14 / 52
第二話 本当の居場所
第二話 二
しおりを挟む
名前を呼ばれ振り返ると、そこには面識のない青年がいた。
困惑に目を瞬かせる夜桜を置いて、青年は明るい調子でまくしたてる。
「やっぱりそうだ! おまえ、生きてたんだな。主様がお探ししてるってのに今まで一体どこにいたんだよ?」
夜桜は無意識に胸の前で右手を握りこみ、一歩後退った。
目の前の青年が誰だかは知らないが、明るく気安い態度とは裏腹に、彼には隙がなく、目が笑っていない。
頭の中で警鐘が鳴り響き、ずきずきと痛み出す。
(に、逃げなきゃ……)
そう思うのに、足は地面に縫いとめられたかのように動かない。
その間にも青年はひとりで話し続けていた。
「おまえがいなくなってから夜の番が俺たちにも回ってきちまってよ。みんな朝な夕なに戦いっぱなしだよ。全然休めねぇ」
「……」
「でも、こうして夜桜が見つかったんだ。主様もきっとお喜びくださるだろうさ。とっとと戻ろうぜ」
「……」
夜桜は硬い表情で青年を見つめ返すことしかできなかった。
(生きてた? 主様? 戦う?)
混乱する思考のまま夜桜がなんとか口にしたのは「誰、ですか?」の一言だった。
すると青年はぽかんと間の抜けた表情をした。
「まさか憶えてねぇの?」
「……あなたは、私のことを知っているのですか」
「おいおい、嘘だろ。憶えてねぇって、どこまでだよ?」
「……何も。『夜桜』という名前くらいしかわかりません」
緊張にか恐怖にか自分でも定かではないけれど、夜桜の声は硬質なものだった。
青年はその夜桜の様子に目を丸くして、それからくつくつと喉の奥で笑い出す。それは面白がっているというよりも嘲りを含んだものに近い笑いだった。
「まさか本名が『夜桜』だと思ってんのか?」
「……え?」
だって記憶を見たのだ。そこでは確かに自分を見た誰かが『夜桜』と口にしていたではないか。……畏怖した表情とともに。
(そうだわ。なぜ私を見て怖がっていたのかしら……)
背に嫌な汗が伝う。頭痛はがんがんと打ちつけるような痛みに変わっていた。
これ以上青年の話に耳を傾けてはいけない。けれど相反する思いもある。真実を知らなければならないと。
「おまえの本当の名前は『神遣美桜』。またの名を妖殺しの『夜桜』……ってな?」
「……っぅ‼」
その瞬間、まるで雷に打たれたかのような激痛が脳内に走った。
鬼神か修羅のごとく妖を屠る。まるで舞い踊る桜の花びらのように、美桜は短刀片手に宙を舞った。白銀の髪が月光を反射し、きらきらと輝いていた。
気づけば美桜の周囲には数えきれないほどの屍が転がっていて、それぞれから白い光が立ち昇っていた。美桜の右手が握っている短刀の刃からは妖の血が滴り落ち、地面に落ちる前に白い光となり消えていく。同じようにして美桜の白い頬と緋袴に付いた返り血も白い光となる。これだけの数を相手にしておきながら、美桜には傷一つない。
光を宿さない虚ろな赤い瞳でゆらりと振り返ると、助太刀すればかえって足手まといになるとわかっていたからか同じ主に仕える式神たちが遠巻きに美桜を見ていた。そのうちの誰かが畏怖をこめて呟いた。
「あれが『夜桜』……」
「…………」
美桜は顔色を失くし、絶句した。
(そう、よ……。どうして忘れることなんてできていたの……?)
