薬術の魔女の結婚事情【リメイク】

月乃宮 夜見

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一年目

43:季節の変わり目は色々と変化する。

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「…………」

 春の陽光が差し込む部屋で、アザレアはぼんやりと天井を見つめていた。春が来たので、あと1週間ほどで春休みが終わる。春休みが終われば、次は後期が始まるのだ。

「(えぇっと……何だったっけ……)」

 行儀悪くも椅子を後ろに傾けながら、アザレアは少し前に引っかかったことについて、思考していた。

「……(……婚約者あの人関連のやつ……)」

先日の、『愛を返す日』に勝手に来訪された時に何か、気になることがあった。くったりと背もたれにもたれ、

「……はっ!」

唐突に思い出した。彼から香ったにおいのことだ。嗅いだだけで、気分がふわふわしそうになるような、そんな薬品のにおい。

「(お酒とは違う、気分がふわふわするにおい……)」

 椅子から降り、自身の部屋に置いてある薬品棚を漁る。

「(……気絶薬、興奮薬、抑制薬……麻酔、)」

 それぞれの代表的なものの入った小瓶を取り出し、瓶の蓋を開け手で扇いでそのにおいをわずかに嗅ぐ。

「(やっぱり、全部から少しだけするにおいだ……!)」

くらっと、やや目眩にさいなまれながら、どうにか薬品達に蓋をした。

「うぅ、頭痛い……」

一気に嗅ぐものじゃない、と当たり前のことを痛感するアザレアだった。薬草水を飲み、一旦気分を落ち着ける。

「……これ全部に使われてるやつ……って、まさか、」

薬達を棚にしまい、次にアザレアは本棚の方へ小走りで向かった。

「えーっと、確か……」

フォラクスが『愛を返す日』に寄越した、お返しと言うにはやや分厚い高価な本を開き目的のページを開く。
 その名前は『失心草』。主に麻酔に使われる薬草で、時折気付け薬や鎮静剤にも使われるものだ。そして、特別な許可が下りないと採取も取り扱いも出来ない植物だった(アザレアは許可をもらっている)。

「……この植物のにおいだった気がする。ちょっと違う匂いもしたけど」

 違う方の匂いは割と好みの匂いだった、ような気がする。けれど、

「……どうして?」

なぜ、そんな危険な薬草のにおいが。おまけに随分と濃く、彼から漂ったのだろう。

×

 アザレアが色々と考えている間に、春休みは終わりを告げ後期が始まった。そして前期の冒頭と同じように、視察の魔術師達の紹介を少し行なってから授業が再開した。
 新しい魔術師が数名追加され、やや顔振りが変わる。だが、数名の軍部の魔術師と婚約者のフォラクスは変わっていない。

