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第三章
やりたい事
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「こら、チップ。エクラが困っているだろう。もっと離れろ」
「だって街中で噂になってたから気になってさ。クマさんが、可愛い男の子を連れ回してたって。あれ、絶対食べる気だなって」
「私を熊扱いするのはやめろって言っているだろうが。全く。エクラは遠い親戚の子で、これから仕事を手伝ってもらうことになったんだ」
「なるほど、それで皆んな知らなかったんだ」
チップと呼ばれた男の子は私に手を差し出し「よろしく、エクラ。俺はアストリオ・パブロフ。皆んなからはチップって呼ばれてる」赤い癖っ毛を揺らし、にっこりと微笑んだ。
「チップ? なんでですか?」
「パン屋の息子だからパンの『端切れ』ってのと、単純に犬みたいに走り回ってるから犬みたいなニックネームつけられたって感じ。でも、今じゃチップの方がしっくりくる」
「じゃあ、私もチップって呼んでもいいですか?」
「あぁ、俺たちはもう友達だろう? エクラは見たところ……まだ学生?」
「違いますよ!! 私はもう二十二になります」
「マジで? 俺よりも年上には見えない。俺は十九歳で、パン屋の見習い中なんだ。そうだ、これ食べてみてよ」
紙袋を手渡され、中には数種類のパンが入っていた。
「いい香り。今日は沢山歩いたからお腹空いてるんです」
「いっぱい食べろよ。ってか、敬語やめようぜ。俺、そういうの苦手でさ」
「じゃあ、そうするね」
紙袋からドライフルーツのパンに白パン。それに小さくて丸いパンはマンシェットだ。
クロマはパンのラインナップを見て蜂蜜を出してくれた。
チップは白パンを手に取り、これはまだ作らせてもらえないと言う。
「俺んちのパンは絶品なんだ。貴族様御用達でさ、レオナルト公爵様にリスミア伯爵様、あとヴェイルハート伯爵様だってうちの顧客様だ」
その名前に思わず反応してしまった。
「ウ……ヴェイルハート伯爵様って……ここから遠いんじゃないの?」
「あぁ、うちは王都にも店があるから。ヴェイルハート伯爵様はうちの白パンしか食べないって料理長が毎日のように言ってる。あとは……ほら、デュボワ侯爵様も王都のお店の常連様だ」
「そう……なんだ。すごいね。錚々たる名前ばかりだ」
「だろう? だから味も品質も保証済み。エクラは細っこいから若く見られるんだ。もっとたっぷり蓄えてクマさんみたいにならないと」
クロマのお腹を指さして悪戯っ子みたいに笑う。
「五月蝿い!!」
チップの頭にクロマのまん丸の拳が落とされた。
しかしチップは「冗談だって」と言いながら全く反省はしていない。
ヴェイルハート伯爵という名前に反応するべきではなかったと反省した。クロマは気付いて一瞬肩を竦めた。
チップの家の白パン……食べたことなかったな。それは仕方ない。本邸でいた時も、食事は一人別室で食べていた。家族と自分が違うものを食べているなんて疑いもしなかったけれど、考えてみれば当然とも言える。オメガ嫌いの父が最高級の白パンを与えるはずもない。
ドミナクス辺境伯の城にいるときは水分が抜けて硬くなった白パンだった。
だから今朝クロマが焼きたての白パンを持ってきてくれた時、そのおいしさに驚いたのだった。
チップに朝のパンが美味しかったと伝えると、大袈裟なまでに喜んでくれた。
「うちは素材から拘っているから、少々時間が経っても味は落ちない」
「前に食べた白パンは少し変な匂いが混ざっていたけれど」
「それは小麦に別の素材を混ぜてるんだ、きっと。いわば粗悪品の小麦だ」
「そういえば全粒粉のような……もっと細かい粒が見えてたかもしれないけど……はっきりとは覚えていないな」
「間違いない。それは偽物の白パンだ。うちは特に拘ってるパンだから、実物があれば一瞬で見抜けるのに」
夢中になると前のめりになるのがクロマと似ている。
この二人は似た所が他にも沢山ありそうだ。
「何、笑ってんだ? エクラ」
「パンが好きなんだなって思って」
「あぁ、そりゃ一流のパン職人を目指してるからな!! エクラは、何か好きなことはないの?」
「私は……、私も何か……見つけたいです」
「なんでも手当たり次第やってみればいいさ。やりたいって思ったこと全部だ」
「やりたいこと、全部……チップは私の大切な人と同じことを言ってくれるんだね。嬉しいな」
