聞くこともなしに、高畑は単身面会に赴くことにした。

 病院のナースステーションで面会の記帳をする。病室の番号はすでに深田から伝えられていた。名前と面会先を書いて手続きを終わらせると、高畑は病室を目指した。

 消毒液の匂いに満ちた廊下。すれ違う患者の年代は幅広かった。十代らしい見た目から皮と骨だけのような老人の姿まで。それぞれの人が放つ匂いが全く感じられなくて、あたかも非現実的な空間に迷い込んでしまったかのような気分になった。

 病室の番号は聞かされていたとは言え、病室の番号を一つ一つ確かめてゆくのはどこか冒険、探索に近いものがあった。前澤が入っている部屋は六人部屋らしいが、前澤以外には一人の名札がつけてあるのみだった。

 音を立てないよう引き戸を開ける。もしかしたら前澤が眠っているかもと思って静かな足運びで中に入ったが、早々に前澤と目があった。左側の廊下側でノートパソコンを開いていた。

 ノートパソコンのへりからはみ出た前澤の目。

 前澤の表情は高畑を歓迎していた。途端に顔が弾けてベッドの横にやって来るのを待っていた。高畑がベッド横のスツールに腰かけるまで、彼女は足取りを顔で追った。どうしてだろう、目のクマがひどかった。

「起きていても大丈夫? 面会できるようになったって聞いたから、とりあえず来てみたんだけど」

「大丈夫ですよ。この通りです。昨日先生が来たんで、先生から聞いたんですか」

「そんなところ。本当は浦も一緒に、と思ったけれど、知ったのが昨日の夜だったから。とりあえず俺だけで来た。浦たちとは別のタイミングで来るよ」

「私は待ってますよ。まだまだ入院生活は長そうですから」

「そんなによくなかった?」

「いや、話を聞くと、この手の怪我だとそれぐらいが普通なんですって。大体半月で抜糸して、その後は様子を見て退院時期を見極めるらしいです。そこでおおむね一ヶ月と」

 病院着を着ていなければ前澤は図書室で見た様子とさほど変わっていないように見えた。何者かにナイフで刺されて病院に担ぎ込まれたとは考えられなかった。

 前澤を眺めているとちらちらと視界の端っこに映ったり映らなかったりするのが端末の画面だった。複数の仕切りで区分けされていて、それぞれに細々とした設定項目が並んでいる。一番大きなところには階層づいたアルファベットが並んでいた。情報量が多すぎて一見すれば何が何だか分からない画面、しかし高畑にはそれがプログラムであることは一目瞭然だった。

「プログラムを組んでた? あれ、文化祭のやつ」

「そうです、ここだと寝てる以外にやることがないんで、いっそここで開発をしてしまおうと」

「今は休むのが大事ではあるけれど、無理していないならいいんだけど」

「それがですね先輩、何もやることがない環境っていうのは捗るんですよ。これ以外やることがないので。入院生活なのは不本意ですが、進捗的にはホクホクです」

 高畑が見やすいよう前澤が端末を横に回した。端末が動くにつられて目を向けたところで、一番左端を占めるソース一覧に好奇心が湧いた。ソースツリーが展開されていたりディレクトリ単位で集約されていたりするが、それでもスクロールバーが豆粒のような大きさになっていた。大体十三インチほどの大きさの端末だ、豆粒から想像されるソース数は数百。

 一人で数百のソースファイル。高畑の感覚では一人で扱う規模のソースではなかった。数人が膝をこすりあわせながら立ち向かう開発規模のソース量だった。

「それ、一人で書いたの? 学校で見た時はそんな量になかったと思うが」

「ここで実装し始めた結果ですよ。本当はもっと素朴な感じのソフトになるはずだったんですけど、いろいろと凝っちゃっいまして、ノベルゲーが3Dアドベンチャーになっちゃいました」

「えらい進化だな」

「はい、没頭に没頭して、気がついたらイラストがポリゴンになってました」

 端末を元に戻せば前澤はキーボードに手を置いた。すでに開かれていた数百行のソースに手を加え始めた。マシンガンのようにキーを叩き込んで、トラックパットを指でなぞればさらなる銃撃を繰り広げた。

「まあ、ひたすら書き続けないと思い出しちゃうんですけどね」

「事件のこと?」

「ええ、本当はパソコンダメなんですよね、この病院。でも何もしないでいるとまた同じことが起きそうな気がして、すごく辛かったんです」

 ふと、手が止まった。

「だから端末を使わせてもらうようにしたんです。プログラムに集中していれば全部忘れられます。頭の中をプログラミング言語と設計とモデリングでいっぱいにすると、『アレ』を追いやれるんです」

「ここに来てから、どれだけ書いた?」

「ざっと三万ステップですかね」

 いつもと変わらないように見えたことが間違いだった。前澤は壊れかけていた。存在の分からない何者の襲撃にまだ怯えていた。プログラムの檻に自らを閉じ込めて隠れていた。ひたすらプログラムにのめり込んでソースコードのアルファベットに身を埋めているのだ。

 目の下のクマはそういう意味だった。

 高畑は当時のことを聞くつもりだった。当然ながら前澤の調子がよいことが前提だが、元気そうに見えるから頭の中ではどう聞いたらよかろうかを考えているところだった。

 しかし、前澤の容態は悪い。

 逃げているところを内側から刺してしまってならない。あの時のことを考えさせてしまうのは避けなければならなかった。

 ならば、と高畑は考えた。もっとコードの中に押し込んでしまえばいい。

「プログラムで何か困っていることはあるかい? よければ相談に乗るよ」

「実はちょうど聞いてみたいことがあったんです。あるクラスなんですが、オブジェクトとしての構造がなんだかしっくり来なくて。インターフェースか抽象クラスの扱いがまずいような気がするんですけれど、手詰まりなんですよ。アドバイスもらえませんか?」

 高畑は椅子をベッドに近づけて画面が見やすいように移動した。前澤も前澤で端末をできるだけ高畑に近づけて自らも横にずれようとした。途端に顔をしかめるものだから前澤を制して、高畑はもっと椅子を近づけたのだった。
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