「(……そっか、後期もいるんだ)」

と、なんとなくアザレアは安心していた。

×

「なんできみから失心草のにおいがしたの」

「何です。やぶから棒に」

 思い切って、フォラクスを物陰に引っ張り込んで直接聞くことにした。
 フォラクスはやや迷惑そうに顔をしかめていたものの、逃げずにその場に留まってくれるようだ。

「授業は如何どうなさったのです?」

「今からお昼休みで午後は授業ないの」

「……然様ですか」

やや諦めた表情でフォラクスはいう。そして、懐から筆を取り出し、

「あ。それ、私の腕におまじないかけた時のやつ」

「……よくもまあ、憶えていらっしゃいましたね」

「杖じゃないから憶えてた」

「…………成程」

そして筆を空中に構え、

「わー、空中にも文字書けるんだね」

さらさら、と空中に筆を滑らせる。
 そうすると、常盤色の線が生まれる。まるで、透明なガラスにペンで文字を書いているかのように真っ直ぐに書いている。

「……えぇ、まあ。普段はこうして使う物なのですよ」

 書き切ったのか、フォラクスは線のでなくなった筆を懐にしまう。

「何したの?」

「防音と意識逸らしの結界を張りました。簡易的な物ですが」

「へぇ、すごいね! 二つも同時にかけられるなんて」

「……まあ、私は器用ですからね」

 目を輝かせるアザレアからやや目を逸らし、フォラクスは口元に手を遣る。

「……処で」

声をやや低くし、フォラクスは彼女の方を見た。

「ん、なに?」

「…………この状況に、如何どうも思わないのですか」

「なんで? わたしとの話に外部から変な干渉が来ないように結界を張ってくれたんでしょ?」

「……そうですね」

 首を傾げるアザレアに、フォラクスは諦めたような息を吐いた。

×

「……」

 じっ、とアザレアはフォラクスを見上げる。

「…………何です」

と、彼が柳眉をひそめたその時、

「ちょっとごめんね」
「な、」

ぎゅ、とフォラクスの胴体を抱きしめ、彼の服に顔をうずめる。唐突な行動に、フォラクスは目を見開き固まった。

「……うーん、今はしないみたいだね」

 フォラクスから離れながらアザレアは首を傾げる。失心草のにおいはしなかったものの、やっぱり何か良い匂いがしたなぁ、と思っていた。
 何か、良いお香のような匂い。

「…………うら若い女性が其の様に、人のにおいを嗅ぐ等、はしたのう御座いますよ」

 顔をしかめつつ口元に手を当てたフォラクスが、アザレアから身体を離しながら絞り出すようにいう。

「じゃあ、どんな相手なら良いのさ」

の様な相手でも、です。……強いて言えば、身内……か、恋人等では有りませぬか」

「なら、(書類上だけど)婚約者だから別にいいじゃん」

 と、全く気にしていないアザレアの様子に

「…………まあ、そうですが」

目を逸らし、フォラクスは再度、深く溜息を吐く。

「なんでそんな……がっかりしてる?」

「しておりませぬ」

「そう?」

アザレアは首を傾げる。

れで。……何故、においの話をなさるので」

 フォラクスはアザレアに問いかける。

「きみが精霊から助けてくれた時、あとこの間の『愛を返す日』で抱き上げられた時。その時、きみから失心草のにおいがした」

「……然様ですか」

 フォラクスを見上げ、アザレアは口角を下げた。見上げるフォラクスは、普段通りの涼しい顔をしているようだ。

「薬師ならまだ分かるけど、宮廷魔術師のきみからなんでそんなにおいがしたのかな」

 薬師は、薬品生成のための失心草の使用は許可されている。だが、それ以外の職業では普通は使わないもののはずだ。

「通常外の使い方をしたら、『乱用』で駄目、だった……と思う」

 眉間にしわを寄せながら思い出した、薬術に関する法律の内容をアザレアはフォラクスに説く。

「……『法律』が合格点を掠め取っていらしたのに、良く憶えておりましたね」

 面白いものを見たかのように、フォラクスは目を細める。

「それは薬学に関わるやつだし何度も叩き込まれたからね」

「然様か」

「で、誤魔化さないで」

アザレアが口を尖らせると、フォラクスは目を逸らした。まるで『チッ、誤魔化せなかったか』とでも言いた気だ。

「……」

「どうして?」

 前はフォラクスがアザレアへ距離を詰めることが多かったが、今はアザレアがフォラクスに詰め寄っている状況だ。

「……れは……私の仕事で、必要なものですからね」

フォラクスは心底面倒臭いと言わんばかりに柳眉をひそめて答える。

「勿論、私は宮廷魔術師でありますから、国からの許可は降りていますとも」

「ふーん……そう。なら、別にいいよ」

あまり納得はしていなかったものの、『これ以上聞いてもどうしようもない』と察しアザレアは質問を止めた。

「……ね、この場所からどうやって出るの?」

 空中に浮く字を見上げ、アザレアはフォラクスに問いかける。その字は彼が作った結界の核のようなものだ。

「…………の札をお持ち下され」

手渡されたのは小さな札。手のひらに乗る、名刺くらいの大きさの硬い紙に、黒い文字が書かれている。

れを持ち、結界を通れば擦り抜ける事が出来ましょう」

「へぇー」

札の裏や表を眺めながらアザレアは相槌を打った。

「どうぞ、お先に行きなされ。御学友の方々がお探しでしょうから」

 フォラクスは結界の方を手で示す。

「んー、それもそっか。ありがとう、きみの時間をくれて」

「……」

「またねー」

 手を振り、アザレアは結界をくぐる。

「うわぁ、すごい……」

 結界を通り抜ける際に、フォラクスに手渡された札の端が、じわりと燃え始めたのだ。
 それは炎を出して燃え上がるようなものではなく、火のついた紙が連鎖反応でゆっくり削れるように燃えていくような、静かな燃え方だった。
 最終的に、結界を抜け切った時、札は完全に炭のようになり崩れて空中へ溶けていった。
 振り返ると、さっきまで居た場所はただの棚が置いてあるだけの場所に見える。通常ならば魔術の結界の場合、魔力の存在感が有るはずだが、それが一切感じられなかった。
 アザレアは、改めて彼の術の高さに感心したのだった。

×

 そして、アザレアは廊下を歩きながら、少し口角を上げて笑った。

「(……やっぱりきみは、あんな状況だったにも関わらず、わたしになにもしないで返してくれたね)」

と。
 先にアザレアを出したのも、結界内に閉じ込めないためだったのだろう。

「(結界を直接解かなかったのは、面倒ごとを避けるため、かな)」

 今は休み時間で、廊下にはたくさんのアカデミー生で溢れていた。
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