カラー・マン

上杉 裕泉

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 とある金曜日のことだった。

 朝倉祐二外務省長官は沈み始めた日を背に、一人自室で箒を振りかぶっていた。
 ―壁の姿見で空いた時間に練習できるのはこの役職の特権だ。そう思いながら彼は形を確認しながらスイングに励む。

 朝倉がこうして頑張っているのには理由があった。明日から行楽日和の三連休。彼の妻と娘は二ヶ月ほど前から旅行の予定を立てており、絶好のゴルフチャンスであることを理解した彼は、すぐさま仲間に声をかけゴルフ場を予約したのだった。

 朝倉にとって接待でなく時間を気にせず回って一日ゆったりできることなんて滅多にない事だった。
(それに今週末はいい天気なうえ風もない。きっと最高値が叩き出せる!) 
 彼はその一日のためにせっせと練習していたのである。

 ふと時計を見れば時報がなるまであと五分というところだった。
 ―もう少しやっておくか。そう思いながら再度箒に手を伸ばしたときだった。

 ―コンコンコンコン。
 規則正しいノック音が響き、朝倉は思わず手を止めた。
(四回……おいおい……勘弁してくれ)
 日本では一般的でないその合図を受けたのは彼にとって三回目であった。ただ、過去の二回とも確実にやっかいな相手となっていた。
 頼む。せめて今日中に終わる案件であれ―。
 そう願いながら作り付けの戸棚の中に箒を隠すと、入口の扉に向かって極めてにこやかに声をかけた。
「どうぞ」
「―失礼します」
 凛と響く声についで現れたのは一人の日本人女性だった。
 その姿に朝倉は心の中で崩れ落ちた。
(―ああ、終わった……)
 それもそのはず二件あるうち一件がまさにこの人によってもたらされた仕事であった。
 朝倉はなるべくにこやかな表情を作り口を開いた。
「これはこれは。水野対外大使。久方ぶりですね。まさか地上でお会いできるなんて思ってもいませんでした」
「お久しぶりです朝倉長官。その節は大変お世話になりました」
「―本日はどのような用件で?」
 すると彼女は手に持っていた紙袋を見せるように持ち上げて答えた。
「少し長くなりますので、給湯室をお借りしてもよろしいでしょうか?アロンの珍しいお菓子とお茶をお持ちしましたので、ぜひ」

 このとき朝倉には優雅で大変貴重な休日が失われたことだけ理解できた。
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