主に命じられるまま、妖を何体も何体も、数えきれないほど消滅させてきた。人間に仇なす、たったそれだけの理由で。確かに凶悪な妖は多かったが、果たして殺すことだけが解決のためのたったひとつの選択肢だったのだろうか。
俯きかけた美桜の頭に嘲笑が降ってくる。
「ははっ。もしかして記憶がないからって善人ぶってたのかよ。今にも泣き出しそうになって、今までの能面みたいな面はどうした?」
心を、殺してきた。
そうしなければ刃を振るえなかったから。
それが嫌で嫌でたまらなくて自死を試みたこともある。けれど死ぬよりも痛く辛く苦しい折檻が待っているだけで死なせてはもらえなかった。以来、美桜は徐々に心をすり減らしながらも生き続けるしかなく、生きる以上は主の命令に忠実でなければならなかった。
(私は保身のために、妖を手にかけ続けてきた。私は半分は人間だけれどもう半分は妖で……、だというのに同族の妖の命を、殺めて……)
生き続けて、しまっている。
それも自らの犯した罪を忘れて、穏やかな日々に浸って、のうのうと。
人間社会の法に照らし合わせれば妖を殺したところで罪には問われない。そうだとしても美桜は自分に対して言い尽くせない嫌悪感を抱いた。視界が涙で揺らぐのは吐き気を催したからか、自分がやってきたことへの後悔からか。
(私には泣く資格すら、ない)
力なくうなだれる美桜の顔から表情が抜け落ちていく。さらに愉しげに語る青年が美桜に追い打ちをかける。
「主様はお優しいからな。おまえが勝手に逃げ出したこと、許してくれるといいな?」
紫苑と再会してからの二月で少しずつ積み上げていた感情があっけなく崩れ去る。
言いがかりだと怒る気にもならなければ、連れ戻されそうなことに悲しさも覚えない。自分には何かを楽しいと思うことすら許されず、残った唯一の感情は抑えきれない恐怖だけだった。
「まあ、俺も主様ほどではないにせよ優しいからな。一緒に行ってとりなしてやるよ」
「……」
「おいって」
一言も言葉を発することができず立ち尽くす美桜にしびれを切らした青年が手を伸ばす。美桜の混乱していた思考が今度は恐怖に埋め尽くされた。
(嫌。怖い。気持ち悪い。……触らないで!)
青年の手を振り払わなければと思うのに、体はまるで言うことをきかない。伸ばされた青年の手が美桜の手首に触れる、その瞬間。
困惑に目を瞬かせる夜桜を置いて、青年は明るい調子でまくしたてる。
「やっぱりそうだ! おまえ、生きてたんだな。主様がお探ししてるってのに今まで一体どこにいたんだよ?」
夜桜は無意識に胸の前で右手を握りこみ、一歩後退った。
目の前の青年が誰だかは知らないが、明るく気安い態度とは裏腹に、彼には隙がなく、目が笑っていない。
頭の中で警鐘が鳴り響き、ずきずきと痛み出す。
(に、逃げなきゃ……)
そう思うのに、足は地面に縫いとめられたかのように動かない。
その間にも青年はひとりで話し続けていた。
「おまえがいなくなってから夜の番が俺たちにも回ってきちまってよ。みんな朝な夕なに戦いっぱなしだよ。全然休めねぇ」
「……」
「でも、こうして夜桜が見つかったんだ。主様もきっとお喜びくださるだろうさ。とっとと戻ろうぜ」
「……」
夜桜は硬い表情で青年を見つめ返すことしかできなかった。
(生きてた? 主様? 戦う?)
