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第5話 サービスシーンは湯屋の中で

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 「『星の宿』とはよく言ったものだよな。この眺めは前の世界でも──もとい、どの世界でもここでしか見られないだろうぜ」

 「ああ!もちろん湯の質も格別だが、これが見たいがために訪れる客もいるくらいだからな!」

 「俺はそういった風景とか眺めとかにはとんと疎いけれど、それでも感じ入るくらいだから相当だろう。煌びやかというか雅やかというか。特別感があるよな」

 男3人が口々に賞賛するのは、「星の宿」を象徴する絢爛豪華な風呂の内装である。
 立派な肉体を持ったむさ苦しい男3人が人並びに湯に浸かりながら見える景色ををああだこうだと賞賛する様子が読者諸兄にとってサービスシーンと受け取られるかはさておき。
 無骨な冒険者であれど思わず簡単の台詞を漏らしてしまうほどに、この湯屋が格別であることは確かだ。

 景色──とは厳密には違うのだけれど、そう称してしまっても構わないほどの光景が、彼らの眼前には広がっている。

 「星の宿」の入浴スペースは仄暗い光に包まれており、その中をキラキラと、あるいはぼんやりと星が舞っているのだ。この宿においてその表現は比喩ではない。何せ、本物の星を集めて解き放ったのがこの空間なのだから。
 
 この世界では不思議なことに、星を捕らえることができる。通常、星は空高く──どころか本体は宇宙にあるのだから触れることも、まして手に入れることなどできようはずもない。

 しかし、この世界の踏破難易度SSにも指定される「天空の隠し窓」には星々がこれ以上なく敷き詰められたフロアがあるのだ。遥か何後年も離れた天体の光を観測した光であるところの星とはやや趣を異にするものの(本質的なことを言うならば、蛍のようだと比喩できるだろう)、そのダンジョンに行って帰ってこられさえすれば、星を獲得できるのである。
 
 もっともダンジョンの難易度が難易度であるためにそれを収集してひとフロアに解き放つような真似ができるのはこの世界広しと言えど勇者パーティ行きつけの宿──「星の宿」くらいのものだろう。そんな豪華な宿は現在、彼らの貸切状態である。

 そうしたロマンティックな風景に当てられたわけでもないだろうが、ワタリはこれまでを懐かしむような口調で言う。

 「それにしても、随分と遠いところまで来たような心地だよなぁ。駆け出しだった頃なんて、まさかこんな豪奢な宿でのんびりできるようになるだなんて、想像すらしていなかったよ」

 それに対して、ルークもうむうむと頷く。

 「まったくだ。それこそこっちに来た時なんて地獄だったものな。あの頃は生き抜くことこそが戦争だったからよ。だからこそ最近は恐ろしいくらい穏やかで平和だと感じていたんだが……嵐の前の静けさみたいなもんだったってことだよな。そういう意味でアポロンさんの話を聞いた時は内心かなり取り乱していたんだけれど、アオバは落ち着いたもんだったよな?」

 「そんなことねぇさ。俺だって驚いたし、今だって呑み込めているとは言い難い。でも、そうだな……。それこそこれまでだって常に大変なことが目の前にあって、それに向けて対策を練って打開してきたわけだろ?だったらこれもまた同じようにやるしかないなって思って──」

 セリフの途中でザバァと大きな水音がする。立ち上がった大きな体躯はそのまま大きな笑い声を上げる。その過程で必然的にぶらぶら揺れる何かがルークの目の前を右へ左へすることになり、端正な顔立ちが何とも言えない歪みを見せているが、ワタリは気付かない。

 「ガッハッハッ!魔王の再誕という一大事をいつもと同じと言い張るとは何たる豪胆!それでこそ我らがリーダーだな!」

 「あーもう、やめてくれよ。俺は持ち上げられるのがあんまり得意じゃないんだ」

 「おっ、《万能》の勇者様の意外な弱点ってやつだな!よっ、色男!戦略家!」

 「あーうるさいうるさい!そんな話はいいからサウナ行くぞ、サウナ!」

 「勇者が逃げるとは何事だ──っておい、待てよ!俺も行くから!」

 スタスタ歩くアオバを、慌ててルークが追い、そのさらに後ろをゆったりとワタリが付いていく。何となく「若葉」男子勢の関係性が見えるような構図だった。

 余談ではあろうが、念のためこの後にサウナで目を回したルークがふたりに担ぎ出されたという事実も記しておこう。

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 一方その頃、女湯ではこれぞサービスシーンだと臆面なく言えるような光景が広がっていた。

 「あはは、くすぐったいったら、ミラ!もう……脇腹を優しめに洗うのはやめてって!」

 「まぁまぁ。そう言いながらも気持ちいいんじゃあないかな?ないかね?ほら、ここはどうかな?どうかね?」

 はだけた着物を纏う芸妓と、迫る悪代官──さながらにミラがミサキの背中を流していた。ミサキはいつもの気怠げな様子をおくびにも出さずに笑い転げているし、ミラは普段の冷静な表情ではなくニヤニヤとした笑みを小さな顔に張り付けている。

 そう、このふたり──大の仲良し、である。

 それも無理からぬことだ。
 異世界に飛ばされてから足掛け5年もの月日を、寝食をともにしながら過ごしてきたパーティ内唯一の同性の友達である。
 もういっそふたりの関係性は盟友と表現しても差し支えないだろう。
 だからふたりでいる瞬間はお互いに童女に帰ったかのようにキャッキャしているのだ。

 「にしても本当にミサキの背中って綺麗だね」

 「ひゃうっ!」

 突如背中をつうっと這う指の感覚にミサキは思わず素っ頓狂な声を上げてから、振り返ってミラを睨む。
 しかしそんな反応はお構いなし。ミラはミサキの両脇の下から手を通すと、胸を手の平で包み込んだ。

