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第4章 意趣返し

8 龍の宝珠(2)

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「ガシャドクロ、あいつらを喰ってしまえ」

 孝が叫んだとき、突然、五人の子供たちが淡い光に包まれた。

「あっ、目が」
「僕、なにしていたの」
「よく見えるよ、すごいよ」
「なんだか明るくなった気がする」
「みんな目が二つある、やったー」

 歓喜の声が響き渡り五人の子供たちが笑顔のまま姿を消した。
 孝が舌打ちをして五人の子供たちがいた場所を睨みつけていた。

「くそったれ、役立たずが。ガシャドクロ、さっさとそいつらを呑み込んでしまえと言っているだろう」

 ガシャドクロが大口を開けてこっちに向かってくる。
 このまま死ぬのか。八岐大蛇は何をしている。どうして動かない。まだ自分には力が足りないのか。

「ふん、馬鹿な奴らだ。こいつは僕が連れていく」

 孝は徹の霊体へと近づいた。

「うっ、いてぇ」

 孝が突然喚き大和はチラッとそっちへ目を向ける。小さな龍が孝の手に噛みついて手にしていた水晶玉が落ちていく。

「こいつ、力もないくせに」

 小さな龍は振り飛ばされてしまった。だが孝はまたしても喚きはじめた。烏が頭を突いていた。八咫烏だ。

「またおまえか。性懲りもなく僕にまた首を絞められたいのか。阿呆な烏だ。今度は逃がさないぞ。丁度いい、餓鬼道まで案内しろ」

 八咫烏は首を孝に掴まれて喘いでいる。
 八咫烏を心配している場合じゃない。ガシャドクロの手はもう目の前まできていた。

 大和は剣を手にしたものの何もできずに棒立ちになっていた。その間に鬼猫は反撃することもできずに呑み込まれてしまった。大黒様も恵比寿様も続けて呑み込まれてしまった。

「あはは、やっぱり馬鹿な奴らだ」

 孝の嘲笑う声が耳朶を打つ。
 何もできずにやられてしまうのか。けど、小さな龍も八咫烏も力がないのに諦めてはいなかった。自分も諦めたらいけない。そうだろう。

 ガシャドクロの目が愛莉に向いた。大和は心臓が凍る思いがした。まずい、このままでは全員あの口の中の闇に吸い込まれてしまう。ここは自分がなんとかするしかない。

 大和はグッと天叢雲剣を握りしめた。頼む、力を貸してくれと祈った。
 ガシャドクロの手が愛莉へと伸びてくる。ダメなのか、このままやられてしまうのか。大和はすぐに否定した。諦めるな、諦めたら終わりだ。そんなこと、絶対にさせない。
 そんな大和の思いとは裏腹に愛莉はガシャドクロの手に囚われてしまう。
 愛莉も呑み込まれてしまう。そんなの嫌だ。

 大和は「やめろーーーーー」と思わず叫んでいた。

 叫び声が風となり光となりその場の空気を震わせた。ガシャドクロの手も止まり愛莉は解放された。邪魅のほうは孝の身体から押し出されるようにして飛ばされて壁に背中を打ち付けていた。

 孝はぐらりと身体を揺らして膝をつき、その場に倒れ込んでしまった。意識を失っているようだ。その横を霊体となっていた徹が身体に吸い込まれていくように飛んでいった。

 大和は自分でも何が起きたのかわからなかった。何かが自分の中で解放されたのだろうか。あれ、これはいったいなんだ。いろんな記憶が頭の中を駆け巡りはじめる。

 これは素戔嗚尊の記憶か。
 海原でひとり寂しくいる自分、天照大神に侵略者と間違われてしまう自分、信じてもらうために誓約を行った自分、八岐大蛇を退治しに行った自分、力を貸してくれた櫛名田比売。
 なぜだか大和は涙を流していた。

「大和、愛莉はここにいるよ。大丈夫だよ」

 愛莉の笑みが眩しかった。

『我らもいるぞ』

 大和は顔を上げてあたりに目を向けた。今の声は大黒様か。ガシャドクロに呑み込まれたはずだ。空耳だったのだろうか。やはり姿はどこにもない。

『おまえの心に語りかけている。我らはまだ生きている』
『そうだ大和にこの世の未来がかかっている。心して聞くのだぞ。八岐大蛇の目を見て命令をしろ。あいつは素戔嗚尊の命令を待っている』

 大黒様に続いて鬼猫の言葉が心に響き、ハッとして我に返る。ガシャドクロと邪魅はいまだに動きを止めている。大丈夫だ。大和はすぐに八岐大蛇の目を見遣りガシャドクロを葬れと叫んだ。鬼猫の言う通り八岐大蛇が八つの頭をもたげて一斉にガシャドクロに喰らいついた。バリバリと嫌な音を立てて骨が砕かれていく。

 んっ、なんだ。眩しい。

 突然、光があたりを包み込み何か大きなものの影が現れた。また別の妖怪が現れたのかとも思ったのだが違った。
 龍だ。徹を守っていたあの龍が水晶玉を手にして本来の姿を取り戻しつつあった。

「あれは龍の宝珠だったのか」

 龍が手にした七色に輝く珠が四方八方に光を放っていた。
 龍は力を完全に取り戻したようだ。龍の口には邪魅が捕らえられている。

「やめろ、降参するから。頼む、許してくれ」

 あいつはさっき孝に取り憑いていた邪魅と同一人物なのか。命乞いをする邪魅の情けない姿がそこにはあった。

 形勢逆転だ。
 いつの間にか禍々しい気が薄れて心地よい気が流れてきていた。

 龍は重低音の声音で「すぐに戻る」とだけ呟き天井の穴へと飛び込み邪魅を連れて行ってしまった。粉々になってしまったガシャドクロの残骸は八岐大蛇がすべて吸い込んでしまった。

 気づくと天井の穴は塞がれており、もとのどこにでもある病室に戻っている。
 外に目を向けると明るくなっていて朝陽が顔を覗かせていた。
 鬼猫たちはどうなってしまったのだろう。生きていると確かに耳にしたのに。ガシャドクロとともに無に帰してしまったのだろうか。

「あれ、僕……」
「徹、目が覚めたのか」

 徹は起き上がろうとして腹を押さえて顔を顰めた。

「寝ていろ。まだ傷が癒えていないんだからさ」

 大和は徹に微笑み頭を撫でた。よかった、徹だけでも生き返れて。

「ねぇ、パパとママは」

 大和は徹の言葉を聞いた瞬間、なぜか徹の両親の姿が頭に浮かんだ。意識を取り戻して瞼を上げる瞬間がはっきりと映る。

「徹、大丈夫だ。無事だよ」

 その言葉に安心したのか徹はそのまま眠ってしまった。

「あっ、見て。龍よ」

 愛莉が指差すほうに目を向けると天空を舞う龍の姿が目に留まった。近づいてくる。あの小さかった龍だ。どうやら邪魅も排除されたようだ。

 あっ、龍の背にいるのはもしかして……。
 龍はもう病室には入れないくらいの大きさになっていた。窓の外の景色は見えず龍の巨大な顔に埋め尽くされている。その龍の頭の上に鬼猫がひょっこり顔を出した。そのあとから大黒様と恵比須様が顔出す。コクリはと思ったら奥から飛び跳ねて窓ガラスをすり抜けて病室へと着地した。

 終わった。これで本当に解決した。

「鬼猫、今度こそ解決したんだよな」
「ああ、そうだな」
「そうだ、あの子はどうする」

 大和は気を失っている孝を指差した。
 大黒様が胸に耳を押し当てて「大丈夫、生きている」と呟き孝を抱えると「この子の病室へ連れて行こう」と病室を出て行った。入れ違いで力士が顔を出す。

「おお、蹴速。うまくいったようだな。それで百目鬼はどうした」
「鬼猫、すまん。逃げられた」
「そうか、まあいい。約束ははたしてくれた。けど、いつか必ず償わせてやる」

 大和は大きく息を吐き鬼猫に目を向けた。

「どうした大和」
「終わったのかと思うとちょっと気が抜けてしまって」
「まあ、そんなものかもな」

 んっ、足音がする。誰かの声もする。看護師だろうか。
 愛莉と目が合い大和は「誰か来るみたいだけど、どうする」と問うた。

「もちろん、逃げるが勝ちよ」

 愛莉はニコリとすると窓を開けて龍の背に飛び乗った。ええっ、それはちょっと。

「大和、早く来なさいよ。そこにいてもいいけど、どうなっても知らないわよ。この状況を説明できないでしょ」

 徹の病室はいろんなものが落ちていてまるで地震のあとみたいになっていた。
 確かにここにいたら大変だ。気づくと全員龍の背に乗っていた。ああ、高所恐怖症なのに。もうどうにでもなれ。大和は勇気を出して龍の背に飛び乗って目を閉じた。

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