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3.能なし
しおりを挟む「……あんた、何やってる」
腕を組んだダニエルは君主に向かって不遜に言い放った。
「んー? ラリーの手伝い」
ラリーとはローレンスの愛称である。目深にフードを被った魔術師の表情はうかがえない。一瞬止まったシワのある手は、すぐに作業を再開する。
「一緒に仕事しているのに、俺だけ言われるのおかしくないか?」
王の腕の包帯は外れたようである。全体的に腫れも治まったらしい。精悍で男らしい顔が子供のように口を尖らす。
「あんたが動き回ってると碌なことがない。魔術師殿もいい迷惑でしょう」
「畑を耕そうとすれば『あっちいけ』、薬草仕分けすれば『おとなしくしろ』って、俺能なしだろ?」
半目で吐き出せば、茶化すように文句を言われる。
自ら動く王は、心底迷惑。守る側として行動の予測が立たないからだ。
ダニエルが仕えたことのある人間たちは一様にふんぞり返って私腹を肥やしていた者たちばかりで、上に立つ者はそれで問題ないと思っていた。むしろ例外があると今まで気づきもしなかった。
「あんた王としては無能です」
安全にぬくぬくと守らせてくれない。家臣は駒として動かせばいい。
「――知っている。」
不敬と切る捨てる訳でもなく、口角を上げて淡々と受け止められる。
「……ラリー?」
なごやかな空気から一変。
「離れろ」
ゴキ。
嫌な音と共に、鉄臭さが鼻をかすめる。
不自然な方向に曲がった、ローブを纏った肩。遅れて滴る大量の血。散る薬草。
首元からしとどに血塗られ、ローレンスが力なく宙づりになっていた。
一瞬の出来事。
「……魔術、師?」
つり上げられた所から下ろそうとするが、紐も何も見えない。これも魔術の類いなのか。
抜刀と共にローレンス周囲に刃を入れても、全く手応えがない。
「囲まれたか?」
「いや――」
周囲に走らせる視線は、以前のような騎馬も歩兵も捉えない。
狙われた。魔術師が。
先だっての大規模な魔術展開を知られたのだろう。
予測できたこととはいえ、常人であるダニエルには魔術の関係はサッパリだ。それでも無策だったのが悔やまれる。
その間もミシミシと嫌な音が続く。
「ローレンス」
静かに君主が彼を呼ぶ。反応はない。
ポタ、タタッ……。
広がる血溜まり。
「……か、は……ッ」
魔術師が吐血する。
何かできることはないのか。ダニエルは奥歯を噛みしめる。
「ローレンス」
ギシ。
「……矢、を」
微かに紡いだ言葉の方向を確認すると同時、視界の端で君主が弓矢を放って寄越す。
「射ろ!」
彼方離れた崖の上、捉えた小さな黒い影。
引く弦、放つ矢。
崩れる姿勢に、追って射る。
動かなくなった塊。
「無茶をする」
ため息混じりに振り返ると、苦笑した王がぐったりとした魔術師に肩を貸しているところだった。
「あちらの気を散らせば御の字だったが、まさかそのまま仕留めるとはな」
罠を張っていたらしい。そして知らされていないのは自分のみであったとは。
「もう少しスマートにしてくれ」
呻きながら片手で顔を覆う。
そもそもが自分がこの場に来たのはイレギュラーだったと遅れて気づく。ならば、リチャードとローレンスのみで対応するつもりだったのか。
確かに魔術に長けているのはローレンスであるし、策を練るのは頷ける。誰が内通者かあぶり出せていない現在、王が動かせる手勢は限られている。だが、我が国のたったひとりの魔術師殿は血まみれ瀕死。それでなくとも老人は簡単に息を引き取る。王も旧知の仲であるならば、おとりなぞにせず大切に扱ってやればいいものを。
「来る」
言葉少なに発したローレンスは、手負いとは思えないほどの早さで二人から距離をとる。
「ラリー!」
張った声音の王から、次の策がないことを言外に感じ取る。
弓を放り剣の柄を握り踏み込もうとして、阻まれる。壁のようなものに。ダニエルの頭を掠めるのは、オス竜に施された金剛石ですら溶かす竜の火を弾く壁。
「ローレンス殿!」
一瞬こちらに目を向けた魔術師は、己の血溜まりの中で頭上を仰ぐ。いつぞや降り注いだ薬草の時とは張り詰められた緊張度合いが違う。
見えないダニエルですら感じる、重く強い威圧。先ほどの比ではない。
身じろぎもできず息を潜めて、先行きを見守るしかできない。のんだ固唾が大きく鳴る。
コツ。
杖が床を叩く。
「知らんぞ」
しわがれたものではなく、不思議と澄んだ声音が響く。
フードに隠れた表情の、口角が弧を描く。
「加減できないからな」
ローレンスを中心として、突如浮かぶ青白い光。
これが魔術師の文字かと思うと同時、目を焼くほどに発光し上空に向けて爆発する。
防がれているはずのダニエルにも衝撃を与える。戦場で戦う者として鍛えているはずが、食いしばって腹に力を入れていないと後ろに吹き飛ばされそうだ。
一瞬とも、長時間とも、判断つかない。
「終わった」
痛いほどの静寂に、ぽつりと漏らされる。
無意識に顔を覆っていた腕を下ろせば、フードを纏った見知らぬ男が立っている。ローレンスはおらず、年若い男が首を回していた。
「……どちらだ」
新手か。魔術師は。
「ダニーは知らないか。こっちもラリー」
慎重に言葉を選びつつも視線を外さないダニエルと対照的に、王は脳天気に男の肩に手をまわす。
「……ローレンス殿?」
「悪いな、気色悪くて」
さもうるさそうに君主の腕を振り払い、はじめて見る年若いローレンスは無表情で言い放つ。
魔術師という種族をよく理解できていないが、それは見目を変えられることに関してだろうか。小鳥にも馬にも何にでも姿を変えられると、どこかで聞いたこともある。
「気色悪くはない。そうだな……とても魅力的だ」
逡巡して、カチリと嵌まった言葉になるほどと自分で気づく。
目を丸くした魔術師をはじめて見ると思ったが、そもそもが彼の素顔を拝んだのもはじめてだと今頃になって気づく。
「細やかに動くシワだらけの働き者の手を持ち、学のない俺に博識にやさしく教えてくれるあなたも」
一見興味なさそうに振る舞っていても、些細なことにも心を砕いてくれる。誰が親かも解らぬスラム出身を、ひとりの人間として見てくれる。
「駒である俺にも保護を敷いてくれるやさしいあなたも、とても愛おしい」
王のようにはね除けられないのを不思議に思いつつ、指を目尻に伸ばし頬の感触を確かめる。
相手は澄んだ紫色を見開いたまま。
代わりに反応したのは、呆れ声のリチャードだった。
「……ダニー、お前、一体どンだけ守備範囲広いんだ……」
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