わたしを証明する全て

上杉

文字の大きさ
5 / 5

5

しおりを挟む

 目の前には、朝出勤したときと変わらない家があった。
 負傷した左足を庇いながら玄関の前の階段を上がり、落ち着いていつものように扉に手をかけた。
 戸は開かなかった。
 彼の家であるはずの建物は、彼の侵入を拒絶したのだった。

 へなへなと玄関の前に座り込み、呆然と扉のガラス部分から、奥に広がる室内を見る。
 そこにはこの時間ならばいるはずの母の気配も、聞こえてくるはずのテレビの音もなかった。
 家は静謐を保ち、奥をじっくり覗いても、玄関には靴すら置いていなかった。
 そして彼の大切な一匹であり、圭太が帰って来ると必ず玄関でうるさく出迎えてくれるハルオの姿もなかった。

 家はただの抜け殻であった。 

「間に合わなかった……後は、俺だけなのか……」
 そのままの状態で、彼は涙をこぼした。
 これからどうしよう、などと考える余裕はなかった。
 ただただ家族を奪われた悲しみに浸るしかできなかった。
 自分のせいで命を失った皆のことを思うと、彼は涙をこぼすしかできなかった。

 圭太がそうやって声をあげて泣きはじめた時だった。
 きい、と玄関の階段前に設置された、簡易的な門の開く音がした。
(ああ、俺を消しにきたのか)
 圭太は内に秘めた感情を抑えながら、自分たちを消そうとしている者と向き合う覚悟を決めた。そして頬に伝う涙を拭うと勢いよく音の聞こえた方を見た。

「あれ、あんたこんな時間に何やってんの」
 門を開けたのは、消されたはずの母であった。買い物袋を提げ、後ろにはものすごい勢いで尻尾を振る愛犬の姿も見える。
「……どうして」
「それはこっちのセリフでしょう!あんた会社は?そんなひっどい姿でどうしたの?ーーああ、スーツ破っちゃってもう、いい社会人が何をやってるの……」
 いつもと同じように、他の話題が出てくるまで次々と続く愚痴がこぼれた。正真正銘、圭太の母であった。そのいつもは煩わしい自分への文句を聞きながら、彼は再度安堵した。ああ、みんな生きていた。そして、俺はちゃんと俺だった。そうして涙腺が緩んだのであろうか、また自然と涙が溢れる。何泣いてるの、と母の愚痴は続いていたが、それすらも愛おしいと今の彼には思えた。一人と一匹の姿を見てようやく落ち着いた圭太はともに家に入り、そして今に至った経緯を説明した。
「それが、まず会社に着いてから建物の中に全然入れなくて、それで会社に電話して開けてもらおうとしたらスマホも使えないし、次に交番に駆け込んだら不法入国者と間違えられて!親に頼めば認証情報を開示できるから、って言われて家に帰ろうと思ったけど、まず電車にも乗れない!それで歩いて帰ろうとして喉が乾いても何も買えない!スマホも弄れない!しかも俺だけさあ!どういうことだ!って」
 圭太の口調が初め悲しみを含んだものから徐々に怒りに変わり、最後はまるで八つ当たりをしているようであった。彼の話を聞いていた母も、初めは比較的真面目に聞こうとしていたが、徐々に彼のある過ちに気づき、そして終わった時には呆れたような視線を彼に送っていた。そして、大きなため息をついてこう言ったのだった。
「はあ、まさかとは思ったけど、本当にそうなるとは」
「へ?」
「本当に、あんなところで寝てるから……でも、まさか、遅刻した挙句に話も聞いてないとはね。もごもごよくわかんないこと言ってたから心配ではあったけど、本当に聞いていないとは。私ちゃんと言ったのに!」
 どういうことなのか、今の彼には全く状況が掴めなかった。しかし、母の今の雰囲気から、圭太は自分が大きな間違いを犯していることを察し、上目遣いをして小さな声で言った。
「あの、お母さま、どう言うことですか……?」
「ほら、通勤鞄の中!よく見て!」
 怒る母に言われるがまま自分の鞄を漁ると、そこから見慣れぬ小さな封筒が出て来た。中には葉書位の大きさの指紋認証付きホログラムシートと、書類が封入されていた。
 その紙にはこう書いてあった。


 S県Y市T町三丁目にお住いの皆様

 複合型個人認証システム移行による認証停止と仮コードご利用のお知らせ

 日頃から、複合型個人認証システムをご利用いただき、誠にありがとうございます。
 皆様にご利用頂いている等サービスですが、データ量の増加に基づくシステム遅延の発生を受けまして、大幅なシステム改築を行うこととなりました。
 それに伴い、各地区ごとに段階的なデータの移行と通信確認を行いますので、予め指定された時間帯のみ認証の解除が不能となります。ご不便をおかけして誠に申し訳ありません。従いまして、この時間帯に認証を解除される際には、送付しております別紙上の暗号化コードをご利用下さい。こちらは紙面下部の認証窓に右手親指を触れた状態で、各端末にかざすなどしてご利用下さい。
 ご不明な点がありましたら、下記番号へお電話頂くか、お近くの役所へ相談窓口を設置しておりますので、ご利用いただきますようお願い申し上げます。
 皆様には大変ご迷惑をおかけいたします。よろしくお願い申し上げます。

 記

 日時:二〇六二年九月五日 午前八時三〇分~十時三十分
 対象の皆様:S県Y市T町三丁目二の二十一にお住いの皆様
 お問い合わせ先:システム移行推進部事務局 ×××ー××××ー××××


 圭太はその紙を持ったままの状態で母に問いかけた。
「……母上殿、今何時?」
「今?自分で見たらいいじゃない。
 ーー十時三十五分よ」
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

ちゃんと忠告をしましたよ?

柚木ゆず
ファンタジー
 ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私フィーナは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢アゼット様に呼び出されました。 「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」  アゼット様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は最愛の方に護っていただいているので、貴方様に悪意があると気付けるのですよ。  アゼット様。まだ間に合います。  今なら、引き返せますよ? ※現在体調の影響により、感想欄を一時的に閉じさせていただいております。

今更……助けてくれと……言われても……

#Daki-Makura
ファンタジー
出奔した息子から手紙が届いた…… 今更……助けてくれと……言われても……

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

処理中です...