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21 白い髪のジジ
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泉のほとりで葡萄酒をレキとまわし飲みながら、微かな足音に耳を澄ます。
四十五歳まで陸上自衛官だった明の癖だ。
「よう、早かったな、ジジ」
静かに歩く足音の主は、腰まで伸びた銀のまっすぐの髪を月明かりに輝かせ、丈の長いゆったりとした地味な色合いの服装だが、威厳を感じさせる。和装にも通じる服だと明は思う。
「赤の森に近いところに来ていたからです。久しぶりですね、赤の王。……おや?」
痩身の美しい銀の青年が銀の瞳を細めて明を見つめ、驚いた顔をする。
「目か?片目は俺の赤竜と交換している。お陰で赤の男たちにやたらめったら群がられることはない。王の魅惑は天帝から与えられられたギフトかもしれんが、野合は懲り懲りだ」
赤竜と完全な繋がりを持つために、眼球を入れ換えて十年以上、やっと見つけたのだ。
「黒の王が見つかったのですね」
「ああ、何故か黒の宮から感じるが、赤竜を近づけても、気配は弱い。直樹は死にかけているのかもしれない。だから知恵者のあんたの力だ必要だ。森の知恵者ジジよ」
ジジが肩をすくめて、隣に控えているレキに言葉を掛けてきた。
「赤の剣士、森の宮に使いに出てもらえないでしょうか。お客人をお連れするから、部屋の用意をするようにと」
「分かった」
「おい、レキ。餞別だ」
森の木の影でレキの厚めの唇に舌を這わせてレキを味わっていると、赤竜が深夜の夜空を旋回する。
「来たな」
「ああ、あとを頼む、レキ」
明はレキと離れ呼び戻した赤竜に乗り込んで、銀の髪の賢者の手を引っ張り乗せた。
「はは……」
あの時と同じだと、思い出して笑ってしまう。
「なんです?」
冴えざえたる銀の月のような美貌のジジは、銀の瞳を細めて眉を上げた。
「あんたもよたつくのだな。直樹もよろめいて竜に乗ったんだ。帰りの赤竜に乗せる客人は、直樹とあんた二人……よろよろ二人だ。安全運転で行かねばなるまい?」
「失礼な」
明が軽口を叩きながら笑うと、赤竜は黒国に入り、すぐに黒の宮に近づく。赤国の外れで、満たされた者の森近くに黒の宮はあるのだ。
月明かりだけで静まり返る王宮は、即位式の時に来た時と変わらず、直樹が衆目に出なくなったこと以外は、いたって普通に平穏にある。
「王の私室から、直樹を感じる」
明は刀に手をかけ、以前忍び込んだように窓から音もなく入り、ジジを招き入れた。暗い部屋の広い寝台で、膨らみが動く。
直樹の気配がした。
「……誰だ…?」
しわがれた声がする。
「……お前こそ誰だ、直樹じゃねえな。見覚えがある。文官長じゃないか」
月明かりが届かない暗い室内に、ジジが置かれていた蝋燭に灯りをつけた。
「……赤王か……」
黒国文官長が直樹が使うはずの寝台に横たわり、ゆっくりと起き上がる。
「なんで……黒王の気がするんだ?お前、直樹はっ……」
文官長の胸ぐらを掴むと、ころころと球体がこぼれ落ち、薄暗い灯りの中で明はそれを掴み上げ震えた。
「……まさか……」
明は自分の意思で、赤竜と交換したのだ。しかも片目だけを。
「黒王は……どうしたのですか?」
ジジの声に
「森の知恵者か……黒国の裏切り者」
と微かに笑い、
「あれも嫌だの、これも嫌だの言うことを聞かない王など、知らぬ」
と言い捨てた。
「黒王の目玉を無理矢理くりぬいた……のですか?」
明が慌てて柔らかな布に包んだ眼球の光彩は見事な黒で、明が言えなかったことを、ジジが静かに告げてくれた。
