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しおりを挟むもうこの街にいる理由がない――そう思ったところで、どうすることもできなかった。
このまち――拓真の故郷で見つけた今の仕事は充実しているし、職場環境も福利厚生も気に入っている。先日、人事評価面談でいい評価をもらったばかりで、このままここで長く働きたいと思っていた。
だからせっかく馴染んだこのまちと仕事を手放したくはなかった。それに何より、あのふたりから逃げるように引越しをするのも、何だか癪だった。
――……疲れた。
もう、考えなくもない――そう思いながら薄暗い小道を歩いていると、ちょうど道の先が、ぼんやりと明るくなっているように見えた。
どうやらこの道の突き当たりのようで、頭上のアーケードのような屋根も、そこで終わりらしい。
――いい日よけだったのに。
わたしはそう思いながら、渋々突き当たりのT字路に出た。
春の日差しが降り注ぐそこはまばゆいばかりで、ぱっと視界が開けたと思ったら、なぜか目の前に淡い桃色がふわりと広がった。
よく見ると、それは一列に並ぶ桜の並木だった。
どうやらこの道の奥には並行するように、小さな川が流れているらしい。その脇が公園みたいに整備されていて、川辺には桜の並木と遊歩道があり、まわりにはベンチや屋根のついた休憩所も見えた。
視線を向けると、そこには桜を楽しむ人々の姿がちらほらとあった。淡い桃色の下で写真を構える老夫婦の姿もあれば、ベンチに腰掛け下から楽しんでいるカップルもいる。
――いいなあ。
わたしは咄嗟にそう思った。けれど、まさか本当にそう思っただけで終わるなんて、思ってもいなかった。
桜の方へと踏み出そうとした足は、なぜか重たくていつまで経っても動かなかった。いつもなら、あのうつくしい花の下に軽やかに駆けていくのに。
そんなにも、わたしの心は傷付いているのだろうか。わたしはそう思いながら、そのまま川と平行に走る道の端をとぼとぼと歩いていく。
――ここからでも、十分に桜並木は見えるのだから。
わたしはまるで自分を納得させるように心の中で呟いた。
――そう。いまのわたしには、この位の距離でないと眩しさで目がくらんでしまう。
ただでさえ、今の自分は未来がよくわからなくなっているのに。これ以上先が見えなくなってしまったら、わたしは一体どうしたらいいのだろう。
この先をこのまま進んでいけば、とりあえず借りているアパートには帰れる。
普段大通りを通っているから気付かなかったものの、どうやらこの裏道は大通りと並行に走っているらしい。このまま道なりに進めばいつかは帰れるだろう――わたしは直感的にそう思った。
いいショートカットを見つけた、けどあと何回使うのやら。
そう思いながら、苦笑いをしたときだった。淡い桃色がぼんやりと広がる視線の先に、ぱたりとはためく白い布が見えた。
――なんだろう。
近付いてみると、それはお店の白いのぼり旗だった。木綿風の柔らかな白い布地には、いい意味で気の抜けた字で「コーヒー」と書かれている。
見る人が見ればお洒落かもしれない、そんな旗が立っているのは、川に向かうように立つ小さな建物だった。
まわりの昭和の町並みからは浮いているどこかお洒落な見た目に、わたしは不意に自分の記憶に探りを入れてみた。
――このお店……確か……。
このまちに引っ越したばかりの頃。早くまちのことを知りたいと買ってみたタウン誌に、載っていたお店だった気がした。
ビールよりコーヒーが好きな拓真と、一緒に行こうねと言っていた小さなコーヒーの専門店。
わたしの足は、なぜか開かれたままの入口へと吸い込まれるように向かった。
正直、なぜ自分の足が勝手にそうしたのかはわからない。
けれど、多分そこがすこしだけ暗くて狭くて。きっと今の自分にぴったりだと無意識に思ったのだろう。
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