 「いいなー背中は綺麗だし、こんな立派な胸もあるし。どうしたらこんなに大きくなるのかな?なるのかね?」

 「ん……ね、ねぇ、やめて!やめなさい!」

 このように、普段はミサキがお姉さんのようなキャラクターであるように思えるが、ふたり間では完全にミラが主導権を握っているのである。
 もっとも今回はこの「やめなさい」を機に形成は逆転し、ミサキがミラをくすぐり地獄の刑に処した訳だが。

 閑話休題。

 そんなキャットファイトを経て、ふたりはようやく並んで湯船に浸かっている。それぞれがどことなくやつれて見えるのは気のせいではないだろう。

 「それにしても、本当に気持ちいいわね」
 
 「本当だね……」

 星空を眺めながら、ふたりともがほうと息を吐く。
 しかしそんなのんびりした空気は、ミラはほんの世間話だといった口調で言った一言で霧散する。

 「やっぱり普段の少しくたっとした口調って照れ隠しみたいなものなのかな?なのかね?」

 その言葉の効果は覿面だったようで、横では殊更大きな水音が鳴った。

 「ち、ちちちち違う!いつも私は同じように喋っててる!」

 その声の震えこそが事実を雄弁に語っているようなものである。ミラはゆったりと優しい笑みをつくる。

 「まだ慣れないのかな?かね?もう3年目だっていうのに。初《う》いねぇ……」

 そう言いながら脱力して、湯船にぷかぷかと浮かんだ。その様子は年相応の──もとい、見た目相応の幼な子のようだったが、発言自体には含蓄があった。

 「そんなことないもん!別に私はアオバを意識してなんかない!」

 「そうかねぇ……一目瞭然な気しかしないけれど……」

 ミサキはアオバと恋人関係に当たる。

 この世界に転移してきた当初からずっとリーダーシップを発揮していたアオバにミサキが段々と惹かれていった経緯をミラは知っていたけれど、意外にも告白したのはアオバだったらしい。

 もちろんミサキは一も二もなく頷いて──とはならなかった。
 素直でないミサキの首を縦に振らせるためにアオバがそれなりの苦労(ミラはとても大変だったのだろうと評価している)をして、ようやくふたりの交際はスタートしたのである。

 ロックバンドなどで言えばメンバー同士の恋愛は解散の理由となるらしいけれど、「若葉」に限ってそれはなかった。とくに三角関係が発生していなかったことが最大の理由であるし、どころかそんなのが発生しない程にピタリとくる組み合わせだったのだ。

 だからメンバーはそれとなく祝福し、とくに大きな変化もなくパーティは続いてきた。

 ……だが、それからミサキの口調が変わった。

 アオバがいる状況──基本的にミラとふたりでいる時以外──に限ってミサキの口調は気怠げなものになってしまったのだ。

 照れ隠し、である。
 
ミラを含めてメンバーはそれを明らかに察しているので笑いを堪えながら微笑ましく見ているが、ミサキの盟友であるところのミラはふたりの仲を心配していた。彼女は、意外にもお節介焼きな質なのだ。

 そんな内心など知らないミサキはいつもと同様に

 「そんなの、自分じゃあわからないわよ。自分のことなんて、自分が一番わからないもんなんだしぃ」

 と、敢えて気怠げな口調で言ってみる。

 「でも、さ。アオバはそれ、寂しくないのかな?ないのかね?」

 「うぅ……それはたまに言われるけど。恥ずかしいんだからしょうがないじゃない!」

 かわいいな、と素直にミラは思う。そしてそんなところにアオバは惚れたのだろうなとも推測した。安心したミラは、ちょっと意地悪してみたくなり、

 「じゃあ、さ。アオバが『そういうのは悲しい。それが続くんだったら別れる』って言ったらどうするのかな?どうするのかね?」

 「そんなこと言わない!アオバは寂しいけど、それが可愛いって──」

 そこまで口にしてミサキはミラの策略にハマったことに気付く。頬をみるみると紅潮させると、

 「もうっ!」

 と水面を叩いた。ピシャリと跳ねる水滴は空に散る星々を乱反射して、ミラーボールのよう。いい光景だ、とミラは思う。だから、こんなセリフがポロリとこぼれ落ちてしまったのだろう。

 「ずっと続くといいね。変わらない、平和な日々が」

 しかし、それは叶わぬ願いだと言えた。
 魔王が再誕した──その事実は、日常を砕くには十分すぎるほどに大きなものなのだから。

 ミラははっとする。「らしくない」と思ったのだ。彼女はいつも飄々と、ニヤニヤと周りを引っ掻き回すのが自分の習性みたいなものだと自覚している。
 反面、ミサキはやっと本音をこぼしたのだと嬉しく感じた。

 「続くわよ。だって、私たちは英雄で──無敵の勇者パーティなんだから!」

 その後も、ふたりの仲睦まじい時間は続いた。
 以後の会話で特筆すべきことといえば、ミサキの

 「アオバって、いつも無理をしているような気がするのよね。気を張っているというか──底を見せることを極端に恐れているような」

 という言葉だろうか。彼女が何の気なしに発したその一言がとんでもない示唆を含んでいるのだと、本人すら気付いていなかったけれど。

 「勇者が華々しい活躍の裏で、気を張り続けている」

 恋人であるからこそ得られた気付きは、本来ならば「よく気付いた」と称賛されて然るべきなのかもしれない。

 しかし、たとえばここでその直感をさらに深めて考えていたならば、あるいは何かが変わっていた可能性がある──そんな分水嶺となってしまったのは、確かな事実だった。
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