「何が悪い。王の責務を果たさない役立たずの小僧などいらぬ。交合は嫌だと泣き叫び悲鳴を上げるあれを、わしが野合して森に切り捨てた」
老齢に差し掛かる文官長は、寝台から立つこともせず高笑いをする。
「それで天帝の怒りをかい、内から滅びているのですね…」
怒りのあまりすえた臭いに気がつかなかった明が、眼球をいれていた胸元を広げて見やると、腹はどす黒く変色し膿んだようにじゅくじゅくとしていた。
「王と交合を許されるのは、和合していない若い男のみ。それを知っての仕打ちなのですね。あなたの滅びに付き合うなど……。王は自死でのみ消滅を許される。黒王は森にいるのですね。」
「黒国はっ……!黒国は……王が替わる度に貧しくなる。ならば、心を壊し、心を無くした黒王が、死なずにどこかで惨めにさ迷い生きてさえいればいいのだ……」
交合を嫌がりそれを逆手に野合し心を壊し、心を無くした王。不老不死の直樹は心を失い、長い年月、森をさ迷っている……と言うのだ。
森の危険性など、ましてや、小さな子どもの姿の直樹がどんな目に合っているかなど、レキに出会う前何度も野盗に襲われ掛けたことのある明には、簡単に想像がつく。
明は闘い馴れた自衛官だったが、ただのひ弱な高校生だった明は。そして、王は…自死以外では、死ぬことはないのだ。
「赤王、森へ急ぎ帰りましょう」
「ああ。てめえは、斬る価値すらねえな。己の過ちに朽ちて死ね」
明がジジを連れてきたのは、自分では理性的に話せないと思ったからだ。直樹が監禁されているならば、力付くで取り返し、知恵者のジジに仲立ちとなってもらうつもりだったのだ。
今、この、現実は、監禁以前の問題だった。
打ち捨てるとは。
「文官長、黒王の目で皆を魅惑し操る方法は、私も感服です。しかし、王よ憎しと野合した怒りが、あなたを滅ぼしました」
ジジが静かに言い放ち、文官長を冷たい目で見下ろすと、蝋燭の明かりを吹き消した。
四十五歳まで陸上自衛官だった明の癖だ。
「よう、早かったな、ジジ」
静かに歩く足音の主は、腰まで伸びた銀のまっすぐの髪を月明かりに輝かせ、丈の長いゆったりとした地味な色合いの服装だが、威厳を感じさせる。和装にも通じる服だと明は思う。
「赤の森に近いところに来ていたからです。久しぶりですね、赤の王。……おや?」
痩身の美しい銀の青年が銀の瞳を細めて明を見つめ、驚いた顔をする。
「目か?片目は俺の赤竜と交換している。お陰で赤の男たちにやたらめったら群がられることはない。王の魅惑は天帝から与えられられたギフトかもしれんが、野合は懲り懲りだ」
赤竜と完全な繋がりを持つために、眼球を入れ換えて十年以上、やっと見つけたのだ。
「黒の王が見つかったのですね」
「ああ、何故か黒の宮から感じるが、赤竜を近づけても、気配は弱い。直樹は死にかけているのかもしれない。だから知恵者のあんたの力だ必要だ。森の知恵者ジジよ」
ジジが肩をすくめて、隣に控えているレキに言葉を掛けてきた。
「赤の剣士、森の宮に使いに出てもらえないでしょうか。お客人をお連れするから、部屋の用意をするようにと」
「分かった」
「おい、レキ。餞別だ」
森の木の影でレキの厚めの唇に舌を這わせてレキを味わっていると、赤竜が深夜の夜空を旋回する。
「来たな」
「ああ、あとを頼む、レキ」
明はレキと離れ呼び戻した赤竜に乗り込んで、銀の髪の賢者の手を引っ張り乗せた。
「はは……」
あの時と同じだと、思い出して笑ってしまう。
「なんです?」
冴えざえたる銀の月のような美貌のジジは、銀の瞳を細めて眉を上げた。
「あんたもよたつくのだな。直樹もよろめいて竜に乗ったんだ。帰りの赤竜に乗せる客人は、直樹とあんた二人……よろよろ二人だ。安全運転で行かねばなるまい?」
「失礼な」
明が軽口を叩きながら笑うと、赤竜は黒国に入り、すぐに黒の宮に近づく。赤国の外れで、満たされた者の森近くに黒の宮はあるのだ。
月明かりだけで静まり返る王宮は、即位式の時に来た時と変わらず、直樹が衆目に出なくなったこと以外は、いたって普通に平穏にある。
「王の私室から、直樹を感じる」
明は刀に手をかけ、以前忍び込んだように窓から音もなく入り、ジジを招き入れた。暗い部屋の広い寝台で、膨らみが動く。
直樹の気配がした。
「……誰だ…?」
しわがれた声がする。
「……お前こそ誰だ、直樹じゃねえな。見覚えがある。文官長じゃないか」
月明かりが届かない暗い室内に、ジジが置かれていた蝋燭に灯りをつけた。
「……赤王か……」
黒国文官長が直樹が使うはずの寝台に横たわり、ゆっくりと起き上がる。
「なんで……黒王の気がするんだ?お前、直樹はっ……」
文官長の胸ぐらを掴むと、ころころと球体がこぼれ落ち、薄暗い灯りの中で明はそれを掴み上げ震えた。
「……まさか……」
明は自分の意思で、赤竜と交換したのだ。しかも片目だけを。
「黒王は……どうしたのですか?」
ジジの声に
「森の知恵者か……黒国の裏切り者」
と微かに笑い、
「あれも嫌だの、これも嫌だの言うことを聞かない王など、知らぬ」
と言い捨てた。
「黒王の目玉を無理矢理くりぬいた……のですか?」
明が慌てて柔らかな布に包んだ眼球の光彩は見事な黒で、明が言えなかったことを、ジジが静かに告げてくれた。
「何が悪い。王の責務を果たさない役立たずの小僧などいらぬ。交合は嫌だと泣き叫び悲鳴を上げるあれを、わしが野合して森に切り捨てた」
老齢に差し掛かる文官長は、寝台から立つこともせず高笑いをする。
「それで天帝の怒りをかい、内から滅びているのですね…」
怒りのあまりすえた臭いに気がつかなかった明が、眼球をいれていた胸元を広げて見やると、腹はどす黒く変色し膿んだようにじゅくじゅくとしていた。
「王と交合を許されるのは、和合していない若い男のみ。それを知っての仕打ちなのですね。あなたの滅びに付き合うなど……。王は自死でのみ消滅を許される。黒王は森にいるのですね。」
「黒国はっ……!黒国は……王が替わる度に貧しくなる。ならば、心を壊し、心を無くした黒王が、死なずにどこかで惨めにさ迷い生きてさえいればいいのだ……」
交合を嫌がりそれを逆手に野合し心を壊し、心を無くした王。不老不死の直樹は心を失い、長い年月、森をさ迷っている……と言うのだ。
森の危険性など、ましてや、小さな子どもの姿の直樹がどんな目に合っているかなど、レキに出会う前何度も野盗に襲われ掛けたことのある明には、簡単に想像がつく。
明は闘い馴れた自衛官だったが、ただのひ弱な高校生だった明は。そして、王は…自死以外では、死ぬことはないのだ。
「赤王、森へ急ぎ帰りましょう」
「ああ。てめえは、斬る価値すらねえな。己の過ちに朽ちて死ね」
明がジジを連れてきたのは、自分では理性的に話せないと思ったからだ。直樹が監禁されているならば、力付くで取り返し、知恵者のジジに仲立ちとなってもらうつもりだったのだ。
今、この、現実は、監禁以前の問題だった。
打ち捨てるとは。
「文官長、黒王の目で皆を魅惑し操る方法は、私も感服です。しかし、王よ憎しと野合した怒りが、あなたを滅ぼしました」
ジジが静かに言い放ち、文官長を冷たい目で見下ろすと、蝋燭の明かりを吹き消した。
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