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2章 懐かしい風景
2 八千河市
しおりを挟むぶるる、というエンジンの音で瑞生は目覚めた。
どうやら走行するバスの車内で気を失うように眠っていたらしい。まだぼんやりとした視界の中で、瑞生はふと思う。
――そういえば、あの夢見なかった。
それが首に下げた翡翠のおかげなのか、はたまた失神するように眠ってしまったからなのか。理由はわからなかった。
まあ、いいか――瑞生はがちがちになった背中を伸ばしながらふとあたりを見回す。そして窓を覆うカーテンの奥が明るくなっていることに気付いた。
分厚いそれをめくり、周りの人に迷惑にならないようにその中に入り込む。
見えたのは朝焼けに照らされた青い山々だった。
鮮やかな新緑の山々が奥へ奥へと広がっていく。その目下には瑞生がずっと憧れていた日本の田園風景があった。
――ああ、やっと来れた。
まだ目的地にはたどり着いていない。しかし大地を覆う緑のじゅうたんのように広がる田んぼを前に、胸は高鳴る。
――これから、十年ぶりにあの場所へ向かうんだ。
瑞生はまだ眠気の残る目をこすりながらも、朝靄の残る景色に真剣なまなざしを向けていた。
祖母の故郷である八千河市は、東京から新幹線とバスを乗り継いで三時間――瑞生の乗っている高速バスで、およそ七時間の距離に位置している。
バスは大きな山の中を進みトンネルをくぐり抜け、もう県をいくつも越えていた。
未だ高速道路を行くバスは、一度田んぼの広がる平野を通ったあと、再び山の中へと進んでいく。
瑞生が覚えている限り、八千河市は海に面したまちだった。
元漁村の市ではあるものの、今思えば小さな村や町が集合してできたのだろう。規模は違えど、フランスの町のような親近感を感じていた。
実際、朝焼けに照らされた窓の外の景色はそんな感じだった。
東京のごみごみした人工物の集合とは違い広がるのは山や田んぼそして畑で、そのあいだに家が集まるように建っている。
――きっともうそろそろだ。
到着時間から考えると、八千河のまちが見えてもおかしくはない時間だった。
瑞生の予想はすぐに的中した。
バスがいよいよ山を抜けたと思った瞬間、視界が開けたと思えば、先ほど見た田園とは比べ物にならないほどの平野が、あたり一面に広がっていた。
山で覆われた三方からその裾野へと田畑の緑が続き、それはぽっかりあいた残りの一辺に向けて住宅街に変わる。その奥にはまちの中心となるビル街が見え、周囲には工業団地もあるのだろう。背の高い建物がうっすらと臨めた。
瑞生がわくわくしながらそれを眺めていると、ついに高速道路も住宅地の中へと向かっていくではないか。
そしてバスはついに下道へと降り、まちの中へと進んでいく。
瑞生の幼い頃の記憶には、ありのままの自然の風景しか残されていなかった。
どこまでも広がる田んぼ、光り輝く海原、そして静謐な森の中の泉。
だからバスが古さを感じる商店街の中へと進み、ようやく駅の前で降ろされたとき。思わず言ってしまった。
「ここが、八千河……」
その駅は、瑞生がこれまで日本で使ったどの駅よりも人が少なかった。
ただ建物自体は大きく、貨物列車などの列車も通るのだろう。駅自体は立派で線路も何本も走っていて、このまちがある程度の都市であることを思わせた。
――よかった。これなら大丈夫そうだ。
実は、瑞生は八千河が東京のようにひとが多くて、雑然としていたらどうしようと心配していたのだ。
フランスの片田舎のまったりとした空気の中で生活している自分が、やっていけるのだろうか――そう思っていたが、これならば安心できる。
瑞生がほっとひと安心していたときだった。
目の前のロータリーにタクシーがあらわれ、そこから老夫婦が降りちょうど料金を精算していた。
瑞生は思わずスマホを片手に、急いで運転手のもとに駆け寄る。
「す、すみません!ここに行きたいんです!お願いします」
「……はあ」
運転手はびっくりしていたものの、住所を伝えると祖母の家まで連れて行ってくれた。
駅からは車で十分ほどの距離だったので、次からは歩こうと心に決めながら瑞生は料金を払う。
そうして、ようやくたどり着いた目的地をまじまじと眺める。
――こんな感じだったっけ。
祖母の実家は、普通の日本風の家だった。
一般的な瓦屋根にベージュの外壁で、こじんまりとしていて住宅街に溶け込んでいるように見えた。
もう少し大きかったよな――そう思いながらも、幼い頃の記憶だから大きく見えていたはず、と瑞生は自分を納得させる。
そして鞄の中から目的のものを取り出した。
「……あった」
ちろんちろんと小さな音を立てたのは、母から渡された鍵だった。
それを恐る恐る玄関の引き戸に差し入れると、カチャリと音を立てて無事に扉は開いた。
がらりと空けると同時に生暖かい空気が立ち込めたものの、瑞生は気にせずに中に入っていく。
家の中はすっかり片付けられており、最低限の家具だけが残されていた。
生前整理をしていたのかと思うほど殺風景だったものの、中はなぜか懐かしい匂いが充満していた。
フランスの家とは違う、この草のような匂いはなんだろう――そう思いながら家の中を歩き、瑞生は気付く。
――あ、畳だ。
見つけた和室はちょうど縁側に面しているようだった。
障子の奥からは眩いばかりの光が立ち込め、部屋を照らしていた。
瑞生はそれを開け、続いて縁側の窓も開け放つ。
するとふわりと風が入り、かすかに潮の香りがした。
「やっぱり、この近くに海があるんだ……」
そう思うと、思わず寝転ばずにはいられなかった。
畳からのぼる懐かしい草の香りと、外から身体を包むように入る潮の匂い。
その感覚がまるで足りなかったものを満たすように心地よく、瑞生は思わずごろりと床に脱力してしまう。
こうしてじっとしていても、蒸し暑さは確かにあった。
けれどそれが自分にしっくりくるようで、フランスでいつもかぴかぴになる肌はつるりとしていてさして不快ではなかった。
――ずっと……ここにいたいかもしれない。
そうぼんやりと思いながら、瑞生はごろりと身体の向きを変えようとし、首に重みを感じた。
それは祖母から託されたあの翡翠の勾玉だった。
まるでやるべきことをやれというように主張するそれをTシャツの中から取り出しながら、瑞生は身体を起こして伸びをする。
「……とりあえず、朝ごはん調達しないと」
長距離を移動した身体はすっかり空腹を感じ、すでに唸り声を上げ始めていた。
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