人生・にゃん生いろいろ

景綱

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おかえりの言葉

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『おかえり』

 何とも言えない心がほんわかする言葉だと思う。誰かそこにいる。一人じゃない。そう思えるからだろうか。誰もいなかったらこの言葉は聞こえてこない。当たり前だけど、そう思うと寂しくなってしまう。
 スマホに話しかければ答えてくれるかもしれないけど、それも虚しくなる。試しに「ただいま」と言ってみたら、確かに「おかえりなさい」の言葉が返ってきた。しかも、音楽アプリを起動した。なんでだろう。音楽でも聴いて楽しんでとの気遣いだろうか。
 スマホに感心してしまった。

 それはいいとして、私は今まで一人暮らしをしたことはない。だから、『おかえり』の言葉をかけてくれる人はいた。いや、子供の頃その言葉をかけてくる人がいなかったときがあった。共働きで学校から帰ると一人だったことがあった。

 誰もいない家に帰るってなんとも寂しいものだ。それこそ、「シーン」って音が聞こえてくる気がしてしまう。もちろん、そんな音はしない。だから、ずっと家にいるよりもどこかへ行ったほうがよかった。気が紛れるから。
 近所に駄菓子屋さんがあって、よく買いに行ったことを思い出す。駄菓子だけじゃなくカップラーメンもそこで買って食べた。その駄菓子屋さんはなくなってしまったけど。

 思い出したら少しだけ寂しさが募った。

 そうそう、一人暮らしはしたことがないと話したけどほぼ一人暮らしだったことはあった。
『ほぼ』ってどこかのCMじゃあるまいし。どういうことって思いだろうが、寮生活をしたことがあるってだけの話だ。
 そこには先輩や同僚がいたし料理を作る寮母さんもいた。一人ではないけど、自分の部屋にいけば一人っきり。つまり、ほぼ一人暮らしだ。そう思ったけど違うだろうか。
 まあ、そこはスルーしてくれてかまわない。

 関係ないけど、あの犬のお父さんのCMは好きだ。『ほぼ』じゃなく、結構好きだ。
 はい、もとの話へ戻そう。

『おかえり』の言葉は愛ある言葉だ。そういうことだ。
 そこで、思い出すことがある。
 もちろん、猫のことだ。なにがもちろんなのかわからないけど。

 まさか、猫が『おかえり』と口にするのかと思った人。それは流石にない。猫好きとしてはあってほしいけど。テレビとかで『ごはん』とか『食べる』とかしゃべる猫がいるなんてやっているけどあれは……。いや、みなまで言うまい。あれはあれでほっこりする。和む。きっと私自身、そんな言葉を猫が口にしたら「ごはん、今用意するよ」とか「はい、はい。お腹減ったんだね」とか答えているだろう。人のことは言えない。

 かまってほしいときの猫のおねだりする感じ、もう可愛すぎ。デレデレだ。
 猫の思う壺だ。きっと猫はしめしめとでも思っているかもしれない。いやいや、そんなことはない。単純にごはんが欲しいとの思いからそうするだけだ。純真無垢だ。そう思うことにしよう。
 おっと、話がまた逸れてしまった。私の悪い癖だ。脱線脳と呼んでもらって構わない。そうそう、猫がしゃべるという話をしたいわけじゃない。

『おかえり』の話だ。

 実は、私が家に車で帰ってくると通い猫さんが小走りでやってくる。車の音でわかるのか毎日ではないけどやってくる。玄関前で待っているときもある。それが『おかえり』と出迎えてくれているようで笑顔になってしまってね。
 通い猫さんと旦那さんが二匹でいることもある。通い猫さんの子供までやってきたことある。そのときはもう心が満たされる。幸せを感じさえする。
 猫は言葉を話さないけど、行動で『おかえり』を伝えてくれている。そう思いたい。



 心を満たしてくれて、ありがたいことだ。



 そう思っていることはわかっているのか、わかっていないのか。
 もしかしたら『ごはん、ごはん、早くごはん頂戴』と言っているだけかも。おそらく、それが真実だろう。
 それでもやっぱり猫が好き。

 ほら、今日も玄関開ければ隙間から顔を覗かせる。癒しの押し売りだ。
「お代は、カリカリのキャットフードで」
 そんな感じだろうか。

 あっ、窓からも「ニャー」だ。



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