12 / 54
第12話(番外編):青年期の筆、評の始まり
しおりを挟む享保年間の江戸、浅草の喧騒が響く昼下がり。
佐久間宗太郎、20歳になった青年は、浅草寺の裏手に広がる屋台街を歩いていた。下級武士の家に生まれ、母・雪乃を幼少期に亡くした宗太郎は、貧しい暮らしの中で磨かれた鋭い味覚を武器に、江戸の食を探求していた。深川の市場で培った舌の記憶、母の野菜と魚の煮込みの味が、彼の心に刻まれていた。宗太郎は、腰に小さな筆と紙を携え、食を通じて庶民の誇りを守る道を模索していた。だが、藤兵衛の父・藤蔵との出会いから生じた小さな軋轢が、後の陰謀の遠因として、彼の胸にくすぶっていた。
浅草の屋台街は、焼き鳥の煙、天ぷらの油の香り、蕎麦の出汁の匂いが交錯する活気のるつぼだ。宗太郎は、母の遺した覚書を胸に、食の真髄を追い求めていた。彼の舌は、市場の魚の鮮度を嗅ぎ分け、屋台の出汁の深さを看破する。だが、宗太郎はまだ、自分の舌をどう活かすか、定まっていなかった。そんな中、彼は一軒の焼き鳥屋「鳥吉」に足を止めた。店主の源蔵、かつて深川の市場で宗太郎に小魚を分けた源助の息子だ。源蔵は、25歳の屈強な男で、焼き鳥を串に刺す手つきに若々しい情熱が宿る。
「源蔵殿、焼き鳥を五串。モモ、レバー、皮で頼む。」
源蔵は笑顔で頷き、炭火に串を並べた。宗太郎は、煙の香りに鼻を動かし、源蔵の手元を観察した。炭火の赤い輝き、鶏の脂が滴る音。屋台の客は、商人、職人、旅人たちで賑わう。宗太郎は、浅草の活気に心を弾ませた。だが、藤蔵の傲慢な目、市場での冷たい言葉が、かすかに胸をよぎる。
やがて、焼き鳥が運ばれてきた。モモはジューシーでタレが光り、レバーはしっとりと焼き上がり、皮はカリッと香ばしい。宗太郎はまずモモを手に取り、タレの香りを嗅いだ。醤油と味醂の甘みが、炭火の苦みと混じる。彼は一口噛み、目を閉じた。
舌が喜んだ。鶏の旨味が、タレの甘辛さと調和し、舌の上で溶ける。炭火のほのかな苦みが、味を締める。宗太郎は、母の塩焼き魚を思い出し、つぶやく。
「このモモ、浅草の喧騒そのものだ。タレの甘みが、庶民の笑顔を閉じ込める。」
源蔵は手を止め、宗太郎をじっと見た。客たちの視線も集まる。宗太郎は次にレバーを味わった。レバーの濃厚な旨味が、塩のキレと絡み、口の中で静かに広がる。皮は、カリッとした食感と脂の甘みが、炭火の香りを引き立てる。宗太郎は、源蔵の技に感服していた。
「源蔵殿、皮の香ばしさは、江戸の夜の火だ。レバーは、命の深みを握る。」
源蔵は笑い、そっと言った。
「佐久間、昔の坊主の鼻、変わらねえな。お前の舌、すげえよ。試作の一品、食ってみねえか?」
宗太郎は目を輝かせ、頷いた。源蔵は奥から小さな皿を取り出し、鶏の砂肝を塩と山椒で焼き、葱の酢漬けを添えた「砂肝の葱酢焼き」を差し出した。さらに、鶏の軟骨を味噌で漬け込み、軽く焼いた「軟骨の味噌焼き」を用意した。宗太郎は二つの創作料理を手に取り、じっと見つめた。
砂肝の葱酢焼きは、砂肝のコリッとした食感に、葱の清涼な酸味が映える。軟骨の味噌焼きは、味噌の香ばしさと軟骨の歯ごたえが調和する。宗太郎はまず砂肝の葱酢焼きを口に運んだ。
舌が驚いた。砂肝の弾力ある食感が、塩と山椒の刺激と調和し、葱の酢漬けが清涼なアクセントを添える。宗太郎は目を閉じ、味の層を解剖した。この一品は、焼き鳥の豪快さに、繊細な工夫を重ねていた。
「源蔵殿、この砂肝の葱酢焼き、浅草の風そのものだ。山椒と葱が、夜の活気を閉じ込める。」
客たちがどよめき、源蔵は目を輝かせた。宗太郎は次に軟骨の味噌焼きを味わった。軟骨のコリコリした食感が、味噌の濃厚な甘みと絡む。炭火の香りが、味を深める。宗太郎は「夜の味噌骨」と呼び、こう評した。
「軟骨の歯ごたえは、江戸の夜の鼓動。味噌の深みは、庶民の汗。この一品、浅草の魂を焼く。」
食事を終えた宗太郎は、屋台の隅で筆を取り、紙を広げた。彼は、母の遺した覚書を思い出し、食を言葉で刻む決意を固めていた。だが、筆を握るのは初めてだった。宗太郎は、源蔵の焼き鳥に感じた「浅草の魂」を書き留めた。
浅草鳥吉の焼き鳥、江戸の夜の魂を焼きし一品。モモは喧騒の笑顔を、レバーは命の深みを、皮は火の香りを宿す。砂肝の葱酢焼きは夜の風を閉じ込め、軟骨の味噌焼きは庶民の汗を焼く。この味、浅草の誇りなり。
宗太郎は、評を源蔵に見せた。源蔵は目を丸くし、笑った。
「佐久間、お前の言葉、すげえな。これ、版元に持ってったら、鳥吉が江戸中に知られるぜ!」
宗太郎は、源蔵の言葉に心を動かされた。彼の舌は、食の味を看破するだけでは足りない。筆で、庶民の誇りを伝え、江戸の食文化を変える力がある。宗太郎は、評を版元に持ち込む決意をした。
