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3章 謎の青年
4 眠れない夜
しおりを挟む「……どうしよう」
瑞生は薄闇の中、和室に用意された布団に横になり、ひとりうずくまっていた。
今から少し前のこと。
車の音が聞こえたと同時に現れたのは、周吾がこの家で同居していると言っていた祖父――青海 丈司だった。
市内から少し離れたここ、旧穂波村集落近くにある、八千河自然博物館の館長をしているらしい。
瑞生は彼のそのくっきりとした顔立ちと眉に、周吾の面影を感じた。表情がないときは賢く厳しそうに見えるものの、笑うとほんわりと緩み途端に優しく見えるのだ。
それは周吾と違いもっと感情豊かに動いたので、日本人が落ち着いているというよりは、周吾個人の性格なのだとひとり納得した。
「瑞生くんは、フランスから来たのか」
優しい声でそう尋ねられたので、瑞生もしっかりと返す。
「はい。母は日本人なので、ルーツはこっちにもあるんですけど」
「確かに、日本語上手だもんな。いやあ、周吾から連絡もらってたけど、この子が友達を呼ぶなんて初めてのことだったから、本当に君がいて驚いたよ」
「……そうなんですか?」
ちらりと周吾を見ると、余計なことを言うなというようにむすっとした顔をしていた。祖父――丈司はというと、そんなことなどお構いなしに柔らかく答える。
「ああ。きみはしばらくこっちにいるんだね?――周吾、この辺のこと、いろいろ案内してあげるんだよ」
「……言われなくてもそのつもり」
ぶっきらぼうに言うと、途端に立ち上がって瑞生にこう告げる。
「行こう。瑞生」
「あ、ああ。……周吾のおじいさん、ひと晩お世話になります」
すると、丈司はひらりと手を振ったので、瑞生は会釈をして周吾の後ろについていく。
だから、丈司のこんな呟きは聞こえなかった。
「まさか周吾が友達を連れてくるなんて。それにしても本当に綺麗な瞳だった。……まさか、な」
ふたりは部屋に戻ったあと、翌日のことについていろいろ話したのだった。
この家のある旧穂波村は、ちょうど川と市街中心部の間に位置しているらしい。だから明日は午前中にバスに乗って中心部に戻り、いろいろ確認することにしたのだった。
周吾はそれが決まったあとで布団を引くと、こちらの体調を気遣ってくれたのだろう。疲れているだろうから早く休めと言い、早々と部屋から去ったのだ。
そうして瑞生はやることもなく横になった。
そして寝るかと目を閉じようとしたものの、突如襲ったのはまたあの恐ろしい夢をみるんじゃないかという恐怖だった。
瑞生の手には、首から外した翡翠の勾玉があった。それをぎゅっと握りしめながら、自分に言い聞かせる。
――瑞生、大丈夫だ。落ち着け。
ばあちゃんの言葉を信じろ。大丈夫。こちらに来てから、まだあの夢をみていないだろう。
そう言い聞かせるも、不自然に高鳴る胸の鼓動が収まることはなかった。
これじゃ眠れない――そう思った瑞生は、とりあえず落ち着こうと水をもらいに行こうとした。
闇の中、家の入口付近のリビングダイニングに向かう。そこは明かりがついていて、ソファに座る周吾の姿があった。
「瑞生、どうした?」
「いや、すこし水をもらおうと思って」
そう笑ったものの、周吾は眉をひそめたあとで心配そうな顔をして言う。
「顔色悪いな。大丈夫か?」
「うん、まあ、たいしたことじゃないんだけど」
あまり心配されたくない、そんな思いで瑞生は言ったもののどうやら逆効果だったらしい。
「……そういう感じじゃない」
周吾はじっとこちらにまなざしを向けながら言った。
「でも……」
「いいから。話して」
そう静かに諭すように言われれば、説明せずにはいられなかった。
何よりこちらを見つめる黒い瞳は真剣そのもので、これまで出会った誰よりも信頼できると思ったのだ。
「笑わない?」
「笑うと思うか?」
瑞生はその言葉に首を横に振った。
ふたりは和室に戻り、再び縁側に座りながら話しはじめた。
月の光が穏やかに輝き、夜風が当たるその場所なら、あの悪夢のことも話せる気がしたのだ。
「――そのあとは……延々と身体を刻まれるんだ。熱くて身動きがとれないなかで、何度も何度も。もちろん、夢だっていうのはわかってるんだ。目が覚めればなんともないって。……だけどさ、感覚がものすごくリアルで、しかもあの夢を見ている間だけ、時間が永遠に思えるくらい長くて……」
瑞生は思わずぶるりと身震いした。
「――小さい頃、それを見てから怖くて寝られなくなっちゃって。それは結局、日本で見た一回だったんだけど、実はこっちに来たばかりのときに一瞬見そうになったのを思い出しちゃったんだ。もうこんな年なのに、恥ずかしいことを言ってるのはわかってるんだ。だけど――」
そう言いかけたときだった。突如瑞生の身体を包むものがあり、それが隣りの周吾の回した腕であることに気付く。
「!……しゅ、周吾?」
「……そんな夢見たら、怖いに決まってるだろ」
「え?」
瑞生の身体を包む周吾の腕に、ぎゅっと力がこもる。
同年代の男に突然抱きしめられたようなものだった。しかし不思議と違和感はなく、むしろその心地よさに瑞生は驚いた。
「こうすれば、少しは怖くないだろ」
そう言われ、思わず聞き返す。
「……信じてくれるの?」
「ああ もちろん」
「…………ありがとう」
瑞生の目から涙があふれた。
それは周吾と初めて出会ったときのような突然こぼれたものではなく。もちろん理由は明白だった。
これまで悪夢のことを話して、こんなにも優しく受け止めてくれた人が、祖母以外にいただろうか。
そんな周吾の優しさに、心がすっかり安心したのだろう。途端に瑞生を眠気が襲いはじめた。
縁側に座ったまま抱きしめる周吾に体重を預けながら、瑞生は朦朧とする中で言う。
「ごめん……急に眠くなってきた……周吾には、本当にお世話になってばかりだ」
そんな中で最後に感じたのは、背中をぽんぽんと叩く心地いいリズムと――。
「……いいんだ。それが俺の役目だから」
そんなよく分からない周吾の言葉だった。
すっかり重たく動かなくなった身体に周吾の腕が触れ、軽く持ち上げられてしまう。
そしてゆらりゆらりと運ばれながら、周吾の冷たくて気持ちのいい肌に包まれ、瑞生は思う。
――まるであの夢の始めの、穏やかな水の中にいるみたいだ。
そうして瑞生は、ある違和感に気付いた。
――あれ?今、自分は眠ったはず。
なのになぜ、閉じたまぶた裏に強い光を感じるのだろうか。
瑞生はゆっくりとそれをこじ開けた。
すると目の前に広がっていたのは、真昼の森の中に降り注ぐ木漏れ日だった。
そこには緑と土のにおいが立ち込めていて、かすむ視界の先には木々の天井が見えた。
どうやら自分は抱きかかえられたまま、あの泉に繋がる小道のような場所を通ってどこかへ運ばれているらしい。
――これは……きっと夢だ。
そう思いながらも、今も身体を包むものの肌の心地よさが変わらないことに気付いた。
自分を抱きしめてくれた、周吾のひやりとした腕。
――まあ、いっか。
夢ならいつか醒めるし、切り刻まれるあの悪夢よりましなのだから。
瑞生は身体を包む冷たさに身を委ねるように、朦朧とした視界の中で再び目を閉じた――。
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