46 / 52
第四話 過去との決別
第四話 七
しおりを挟む
朽葉色の髪の青年が背中を向けて走り去っていく。その後を烏姿に戻った風雅が追っていった。
それを視界の片隅に捉えながら、手を休めることなく美桜は短刀を振るい続ける。
美桜の容赦ない連撃を紫苑は結界で弾くばかりで一向に反撃をする気配はない。弱い獲物のように守りに徹するしかないという風でもなく、彼が意図的に美桜を傷つけまいとしていることに美桜は薄々気がついていた。
(どうして……?)
今の美桜のように相手を殺す気でかかった方がずっと簡単なはずなのに、目の前の彼からは殺気を感じられない。
(一体この人は何のために戦っているのかしら)
目的はわからないが、美桜のなすべきはひとつだけだ。
(いつもみたいに、目の前の相手を殺せば良いだけ)
主に命じられて、ただ何も考えずに言うことをきけばいい。
さっさとけりをつけるべく、美桜は攻撃速度をあげた。
「……っ!」
(まだ、速くなる……⁉)
紫苑は焦りと動揺を顔に滲ませながら、必死に美桜の攻撃に食らいついた。しかし、心持ちが違う時点で、紫苑は不利なのだ。
そのうち結界を張り直すのが間に合わなくなって、美桜の短刀の切っ先が紫苑の左腕をかすめた。
「く……っ」
鋭い痛みに紫苑は僅かに顔をしかめる。その一瞬の隙をついて、美桜がさらなる一撃を繰り出すが、紫苑は反射的に跳び退いて事なきを得た。
一度距離をとり、呼吸を整える。
(解呪するにしても、この状況だと厳しいか)
解呪には集中力はもちろん、正確さと丁寧さも求められる。今の美桜を相手にしながら解呪を試みることはできないといえた。
そんなことを考えている間にも、美桜は追撃してくる。紫苑は重くなり始めた右腕を持ち上げ九字を切った。
「臨、兵、闘……」
「遅いわ」
しかし紫苑が結界を張るより早く短刀が彼に迫る。狙いは、左胸。
あらゆるものの動きがやけに遅くなったように感じられる。時の進みがゆっくりになった世界で、紫苑はふと思った。
(そうか。この手を使えば……)
紫苑は覚悟を決め、その時を待った。
美桜が紫苑の心臓を貫く。
「……っ⁉」
しかし実際に貫いていたのは紫苑の左上腕だった。
滅多に狙いを外さない美桜にとっては衝撃的な出来事で、僅かに動揺してしまった。そしてその隙を紫苑は見逃さない。美桜が短刀を引き抜き後退するより早く、動かせる右腕で美桜を抱きしめるように捕らえた。
美桜は紫苑の胸を突き飛ばそうとしたが、美桜を抱く右腕の力は予想以上に強く、逃れることは叶いそうにない。だからといって大人しくしているつもりはなく、美桜は紫苑の腕の中でもがき、抵抗した。
「放、して……!」
「っ!」
短刀が刺さったままの左上腕に痛みが走るのか、紫苑は顔を歪ませたがそれでも美桜を放すことはしなかった。それどころか痛みを無視して懐から人形を取り出すと、それで美桜の頭をさっと撫でた。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前」
右腕の中では今も美桜が激しく抵抗している。その度に左上腕に熱をもった鋭い痛みが走るが、祈祷文を諳んじる紫苑の声は凛として涼やかで、まるで淀みがなかった。
「一心奉請、東神青龍、南神朱雀、中央神麒麟、西神白虎、北神玄武。急々如律令。一心奉請、東神青龍、南神朱雀、中央神麒麟、西神白虎、北神玄武。急々如律令。一心奉請、東神青龍、南神朱雀、中央神麒麟、西神白虎、北神玄武。急々如律令」
謡うように紫苑は言葉を紡いでいく。
「依代を以て其の身の邪気を祓い給え。水生木大吉、祈願円満。木火土金水の神霊・厳の御霊を幸え給え。木生火大吉、祈願円満。火生土大吉、円満成就。土生金大吉、円満成就。金生水大吉、円満成就」
いつの間にか美桜は抵抗を止め、紫苑の腕の中で呆然と目を瞬いていた。
(この、声、は……)
それまでは無音とも雑音ともとれる音しかない奇妙な世界に美桜はいた。紫苑の呼びかけも聞こえてはいたが、明瞭な形をもった声というよりかは煩わしい雑音でしかなかったのだ。それが徐々にはっきりと声として美桜の耳に、心に届く。
聞きなじんだ穏やかな声に、触れたところから伝わる柔らかな体温、放すまいとする力強くも優しい腕の力。
どうして忘れていられたのか不思議なくらいに、そこは美桜の居場所そのものだった。
「冀くば祈主渡良瀬紫苑、心上護神、除災与楽、胸霧自消、心月澄明、祈願円満、円満成就。急々如律令。一心奉送上所請、一切尊神、一切霊等、各々本宮に還り給え、向後請じ奉らば、即ち慈悲捨てず、急に須く光降を垂れ給え」
祈祷文を唱え終わった紫苑は人形にふっと息を吹きかけ、取り出した霊符で火を熾すと人形を燃やした。和紙でできた人形は灰に変わり、風に乗って彼方へと消えていく。
最後の灰塵を見届けると、紫苑はすっかり大人しくなった腕の中の美桜へと視線を落とした。解呪は成功しているだろうが、美桜の顔を見るまでは安心できない。
「美桜」と呼びかけるため息を吐こうとした。しかし実際には紫苑は息をのんでいた。
一瞬の後に何が起こったのか理解する。
紫苑は美桜に力いっぱい突き飛ばされていた。
それを視界の片隅に捉えながら、手を休めることなく美桜は短刀を振るい続ける。
美桜の容赦ない連撃を紫苑は結界で弾くばかりで一向に反撃をする気配はない。弱い獲物のように守りに徹するしかないという風でもなく、彼が意図的に美桜を傷つけまいとしていることに美桜は薄々気がついていた。
(どうして……?)
今の美桜のように相手を殺す気でかかった方がずっと簡単なはずなのに、目の前の彼からは殺気を感じられない。
(一体この人は何のために戦っているのかしら)
目的はわからないが、美桜のなすべきはひとつだけだ。
(いつもみたいに、目の前の相手を殺せば良いだけ)
主に命じられて、ただ何も考えずに言うことをきけばいい。
さっさとけりをつけるべく、美桜は攻撃速度をあげた。
「……っ!」
(まだ、速くなる……⁉)
紫苑は焦りと動揺を顔に滲ませながら、必死に美桜の攻撃に食らいついた。しかし、心持ちが違う時点で、紫苑は不利なのだ。
そのうち結界を張り直すのが間に合わなくなって、美桜の短刀の切っ先が紫苑の左腕をかすめた。
「く……っ」
鋭い痛みに紫苑は僅かに顔をしかめる。その一瞬の隙をついて、美桜がさらなる一撃を繰り出すが、紫苑は反射的に跳び退いて事なきを得た。
一度距離をとり、呼吸を整える。
(解呪するにしても、この状況だと厳しいか)
解呪には集中力はもちろん、正確さと丁寧さも求められる。今の美桜を相手にしながら解呪を試みることはできないといえた。
そんなことを考えている間にも、美桜は追撃してくる。紫苑は重くなり始めた右腕を持ち上げ九字を切った。
「臨、兵、闘……」
「遅いわ」
しかし紫苑が結界を張るより早く短刀が彼に迫る。狙いは、左胸。
あらゆるものの動きがやけに遅くなったように感じられる。時の進みがゆっくりになった世界で、紫苑はふと思った。
(そうか。この手を使えば……)
紫苑は覚悟を決め、その時を待った。
美桜が紫苑の心臓を貫く。
「……っ⁉」
しかし実際に貫いていたのは紫苑の左上腕だった。
滅多に狙いを外さない美桜にとっては衝撃的な出来事で、僅かに動揺してしまった。そしてその隙を紫苑は見逃さない。美桜が短刀を引き抜き後退するより早く、動かせる右腕で美桜を抱きしめるように捕らえた。
美桜は紫苑の胸を突き飛ばそうとしたが、美桜を抱く右腕の力は予想以上に強く、逃れることは叶いそうにない。だからといって大人しくしているつもりはなく、美桜は紫苑の腕の中でもがき、抵抗した。
「放、して……!」
「っ!」
短刀が刺さったままの左上腕に痛みが走るのか、紫苑は顔を歪ませたがそれでも美桜を放すことはしなかった。それどころか痛みを無視して懐から人形を取り出すと、それで美桜の頭をさっと撫でた。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前」
右腕の中では今も美桜が激しく抵抗している。その度に左上腕に熱をもった鋭い痛みが走るが、祈祷文を諳んじる紫苑の声は凛として涼やかで、まるで淀みがなかった。
「一心奉請、東神青龍、南神朱雀、中央神麒麟、西神白虎、北神玄武。急々如律令。一心奉請、東神青龍、南神朱雀、中央神麒麟、西神白虎、北神玄武。急々如律令。一心奉請、東神青龍、南神朱雀、中央神麒麟、西神白虎、北神玄武。急々如律令」
謡うように紫苑は言葉を紡いでいく。
「依代を以て其の身の邪気を祓い給え。水生木大吉、祈願円満。木火土金水の神霊・厳の御霊を幸え給え。木生火大吉、祈願円満。火生土大吉、円満成就。土生金大吉、円満成就。金生水大吉、円満成就」
いつの間にか美桜は抵抗を止め、紫苑の腕の中で呆然と目を瞬いていた。
(この、声、は……)
それまでは無音とも雑音ともとれる音しかない奇妙な世界に美桜はいた。紫苑の呼びかけも聞こえてはいたが、明瞭な形をもった声というよりかは煩わしい雑音でしかなかったのだ。それが徐々にはっきりと声として美桜の耳に、心に届く。
聞きなじんだ穏やかな声に、触れたところから伝わる柔らかな体温、放すまいとする力強くも優しい腕の力。
どうして忘れていられたのか不思議なくらいに、そこは美桜の居場所そのものだった。
「冀くば祈主渡良瀬紫苑、心上護神、除災与楽、胸霧自消、心月澄明、祈願円満、円満成就。急々如律令。一心奉送上所請、一切尊神、一切霊等、各々本宮に還り給え、向後請じ奉らば、即ち慈悲捨てず、急に須く光降を垂れ給え」
祈祷文を唱え終わった紫苑は人形にふっと息を吹きかけ、取り出した霊符で火を熾すと人形を燃やした。和紙でできた人形は灰に変わり、風に乗って彼方へと消えていく。
最後の灰塵を見届けると、紫苑はすっかり大人しくなった腕の中の美桜へと視線を落とした。解呪は成功しているだろうが、美桜の顔を見るまでは安心できない。
「美桜」と呼びかけるため息を吐こうとした。しかし実際には紫苑は息をのんでいた。
一瞬の後に何が起こったのか理解する。
紫苑は美桜に力いっぱい突き飛ばされていた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる