境界の扉

衣谷一

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3.俺らはモンスターになった

拓朗の記録

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 データさえ回収出来てしまえば拓朗の部屋にとどまる用事はなかった。全てのデータの複製を行うこと一時間。処理が終わるまでの間にデスクの引き出しの中を漁ってみたものの、収穫らしい収穫はなかった。手がかりらしきものがあったとしても、まともに読むことのできないなぐり書きか、文字か怪しい物ばかり、デスクの上に散乱していたものと程度は変わらなかった。

 自宅に帰ってきた高畑は早速持ち帰ってきたハードディスクを使って外付けドライブを組み立てて、自らの端末に接続する。唯一の懸念は暗号化されていてデータがまるっきり見ることができないという点だった。幸い、石田拓朗の端末では暗号化はされていなくてすぐにファイルを認識することができた。

 フォルダの構成をざっくり確かめて使い方の癖をつかむ。ドライブ直下とプリセットされたフォルダの配下をいくつか確認すれば大概どういう考え方でフォルダを作りこんでいるかは判別がつく。

 石田は雑に分類するタイプらしい。それっぽい分類名を与えてフォルダを分けているようだけれども、その実、フォルダの中に入っているものが関係のないものであることが多かった。フォルダを作っただけで満足したのか、中身は空っぽというのはザラにあった。かと思えば様々な種類の名前やファイル形式が混在しているフォルダも。どう見ても怪しいファイルが入っていて、よくよく調べてみればエロゲーのファイルだった。どう見ても正規ルートで手に入れたものではなさそうなファイル。高畑は見なかったふりをして別のフォルダを確かめに移った。

 それっぽいファイルを改めてみて分かったことは、メモ書きをどうやらデータ化しているらしい点だった。石田拓朗の部屋で読むことのできたメモがそれぞれテキストファイルとして読むことができて、ほかにもごく短いテキストが打ち込まれたファイルが大量に見つかった。

 なんとなく、ぐにゃぐにゃな線で書かれたメモの意味も分かった。ほとんどは思考の整理に使っているらしかった。図書部の歴史をどこかで調べてきて、どれだけの号の部誌がありうるのかという考えをまとめたデータだったり、部誌の文章として使うつもりだったのだろう、少しばかり気の利いた文章を書いていたりしていた。

 いつの号を見て、境界の扉について書かれているのか否か。昭和三十年代はじめにはバツ印をつけていたのだが、表計算データではもっと、昭和を通り越して大正時代までの部誌にまで記載があった。時々丸印がついているのが怖かった。

 ハードディスクの一角にまとめて置いてあったのは書き起こしと思われるテキストだった。古めかしい言葉遣いをふんだんに使った、テキストファイルには似つかない表現は、読み解けば境界の扉について描かれていると思われた。丸印をつけた年の内容がファイル名に含まれていた。

 境界の扉に対する図書部の関心は波のようだった。いくつもの作品が境界の扉を取り上げたかと思えば、しばらくはぱたりと関心がなくなって、しばらくの時間を経てから盛り上がりを見せる。昭和に入ってからその期間は十数年以上となっているが、大正以前は、数年間隔での波らしかった。

 境界の扉を題材にした小説。

 『境界の扉とは何か』を真正面から考える論説。

 境界の扉の噂の広がりようを考えた文章。

 石田拓朗がしているように、境界の扉を見つけようとあくせくした記録。

 波にのって境界の扉に寄ってたかる人は大概似たような内容のことを書いていた。先行作品や先行研究について確かめないのだろうかという疑問はあったが、気にしていたってしょうがない。高畑に必要なことは、石田拓朗の足跡の手がかりとなる情報を見つけることだった。さしあたっては、境界の扉に近づくための情報を導き出すことだった。

 フォルダ名とは一見関係のなさそうなファイルを適当に開いては斜め読みをして閉じるを繰り返していたところ、画面いっぱいに文字が敷き詰められるという事態に遭遇して思わず画面に吸い寄せられてしまった。『7月のちょい書き』と称されたフォルダを見ていて、そのほとんどは文字通り付箋のように少しばかりのことしか書かれていなかったが、たまたま開いた『検討メモ』なるメモの情報量は一線を画していた。

 高畑は目薬を差して石田拓朗の残したものと向き合う。書いてある内容を画面にかじりついて読み込んでゆく。一文字一文字を確実に読み落とさないよう、瞬きも少なくなった。

 ――境界の扉を出現させる方法については昔から境界の扉に関する関心事の一つだった。境界の扉の始まりは何だったのか、境界の扉を出現させる方法は何か、境界の扉の向こう側に何があるのか、境界の扉が現実に及ぼす影響は何か。

 ――特に出現方法の議論は明治中期から明治末期、大正のはじめに積極的だったらしい。まとめると必要なことは四つあるらしい。

 ――一つ、職員室の正面右側の柱に清酒を注ぐ。

 ――一つ、四番の教室の後方右側一体に塩をまく。

 ――一つ、九番の教室の黒板に扉を開けたい人の血をこすりつける。

 ――一つ、まだ調べきれていないけれど、どこかの教室にネズミの死体を置く。

 ――残る課題はどこにネズミの死体を置くか、という点だが、資料を読みに行くがてら現地で調べてみなければ。

 高畑が石田の記録を読みながら気分が高まってゆくのを感じた。石田拓朗が確信に迫っていっている。彼が境界の扉に入って、その向こうに行ってしまったことは知っている。だがこうやって思考の経過を再体験すると頭が興奮してくる。もっと知識を求めてしまいたくなるような麻薬じみた快楽だった。

 だが、思考の中に知らない言葉があって、のどに刺さった魚の骨のようなもどかしさに首元が気持ち悪くなった。

 四番の教室。

 九番の教室。

 教室なのは明らかだったが、それがどこの教室を指しているのかが見当もつかない。隅から数えて四番目、九番目なのか。それとも通称として番号で呼ばれている教室があるというのか。それはそれで聞いたことのない話だった。

 わざわざ『三年三組の教室』、といった呼び方をしない理由はあるだろうか。高畑は画面からひとまず距離を置いて腕組みをしてみた。目をつぶって暗闇の中からその可能性を取り出してみようと試みてみたが、あまり有効な答えには思えなかった。常に同じ学級が同じ教室を使うわけではないから、というアイディアは浮かんだものの考えづらかった。大正の人か明治の人か分からないが、先見の明がありすぎるというものだ。

「教室をクラスではなくて番号で呼ぶ理由ってある?」

 浦めがけて問いかけをメッセージしてみたが、送信した後に浦は何も事情を知らないことを思い出す。当然ながら、

「突然過ぎて何も分からないんだけど」

とお叱りのメッセージだった。

「石田弟の部屋に家宅捜索して押収した端末のデータに『四番の教室』『九番の教室』ってキーワードの言葉が出てきたから、違和感があって」

 高畑はスマートフォンの画面をじっと見つめて浦の返事を待ち構えた。

 少しの間だった。

「教室を番号で呼ぶ理由なんて分からないよ。普通の教室ならクラスで表せばいいし、特別教室の類ならそう言えばいいし」

「やっぱり思いつくことないよね」

 スマートフォンを机に置いてから大きくのけぞった。二つのワード。大事なキーワードであることは間違いなくて、しかし意味するものは分からない。右にも左にも行けない気持ちが冷静さをじりじりと奪ってゆく。誰に聞けば分かるだろう、誰が知っているのだろう。天井を仰ぎながら頭を巡らせる。

 耳障りな音が机から発せられる。机のケータイが震えていた。

 画面に目を向けた瞬間に頭にさし水されたようになる。

 音声通話の着信。石田拓朗からだった。
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