チップはあまり深く考えずに「そうか」と受け流した。
「なぁ、俺が作ったパンの試食してくれよ。また持ってくるからさ」
「私で良ければ」
「エクラが良いって思ったから頼んだんだよ。じゃあな」
クロマにも挨拶をして、チップは帰っていった。
「騒がしいやつだろう?」
クロマが白身魚のグリルを運びながら言う。
「私はずっと友人を作るのを禁止されていましたから。友達だって言ってもらえて、なんだかむず痒いです」
「この街のやつは、あんなのばっかだぞ。一度でも喋れば知り合い。二回目会えば友達だ」
「それは凄いですね」
「まぁ私も、こうして誰かと話をしながらの食事は久しぶりだから、やっぱり楽しいと思うよ」
ポタージュを皿に盛り、テーブルに並べる。
クロマは両親を亡くしてから十年ほど経つと話してくれた。
「その頃には、もう本屋としても代書屋としても一人前になっていたから、仕事や生活面で苦労はしなかった。だが母はお喋りな性格だったから、それが急に無くなって……食事の時間は得意じゃなくなった。ずっと用事をしながら済ませていた。ちゃんとした食卓を囲えたのはエクラが来てくれたからだ」
私を助けたのも、一人で倒れている姿に居た堪れなくなったのだとクロマは言った。
寂しさを投影したのかもしれないと続けた。
クロマがいつまでいてくれても構わないと言ったのは、本当は寂しかったからなのだと思った。ただのお人好しだなんて、失礼だった。
明るい人は辛い思いをしたことがないなんて、そんなのは誰にも分からないのに。クロマは他人の前では笑っているけれど、それは寂しさを隠すためもあるのかもしれない。
私も、クロマを見習って少しでも笑えるようになりたい。
「私は、きっとこの街を好きになります」
「それは良かった。さぁ温かいうちに食べよう。明日も沢山歩くぞ」
「いっぱい食べて、クマさんみたいにならないとですね」
「チップの言うことを間に受けんでいい!!」
自然と笑い声が響く。お互い、すっかり心を開いていた。
温かい食事も半年ぶり。
感極まって眸が潤んだのをなんとか誤魔化す。
久しぶりの温かい部屋、温かい食事、温かい人。そして、抑制剤も再び服用を始めた。
これから働くなら発情期はなくてもいいと思っていたが、それだと人体に少なからず影響が出るらしく、やはりオメガはオメガとしての道は外れられないのだと、町医者の言葉を思い出した。
「だって街中で噂になってたから気になってさ。クマさんが、可愛い男の子を連れ回してたって。あれ、絶対食べる気だなって」
「私を熊扱いするのはやめろって言っているだろうが。全く。エクラは遠い親戚の子で、これから仕事を手伝ってもらうことになったんだ」
「なるほど、それで皆んな知らなかったんだ」
チップと呼ばれた男の子は私に手を差し出し「よろしく、エクラ。俺はアストリオ・パブロフ。皆んなからはチップって呼ばれてる」赤い癖っ毛を揺らし、にっこりと微笑んだ。
「チップ? なんでですか?」
「パン屋の息子だからパンの『端切れ』ってのと、単純に犬みたいに走り回ってるから犬みたいなニックネームつけられたって感じ。でも、今じゃチップの方がしっくりくる」
「じゃあ、私もチップって呼んでもいいですか?」
「あぁ、俺たちはもう友達だろう? エクラは見たところ……まだ学生?」
「違いますよ!! 私はもう二十二になります」
「マジで? 俺よりも年上には見えない。俺は十九歳で、パン屋の見習い中なんだ。そうだ、これ食べてみてよ」
紙袋を手渡され、中には数種類のパンが入っていた。
「いい香り。今日は沢山歩いたからお腹空いてるんです」
「いっぱい食べろよ。ってか、敬語やめようぜ。俺、そういうの苦手でさ」
「じゃあ、そうするね」
紙袋からドライフルーツのパンに白パン。それに小さくて丸いパンはマンシェットだ。
クロマはパンのラインナップを見て蜂蜜を出してくれた。
チップは白パンを手に取り、これはまだ作らせてもらえないと言う。
「俺んちのパンは絶品なんだ。貴族様御用達でさ、レオナルト公爵様にリスミア伯爵様、あとヴェイルハート伯爵様だってうちの顧客様だ」
その名前に思わず反応してしまった。
「ウ……ヴェイルハート伯爵様って……ここから遠いんじゃないの?」
「あぁ、うちは王都にも店があるから。ヴェイルハート伯爵様はうちの白パンしか食べないって料理長が毎日のように言ってる。あとは……ほら、デュボワ侯爵様も王都のお店の常連様だ」
「そう……なんだ。すごいね。錚々たる名前ばかりだ」