数日後、宗太郎の評は版元を通じて刷られ、浅草の茶屋や芝居小屋に広まった。鳥吉はたちまち客で溢れ、源蔵は目を丸くした。砂肝の葱酢焼きは「浅草の風串」として、軟骨の味噌焼きは「夜の骨串」として、商人や職人の間で評判となった。宗太郎の筆は、焼き鳥を浅草の名物に押し上げ、彼の名は江戸の片隅で囁かれ始めた。
だが、宗太郎の評は、権力者の耳にも届いていた。藤蔵、藤兵衛の父で、神田の料亭「松葉屋」の料理人だ。藤蔵は、宗太郎の評が自分の店の客を奪う可能性を感じ、浅草を訪れた。藤蔵は、鳥吉の屋台で宗太郎を見つけ、冷たく言った。
「佐久間宗太郎、ちと面白い筆だな。だが、庶民の屋台ばかり持ち上げるのは、ちと危ねえぞ。松葉屋に来て、俺の料理を評してみねえか?」
宗太郎は、藤蔵の目に傲慢さを感じ、警戒した。だが、食への好奇心が勝り、松葉屋を訪れる約束をした。藤蔵の料理は、確かに見事だった。鯛の塩焼き、松茸の土瓶蒸し、鴨の煮物。だが、宗太郎は、味に微かな作為を感じた。鯛の塩焼きに、過剰な塩が使われ、味のバランスを崩していた。宗太郎は、筆を取り、こう書いた。
松葉屋の膳、権力の豪華さを閉じ込めし一品。鯛は海の詩を、松茸は山の香りを宿す。だが、塩の過剰は、味の真を隠す。この膳、欲の影なり。
この評は、版元を通じて広まり、松葉屋の名に小さな影を落とした。藤蔵は激怒し、宗太郎を呼び出した。
「お前の筆、ちと生意気だ。庶民の屋台ばかり持ち上げ、俺の料理を貶める気か?」
宗太郎は静かに答えた。
「藤蔵殿、俺の舌は真を語る。味に偽りがあれば、筆もそれを書く。それが、庶民の食を守る道だ。」
藤蔵は目を細め、宗太郎を睨んだ。この対立が、後の藤兵衛との確執の種となった。
その夜、宗太郎は浅草の路地を歩きながら、母の煮込みの味を思い出した。彼の筆は、江戸の食を言葉で刻む力を得た。だが、藤蔵の怒り、権力者の視線が、彼の背後に迫っていた。源蔵は、宗太郎を屋台に呼び、酒を酌み交わした。
「佐久間、お前の評、江戸を変えるぜ。だが、気をつけな。でかい奴らを怒らせちまった。」
宗太郎は頷き、源蔵の忠義に感謝した。彼は、筆を握り、次の店を思い描く。深川の蕎麦屋、本所のうなぎ屋。だが、その先には、藤蔵の息子・藤兵衛が、父の遺志を継ぎ、宗太郎を敵視する未来が待っていた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末
松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰
第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。
本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。
2025年11月28書籍刊行。
なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜
旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】
文化文政の江戸・深川。
人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。
暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。
家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、
「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。
常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!?
変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。
鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋……
その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。
涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。
これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる