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償い
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高校2年の冬。この冬初めての雪が舞う。
北国生まれで県外には一度も出たことがない。寒さに囲まれて育ったにも関わらず、由貴は寒いのが苦手だった。
「はぁ。」
新年が明けてからの初登校。家から5分のところにあるバス停で、由貴は深いため息をついた。
「付き合ってちょうど1ヵ月だね。」
海に向かう電車の中で聖(さとし)が寂しそうに呟いた。そう、あの日から数えてちょうど1ヶ月が経った。付き合い始めて1ヶ月、そんなタイミングで初めてのデート、記念日づくしのはずなのに「記念日」という言葉を使うのははばかられた。
「そうだね。」
由貴の瞳に重たい瞼がのしかかる。
ちょうど1ヶ月前、由貴は友だちの彼だった聖と付き合うことになった。
「私、聖くんと別れることになった。」
友だちの沙也加にそう告げられたのは、2学期の終わり、期末試験の休みの日だった。
「知っているんでしょう?聖くんから全部聞いたよ。」
沙也加の責めるような強い口調が鉛のように耳にのしかかる。由貴は何も言えずに黙っていた。
「何で黙ってるの。」
沙也加が問い詰める。由貴はなおも黙っていた。しばらく沈黙が続いた後、沙也加が「はぁ。」と呆れたようなため息をついた。
「私も片想いだとは薄々気づいていたし、途中から2人が両想いなんじゃないかなって思ってたからさ。いいの、別に。」
そう言って沙也加はしばらく由貴の様子を見てから手を差し出した。握手を求めている…和解をしたいということなのか、いやそういうことではないのだろうと由貴は思った。仲の良かった2人に訪れる突然の災難に、沙也加もなるべくしこりを残すまいと考えてくれたに違いない。由貴はそう解釈して沙也加の手に自分の手を合わせた。形式上の握手。それから2人は互いに手をはなし、目も合わせずにそのまま別れた。
それから沙也加とは一度も喋ってない。毎日のようにやり取りしていたSNSもやらなくなった。
「その後、沙也加ちゃんとはどう?」
電車を降り改札口を出てから、聖が心配そうに尋ねる。
「全然話せてない。」
由貴は首を左右に振りながら答えた。
「そっか…」
聖も言葉を繋げずに俯いた。
「とりあえず歩こうか。」
2人は歩き出した。付き合うようになってから初めての遠出だ。潮浜海岸駅から海辺までは徒歩で10分足らずだった。
冬の海岸沿いは人に冷たい。凍るような海風が吹いてくる。手を繋ぐこともせず、一定の距離を保って歩く2人。まるでお通夜に向かうかのようだ。
「なんかさ、僕たち喧嘩してるみたいだね。」
耐えかねた聖が切り出した。
「…ごめん。」
聖は由貴に近づこうとしたが、由貴は不快感を示した。
「やっぱりどうしても沙也加のことを考えてしまうの。沙也加に申し訳ないって気持ちが拭いきれない。」
「それは分かるよ。沙也加ちゃんを傷つけてしまったと思う。でもさ、恋愛って付き合うまでの過程よりも、付き合い始めてからの過程の方が大切なんじゃないかな。」
無責任な発言だと思いつつも、一方でそれはそうだと由貴は思った。周りを見てもそうだ。付き合うようになるまで、長い時間かけてお互いの気持ちを探り確かめ合うのに、付き合えるようになったら意外とすぐに別れてしまうカップルが多いと由貴は思っていた。
「聖くんの言うことも分かる。でも、沙也加と私はわだかまったままだよ。一番仲の良かった友だちと仲違いしているのは辛い。でも、それ以上に沙也加を傷つけてしまったことが辛い。」
「そうだね…。ごめん、由貴の気持ちも考えずに自分の事ばっかりで。」
「ううん。こっちこそごめん。」
聖は優しい。だから女の子に人気がある。せっかく想いが通じ合ったのに、現実の関係はそれとはほど遠い状況だった。一体何をしているのだろう、私は何を求めてこんな事をしているのか、どうしてこんなことになってしまったのか。由貴は複雑な気持ちになり、解決策など見つかりそうもない問いに心が押し潰される気がした。
あっという間に海に着いた。冬の荒々しい波が岸壁に打ち付ける。きっと海の水は凍るほど冷たいのだろう。由貴は冬の厳しい寒さの中で過ごす海の生き物のことを思った。彼らはこの冬の寒さをどう思っているのだろうか。眠っていて気づかないのか、それとも耐え忍んでいるのか。
「寒いね。」
聖がそう言って手を差し伸べた。由貴はその手を握った。青汁とクラムチャウダーを交互に飲むような、複雑な気持ちになった。聖の顔を覗き込むと聖も笑っていなかった。二人は手を繋いだまま、固い表情でいつまでも冷たい海の景色を眺めていた。