混乱する思考のまま夜桜がなんとか口にしたのは「誰、ですか?」の一言だった。
すると青年はぽかんと間の抜けた表情をした。
「まさか憶えてねぇの?」
「……あなたは、私のことを知っているのですか」
「おいおい、嘘だろ。憶えてねぇって、どこまでだよ?」
「……何も。『夜桜』という名前くらいしかわかりません」
緊張にか恐怖にか自分でも定かではないけれど、夜桜の声は硬質なものだった。
青年はその夜桜の様子に目を丸くして、それからくつくつと喉の奥で笑い出す。それは面白がっているというよりも嘲りを含んだものに近い笑いだった。
「まさか本名が『夜桜』だと思ってんのか?」
「……え?」
だって記憶を見たのだ。そこでは確かに自分を見た誰かが『夜桜』と口にしていたではないか。……畏怖した表情とともに。
(そうだわ。なぜ私を見て怖がっていたのかしら……)
背に嫌な汗が伝う。頭痛はがんがんと打ちつけるような痛みに変わっていた。
これ以上青年の話に耳を傾けてはいけない。けれど相反する思いもある。真実を知らなければならないと。
「おまえの本当の名前は『神遣美桜』。またの名を妖殺しの『夜桜』……ってな?」
「……っぅ‼」
その瞬間、まるで雷に打たれたかのような激痛が脳内に走った。
鬼神か修羅のごとく妖を屠る。まるで舞い踊る桜の花びらのように、美桜は短刀片手に宙を舞った。白銀の髪が月光を反射し、きらきらと輝いていた。
気づけば美桜の周囲には数えきれないほどの屍が転がっていて、それぞれから白い光が立ち昇っていた。美桜の右手が握っている短刀の刃からは妖の血が滴り落ち、地面に落ちる前に白い光となり消えていく。同じようにして美桜の白い頬と緋袴に付いた返り血も白い光となる。これだけの数を相手にしておきながら、美桜には傷一つない。
光を宿さない虚ろな赤い瞳でゆらりと振り返ると、助太刀すればかえって足手まといになるとわかっていたからか同じ主に仕える式神たちが遠巻きに美桜を見ていた。そのうちの誰かが畏怖をこめて呟いた。
「あれが『夜桜』……」
「…………」
美桜は顔色を失くし、絶句した。
(そう、よ……。どうして忘れることなんてできていたの……?)
主に命じられるまま、妖を何体も何体も、数えきれないほど消滅させてきた。人間に仇なす、たったそれだけの理由で。確かに凶悪な妖は多かったが、果たして殺すことだけが解決のためのたったひとつの選択肢だったのだろうか。
俯きかけた美桜の頭に嘲笑が降ってくる。
「ははっ。もしかして記憶がないからって善人ぶってたのかよ。今にも泣き出しそうになって、今までの能面みたいな面はどうした?」
心を、殺してきた。
そうしなければ刃を振るえなかったから。
それが嫌で嫌でたまらなくて自死を試みたこともある。けれど死ぬよりも痛く辛く苦しい折檻が待っているだけで死なせてはもらえなかった。以来、美桜は徐々に心をすり減らしながらも生き続けるしかなく、生きる以上は主の命令に忠実でなければならなかった。
(私は保身のために、妖を手にかけ続けてきた。私は半分は人間だけれどもう半分は妖で……、だというのに同族の妖の命を、殺めて……)
生き続けて、しまっている。
それも自らの犯した罪を忘れて、穏やかな日々に浸って、のうのうと。
人間社会の法に照らし合わせれば妖を殺したところで罪には問われない。そうだとしても美桜は自分に対して言い尽くせない嫌悪感を抱いた。視界が涙で揺らぐのは吐き気を催したからか、自分がやってきたことへの後悔からか。
(私には泣く資格すら、ない)
力なくうなだれる美桜の顔から表情が抜け落ちていく。さらに愉しげに語る青年が美桜に追い打ちをかける。
「主様はお優しいからな。おまえが勝手に逃げ出したこと、許してくれるといいな?」
紫苑と再会してからの二月で少しずつ積み上げていた感情があっけなく崩れ去る。
言いがかりだと怒る気にもならなければ、連れ戻されそうなことに悲しさも覚えない。自分には何かを楽しいと思うことすら許されず、残った唯一の感情は抑えきれない恐怖だけだった。
「まあ、俺も主様ほどではないにせよ優しいからな。一緒に行ってとりなしてやるよ」
「……」
「おいって」
一言も言葉を発することができず立ち尽くす美桜にしびれを切らした青年が手を伸ばす。美桜の混乱していた思考が今度は恐怖に埋め尽くされた。
(嫌。怖い。気持ち悪い。……触らないで!)
青年の手を振り払わなければと思うのに、体はまるで言うことをきかない。伸ばされた青年の手が美桜の手首に触れる、その瞬間。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる