わたしを証明する全て

上杉

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 一親等以内の親族がいるであろう、自宅への道のりは散々だった。

 一か八か会社の最寄り駅に入り、改札で手首を翳すタイプの静脈認証を試したものの入れず、圭太は家までの五駅分の道のりを歩くことになった。

 残暑の空気をまといながら、ワイシャツの袖を捲り、全身に汗をかきながら重い革靴で歩く。もちろんこのような状況では少し歩いただけで喉が乾いてしまうので、何も考えず普段通りに、道端に設置された自動販売機を利用しようとした。個人データと銀行口座や電子マネーが紐付けられているので、普段なら内蔵されたパネルに指を触れるか、先ほどと同じように手首をかざすだけで良い。しかし、いまの自分ではそれを行っても購入できなかった。現金など滅多に持ち歩かなくなり、現物すら見なくなった現代において、もはや資産を取り上げられたことと同一であった。

 さらに家まであと二キロというところで、足を休めようと公園のベンチに座り、休憩をしていても、いつも暇を潰している彼の唯一の生きがいであるスマホゲームすらできないのだ。その行程は彼にとってまるで地獄のようであった。財産も、与えられた利便性も、生きがいも、そして自分を証明するものすら奪われて、残ったものはこの精神と体だけになってしまった。

 国民に利便性を提供し続けてきた「複合型個人認証システム」が、まさか自分に牙をむくなんて。彼は今まで考えもしなかったが、それは当然であった。

 産まれた時に登録され、幼い頃からこの便利な生活にどっぷりと浸かり、今の今まで恩恵を享受してきたのである。それは彼だけでなく、このシステムを利用する国民全体に言えた。彼らは完全に信用しきっていて、そして完全に無知であった。圭太は歩きながら考える。

(俺がこうなっているのは実は始まりにすぎなくて、SF映画のようにー登録された全ての国民が自分であることを証明できなくなって、認証から弾かれて、ありとあらゆるものを奪われていくとしたら。

 社会の何もかもが止まって、システムを掌握したものに全てを委ねることになる。それは人間なのか、それとも別のものなのか……)
 そうして妄想しながらも歩を進めていくうちに、彼は徐々に疲労と水分不足から来る極限状態に陥っていた。
 そんな彼の頭にふと浮かんだのは、彼自身の存在が本当にこの日本から消されてしまったのではないか、という仮説であった。一人とぼとぼと歩いている中で知り合いに会うこともなく、自分が田中圭太であることを全く証明できない今の状態では、彼はもはや正常ではいられなかった。SF映画と言わずとも、気付かぬうちに犯罪者に仕立てられているのではないか。

 そう頭に浮かんだ彼は、自身も気づかぬままに、いつの間にか駆け出していた。自分以外の「田中圭太」と繋がりのある全てー今向かおうとしている家や、そこに住む両親や兄弟、そしてハルオという大切な家族すら、悪意を持った第三者が消そうとしているのではないか。いや、もうすでに消されているのではないか。

 圭太は呼吸するのも忘れて駆けた。
 道のりは残り一キロを切っていた。
 マンションの間をすり抜け、住宅街に入り、散歩中のおばあちゃんの脇を駆け抜ける。
 この道、今視界の左を占めるブロック塀を左折すると、その先には我が家があるはず。
 きっとあるはずー
 必ずあってくれ……
 切実な思いで塀を曲がった彼は、足元に全く気を配っていなかった。
 そのため、排水溝の段差につまづき、勢いを保ったまま転んでしまった。
 スーツが破れ、隠れていた膝が露わになるとともに血が滲む。
 焼けるように痛むそこを庇いながら、恐る恐る顔を上げた。


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