「はぁ。」
由貴はもう一度ため息をついた。始業式の朝。白い息が凛とした空気の中に広がっていく。
(学校、行きたくないな…。)
バスが雪で遅延にならないかと期待したが、バスは時刻通りやってきた。
バスを降りるとたくさんの生徒が学校へ向かっている。心なしかみんなの足取りが重たく見える。その中に沙也加もいた。由貴は手ぶくろをした手をぎゅっと握ると、小走りで沙也加に駆け寄った。
「おはよう。」
あえて明るく声をかける。
「あ。」
沙也加は由貴に気づくと遠ざけるように反対側へ歩いていった。沙也加の口から思わずこぼれた「おはよう」の小さな声が心に痛い。沙也加が違う友だちの方へ駆け寄ったことで、由貴の3学期の方向性は決まった。
どこまで自分を責めれば許してもらえるのだろうか。聖くんと別れたらいい?そうすれば、沙也加と仲直りする糸口は見つかりそうだ。しかしそれも違うと由貴は思った。
こじれた関係性を修復する糸口はなさそうだ。教室では沙也加とは一緒に居られない。かと言って他の女の子たちもそれぞれグループが出来ており、そこに入っていくのは難しそうだった。でも…と由貴は思った。幸いなことに3学期が終わればクラス替えがある。そうすれば新しい友だちが出来るだろう。しかも3学期は期末試験を除けば1ヶ月そこそこしか登校日がなかった。
(やり過ごすしかない。)
由貴は腹を括った。
しばらくは憂鬱な気持ちを抱えながら日々過ごしていたが、1人でいる教室も慣れてきた。高校2年生にもなると皆んな大人で、沙也加と仲違いがあったことを察し、声をかけて仲間に入れてくれる友だちもいた。思ったより穏やかに過ごせているが、そんな生ぬるい状況がまた自分を責めるのだった。
「彼を奪った罰を受けなくていいの?」
心の声がする。沙也加も何も責めない。クラスの友だちも気遣って声をかけてくれる。そんな状況に実はホッとしている自分は、本当は凄く醜いヤツなのだろう。自分が嫌になる。人の心を傷つけて、もう白い雪のように純粋ではいられない。自分の黒い闇を嫌というほど知った。
--------------------------------------
由貴はまだ知らない。
罪の意識が優しい気持ちも育ててゆくことを。闇があるから光を感じられることを。
降り積もった雪は解けて海に還る。
そして春が来る。
北国生まれで県外には一度も出たことがない。寒さに囲まれて育ったにも関わらず、由貴は寒いのが苦手だった。
「はぁ。」
新年が明けてからの初登校。家から5分のところにあるバス停で、由貴は深いため息をついた。
「付き合ってちょうど1ヵ月だね。」
海に向かう電車の中で聖(さとし)が寂しそうに呟いた。そう、あの日から数えてちょうど1ヶ月が経った。付き合い始めて1ヶ月、そんなタイミングで初めてのデート、記念日づくしのはずなのに「記念日」という言葉を使うのははばかられた。
「そうだね。」
由貴の瞳に重たい瞼がのしかかる。
ちょうど1ヶ月前、由貴は友だちの彼だった聖と付き合うことになった。
「私、聖くんと別れることになった。」
友だちの沙也加にそう告げられたのは、2学期の終わり、期末試験の休みの日だった。
「知っているんでしょう?聖くんから全部聞いたよ。」
沙也加の責めるような強い口調が鉛のように耳にのしかかる。由貴は何も言えずに黙っていた。
「何で黙ってるの。」
沙也加が問い詰める。由貴はなおも黙っていた。しばらく沈黙が続いた後、沙也加が「はぁ。」と呆れたようなため息をついた。
「私も片想いだとは薄々気づいていたし、途中から2人が両想いなんじゃないかなって思ってたからさ。いいの、別に。」
そう言って沙也加はしばらく由貴の様子を見てから手を差し出した。握手を求めている…和解をしたいということなのか、いやそういうことではないのだろうと由貴は思った。仲の良かった2人に訪れる突然の災難に、沙也加もなるべくしこりを残すまいと考えてくれたに違いない。由貴はそう解釈して沙也加の手に自分の手を合わせた。形式上の握手。それから2人は互いに手をはなし、目も合わせずにそのまま別れた。
それから沙也加とは一度も喋ってない。毎日のようにやり取りしていたSNSもやらなくなった。
「その後、沙也加ちゃんとはどう?」
電車を降り改札口を出てから、聖が心配そうに尋ねる。
「全然話せてない。」
由貴は首を左右に振りながら答えた。
「そっか…」
聖も言葉を繋げずに俯いた。
「とりあえず歩こうか。」
