【本編完結】春待つ桜 君待つ紫苑

南 鈴紀

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第四話 過去との決別

第四話 七

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 朽葉色の髪の青年が背中を向けて走り去っていく。その後を烏姿に戻った風雅が追っていった。
 それを視界の片隅に捉えながら、手を休めることなく美桜は短刀を振るい続ける。
 美桜の容赦ない連撃を紫苑は結界で弾くばかりで一向に反撃をする気配はない。弱い獲物のように守りに徹するしかないという風でもなく、彼が意図的に美桜を傷つけまいとしていることに美桜は薄々気がついていた。
(どうして……?)
 今の美桜のように相手を殺す気でかかった方がずっと簡単なはずなのに、目の前の彼からは殺気を感じられない。
(一体この人は何のために戦っているのかしら)
 目的はわからないが、美桜のなすべきはひとつだけだ。
(いつもみたいに、目の前の相手を殺せば良いだけ)
 主に命じられて、ただ何も考えずに言うことをきけばいい。
 さっさとけりをつけるべく、美桜は攻撃速度をあげた。
「……っ!」
(まだ、速くなる……⁉)
 紫苑は焦りと動揺を顔に滲ませながら、必死に美桜の攻撃に食らいついた。しかし、心持ちが違う時点で、紫苑は不利なのだ。
 そのうち結界を張り直すのが間に合わなくなって、美桜の短刀の切っ先が紫苑の左腕をかすめた。
「く……っ」
 鋭い痛みに紫苑は僅かに顔をしかめる。その一瞬の隙をついて、美桜がさらなる一撃を繰り出すが、紫苑は反射的に跳び退いて事なきを得た。
 一度距離をとり、呼吸を整える。
(解呪するにしても、この状況だと厳しいか)
 解呪には集中力はもちろん、正確さと丁寧さも求められる。今の美桜を相手にしながら解呪を試みることはできないといえた。
 そんなことを考えている間にも、美桜は追撃してくる。紫苑は重くなり始めた右腕を持ち上げ九字を切った。
「臨、兵、闘……」
「遅いわ」
 しかし紫苑が結界を張るより早く短刀が彼に迫る。狙いは、左胸。
 あらゆるものの動きがやけに遅くなったように感じられる。時の進みがゆっくりになった世界で、紫苑はふと思った。
(そうか。この手を使えば……)
 紫苑は覚悟を決め、その時を待った。
 美桜が紫苑の心臓を貫く。
「……っ⁉」
 しかし実際に貫いていたのは紫苑の左上腕だった。
 滅多に狙いを外さない美桜にとっては衝撃的な出来事で、僅かに動揺してしまった。そしてその隙を紫苑は見逃さない。美桜が短刀を引き抜き後退するより早く、動かせる右腕で美桜を抱きしめるように捕らえた。
 美桜は紫苑の胸を突き飛ばそうとしたが、美桜を抱く右腕の力は予想以上に強く、逃れることは叶いそうにない。だからといって大人しくしているつもりはなく、美桜は紫苑の腕の中でもがき、抵抗した。
「放、して……!」
「っ!」
 短刀が刺さったままの左上腕に痛みが走るのか、紫苑は顔を歪ませたがそれでも美桜を放すことはしなかった。それどころか痛みを無視して懐から人形を取り出すと、それで美桜の頭をさっと撫でた。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前」
 右腕の中では今も美桜が激しく抵抗している。その度に左上腕に熱をもった鋭い痛みが走るが、祈祷文を諳んじる紫苑の声は凛として涼やかで、まるで淀みがなかった。
「一心奉請、東神青龍、南神朱雀、中央神麒麟、西神白虎、北神玄武。急々如律令。一心奉請、東神青龍、南神朱雀、中央神麒麟、西神白虎、北神玄武。急々如律令。一心奉請、東神青龍、南神朱雀、中央神麒麟、西神白虎、北神玄武。急々如律令」
 謡うように紫苑は言葉を紡いでいく。
「依代を以て其の身の邪気を祓い給え。水生木大吉、祈願円満。木火土金水の神霊・厳の御霊を幸え給え。木生火大吉、祈願円満。火生土大吉、円満成就。土生金大吉、円満成就。金生水大吉、円満成就」
 いつの間にか美桜は抵抗を止め、紫苑の腕の中で呆然と目を瞬いていた。
(この、声、は……)
 それまでは無音とも雑音ともとれる音しかない奇妙な世界に美桜はいた。紫苑の呼びかけも聞こえてはいたが、明瞭な形をもった声というよりかは煩わしい雑音でしかなかったのだ。それが徐々にはっきりと声として美桜の耳に、心に届く。
 聞きなじんだ穏やかな声に、触れたところから伝わる柔らかな体温、放すまいとする力強くも優しい腕の力。
 どうして忘れていられたのか不思議なくらいに、そこは美桜の居場所そのものだった。
「冀くば祈主渡良瀬紫苑、心上護神、除災与楽、胸霧自消、心月澄明、祈願円満、円満成就。急々如律令。一心奉送上所請、一切尊神、一切霊等、各々本宮に還り給え、向後請じ奉らば、即ち慈悲捨てず、急に須く光降を垂れ給え」
 祈祷文を唱え終わった紫苑は人形にふっと息を吹きかけ、取り出した霊符で火を熾すと人形を燃やした。和紙でできた人形は灰に変わり、風に乗って彼方へと消えていく。
 最後の灰塵を見届けると、紫苑はすっかり大人しくなった腕の中の美桜へと視線を落とした。解呪は成功しているだろうが、美桜の顔を見るまでは安心できない。
 「美桜」と呼びかけるため息を吐こうとした。しかし実際には紫苑は息をのんでいた。
 一瞬の後に何が起こったのか理解する。
紫苑は美桜に力いっぱい突き飛ばされていた。
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