「だろう? だから味も品質も保証済み。エクラは細っこいから若く見られるんだ。もっとたっぷり蓄えてクマさんみたいにならないと」
クロマのお腹を指さして悪戯っ子みたいに笑う。
「五月蝿い!!」
チップの頭にクロマのまん丸の拳が落とされた。
しかしチップは「冗談だって」と言いながら全く反省はしていない。
ヴェイルハート伯爵という名前に反応するべきではなかったと反省した。クロマは気付いて一瞬肩を竦めた。
チップの家の白パン……食べたことなかったな。それは仕方ない。本邸でいた時も、食事は一人別室で食べていた。家族と自分が違うものを食べているなんて疑いもしなかったけれど、考えてみれば当然とも言える。オメガ嫌いの父が最高級の白パンを与えるはずもない。
ドミナクス辺境伯の城にいるときは水分が抜けて硬くなった白パンだった。
だから今朝クロマが焼きたての白パンを持ってきてくれた時、そのおいしさに驚いたのだった。
チップに朝のパンが美味しかったと伝えると、大袈裟なまでに喜んでくれた。
「うちは素材から拘っているから、少々時間が経っても味は落ちない」
「前に食べた白パンは少し変な匂いが混ざっていたけれど」
「それは小麦に別の素材を混ぜてるんだ、きっと。いわば粗悪品の小麦だ」
「そういえば全粒粉のような……もっと細かい粒が見えてたかもしれないけど……はっきりとは覚えていないな」
「間違いない。それは偽物の白パンだ。うちは特に拘ってるパンだから、実物があれば一瞬で見抜けるのに」
夢中になると前のめりになるのがクロマと似ている。
この二人は似た所が他にも沢山ありそうだ。
「何、笑ってんだ? エクラ」
「パンが好きなんだなって思って」
「あぁ、そりゃ一流のパン職人を目指してるからな!! エクラは、何か好きなことはないの?」
「私は……、私も何か……見つけたいです」
「なんでも手当たり次第やってみればいいさ。やりたいって思ったこと全部だ」
「やりたいこと、全部……チップは私の大切な人と同じことを言ってくれるんだね。嬉しいな」
チップはあまり深く考えずに「そうか」と受け流した。
「なぁ、俺が作ったパンの試食してくれよ。また持ってくるからさ」
「私で良ければ」
「エクラが良いって思ったから頼んだんだよ。じゃあな」
クロマにも挨拶をして、チップは帰っていった。
「騒がしいやつだろう?」
クロマが白身魚のグリルを運びながら言う。
「私はずっと友人を作るのを禁止されていましたから。友達だって言ってもらえて、なんだかむず痒いです」
「この街のやつは、あんなのばっかだぞ。一度でも喋れば知り合い。二回目会えば友達だ」
「それは凄いですね」
「まぁ私も、こうして誰かと話をしながらの食事は久しぶりだから、やっぱり楽しいと思うよ」
ポタージュを皿に盛り、テーブルに並べる。
クロマは両親を亡くしてから十年ほど経つと話してくれた。
「その頃には、もう本屋としても代書屋としても一人前になっていたから、仕事や生活面で苦労はしなかった。だが母はお喋りな性格だったから、それが急に無くなって……食事の時間は得意じゃなくなった。ずっと用事をしながら済ませていた。ちゃんとした食卓を囲えたのはエクラが来てくれたからだ」
私を助けたのも、一人で倒れている姿に居た堪れなくなったのだとクロマは言った。
寂しさを投影したのかもしれないと続けた。
クロマがいつまでいてくれても構わないと言ったのは、本当は寂しかったからなのだと思った。ただのお人好しだなんて、失礼だった。
明るい人は辛い思いをしたことがないなんて、そんなのは誰にも分からないのに。クロマは他人の前では笑っているけれど、それは寂しさを隠すためもあるのかもしれない。
私も、クロマを見習って少しでも笑えるようになりたい。
「私は、きっとこの街を好きになります」
「それは良かった。さぁ温かいうちに食べよう。明日も沢山歩くぞ」
「いっぱい食べて、クマさんみたいにならないとですね」
「チップの言うことを間に受けんでいい!!」
自然と笑い声が響く。お互い、すっかり心を開いていた。
温かい食事も半年ぶり。
感極まって眸が潤んだのをなんとか誤魔化す。
久しぶりの温かい部屋、温かい食事、温かい人。そして、抑制剤も再び服用を始めた。
これから働くなら発情期はなくてもいいと思っていたが、それだと人体に少なからず影響が出るらしく、やはりオメガはオメガとしての道は外れられないのだと、町医者の言葉を思い出した。
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