2人は歩き出した。付き合うようになってから初めての遠出だ。潮浜海岸駅から海辺までは徒歩で10分足らずだった。
冬の海岸沿いは人に冷たい。凍るような海風が吹いてくる。手を繋ぐこともせず、一定の距離を保って歩く2人。まるでお通夜に向かうかのようだ。
「なんかさ、僕たち喧嘩してるみたいだね。」
耐えかねた聖が切り出した。
「…ごめん。」
聖は由貴に近づこうとしたが、由貴は不快感を示した。
「やっぱりどうしても沙也加のことを考えてしまうの。沙也加に申し訳ないって気持ちが拭いきれない。」
「それは分かるよ。沙也加ちゃんを傷つけてしまったと思う。でもさ、恋愛って付き合うまでの過程よりも、付き合い始めてからの過程の方が大切なんじゃないかな。」
無責任な発言だと思いつつも、一方でそれはそうだと由貴は思った。周りを見てもそうだ。付き合うようになるまで、長い時間かけてお互いの気持ちを探り確かめ合うのに、付き合えるようになったら意外とすぐに別れてしまうカップルが多いと由貴は思っていた。
「聖くんの言うことも分かる。でも、沙也加と私はわだかまったままだよ。一番仲の良かった友だちと仲違いしているのは辛い。でも、それ以上に沙也加を傷つけてしまったことが辛い。」
「そうだね…。ごめん、由貴の気持ちも考えずに自分の事ばっかりで。」
「ううん。こっちこそごめん。」
聖は優しい。だから女の子に人気がある。せっかく想いが通じ合ったのに、現実の関係はそれとはほど遠い状況だった。一体何をしているのだろう、私は何を求めてこんな事をしているのか、どうしてこんなことになってしまったのか。由貴は複雑な気持ちになり、解決策など見つかりそうもない問いに心が押し潰される気がした。
あっという間に海に着いた。冬の荒々しい波が岸壁に打ち付ける。きっと海の水は凍るほど冷たいのだろう。由貴は冬の厳しい寒さの中で過ごす海の生き物のことを思った。彼らはこの冬の寒さをどう思っているのだろうか。眠っていて気づかないのか、それとも耐え忍んでいるのか。
「寒いね。」
聖がそう言って手を差し伸べた。由貴はその手を握った。青汁とクラムチャウダーを交互に飲むような、複雑な気持ちになった。聖の顔を覗き込むと聖も笑っていなかった。二人は手を繋いだまま、固い表情でいつまでも冷たい海の景色を眺めていた。
「はぁ。」
由貴はもう一度ため息をついた。始業式の朝。白い息が凛とした空気の中に広がっていく。
(学校、行きたくないな…。)
バスが雪で遅延にならないかと期待したが、バスは時刻通りやってきた。
バスを降りるとたくさんの生徒が学校へ向かっている。心なしかみんなの足取りが重たく見える。その中に沙也加もいた。由貴は手ぶくろをした手をぎゅっと握ると、小走りで沙也加に駆け寄った。
「おはよう。」
あえて明るく声をかける。
「あ。」
沙也加は由貴に気づくと遠ざけるように反対側へ歩いていった。沙也加の口から思わずこぼれた「おはよう」の小さな声が心に痛い。沙也加が違う友だちの方へ駆け寄ったことで、由貴の3学期の方向性は決まった。
どこまで自分を責めれば許してもらえるのだろうか。聖くんと別れたらいい?そうすれば、沙也加と仲直りする糸口は見つかりそうだ。しかしそれも違うと由貴は思った。
こじれた関係性を修復する糸口はなさそうだ。教室では沙也加とは一緒に居られない。かと言って他の女の子たちもそれぞれグループが出来ており、そこに入っていくのは難しそうだった。でも…と由貴は思った。幸いなことに3学期が終わればクラス替えがある。そうすれば新しい友だちが出来るだろう。しかも3学期は期末試験を除けば1ヶ月そこそこしか登校日がなかった。
(やり過ごすしかない。)
由貴は腹を括った。
しばらくは憂鬱な気持ちを抱えながら日々過ごしていたが、1人でいる教室も慣れてきた。高校2年生にもなると皆んな大人で、沙也加と仲違いがあったことを察し、声をかけて仲間に入れてくれる友だちもいた。思ったより穏やかに過ごせているが、そんな生ぬるい状況がまた自分を責めるのだった。
「彼を奪った罰を受けなくていいの?」
心の声がする。沙也加も何も責めない。クラスの友だちも気遣って声をかけてくれる。そんな状況に実はホッとしている自分は、本当は凄く醜いヤツなのだろう。自分が嫌になる。人の心を傷つけて、もう白い雪のように純粋ではいられない。自分の黒い闇を嫌というほど知った。
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由貴はまだ知らない。
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