【本編完結】朱咲舞う

南 鈴紀

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第三話 欠落の二年間

第三話 三

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「雪……」
 まだ夜明けの遠い濃紺の闇の中に、白い雪片がふわふわと舞い散る。霊符を書くために禊ぎをする必要があるが、極寒の中の沐浴は想像するだけで身体が震えた。それでもあかりを想えばこそ、嫌だとは一切思わなかった。結月は足を止めることなく、屋敷にある禊ぎの場へと向かう。
 沐浴後に、清めた仕事着である白の上衣と青の袴に着替える。袴に雄大に泳ぐ青い刺繡の龍を見ると、さらに気が引き締まる思いがした。
 まずは墨を溶くための清明水を謹製する。汲んできた清水三升に日本酒五合と粗塩ひとつまみを加えて、「斗歩恵身忌為、祓い給え、清め給え」を八回唱えて完成だ。
 謹製した清明水と筆、墨、青い和紙など諸道具を携えて青柳を祀る部屋に入った結月は、早朝の祈祷を済ませてから、霊符の作成を始めた。
 青柳の神棚とは別に、南に祀る鎮宅霊符神の尊像の前で二度拝してから「遠去場他多、儀屋多万名家之木夜露丹」と二度唱える。そして二度拝した後、焼香し、両手を胸に充てて、立ち上がった。
「一心奉請、東神青柳、北辰妙見、真武神仙、韓壇関公、劉進平先生、漢孝文皇帝、霊符天神神、急急如律令」
 勧請文を三度唱えると、次に鎮宅霊符神に捧げた八種の供物を普印で加持した。
「黍稷香しきにあらず、明徳惟れ馨し、沼沚之草、蘋蘩之菜、礼奠薄しといえども、志の敦厚なるを以て、昭かに之を尚享す」
 唱えた後、さらに神酒を八葉印で加持する。
「此酒妙味、遍満虚空、祭諸神等、祭諸霊等、天福皆来、地福円満」
 三度唱えて、柏手二回の後「大なる哉、乾なる哉、乾元亨利貞」と誦し、歯を八度叩いて鳴らした。それから結月は胸いっぱいに息を吸い込むと「乾元亨利貞」を百二十回唱えた。一切調子を乱すことなく唱え終えると、予め用意していた扇子を手にする。
「心上護神、三元加持、胸霧自消、心月澄明、大願成就、上天妙果」
 これを三度誦してから瞑目し、静かな心の中に、青い光が月光のようにして天から降り注いでくる様を想像し、その光を一息で飲み込むようにした。それと同時に、その気を筆に吹き入れるよう強く念じて、青い生漉きの和紙に筆を走らせる。青い光の粒が厳かに光り輝いた。
 丁寧に書き上げた数枚の霊符を壇上に置き、「乾元亨利貞」を心中で八度唱えて、霊符に対して刀印を構えた。
「青柳、白古、朱咲、玄舞、空陳、南寿、北斗、三体、玉女」
 四縦五横に九字を切って、青い光がようやく収まり、符が完成する。
 結月は詰めていた息を一度吐き出すと、諸道具とともに持ってきていた以前に作成した霊符の束を側に取り寄せた。先ほど書き上げたばかりの霊符も青柳の神棚の前に並べ置くと、霊符の効力を高めるために青柳と霊符神に祈るように三度奏上した。
「ここに七十二道の霊符神は、身上に具足し、青柳結月を守護し給え。夫れ神は万物に妙にして変化に通ずるものなり。天道を立て、是を陰陽と謂い、地道を立て、是を柔剛と謂い、人道を立て、是を仁義と謂う。三才兼ねて之を両つにす。故に六画卦を成す。天地位を定む。山沢気を通じ、雷風相薄り、水火相撃つ。八卦相錯って往を推し、来を知る者は、神なり。乾を奎と曰う。坎を虚と曰う。艮を斗と曰う。震を房と曰う。巽を角と曰う。離を星と曰う。坤を井と曰う。兌を昴と曰う。天地吉凶、神に非ずんば、知ること無し。故に八珍・八財・八菓・珍華・異香・美酒・甘肴を備え、やく祭を陳ぶ。仰ぎ冀くば、今日の祈主青柳結月、福寿増長、除災与楽、心中善願、決定成就、決定円満」
 奏上の声が届いたかのように霊符がぱっと一瞬だけ青く光る。結月はそれを見届けてから、休む間もなく片付けを始めた。
 縁側に出たら、室内に差し込んでいた日の出の光よりもずっと眩しいそれに、目が痛くなった。雪は降り積もるほど降らなかったようだが、冬の早朝の寒さははやり身体を芯から冷やす。
「あかり……」
 太陽の光に、結月はあかりの笑顔を重ねた。そして、彼女はこの光を見られているだろうかと、苦手な寒さに体調を崩してはいないかと遠く心で呼びかけた。
 しんとした中庭は、静寂を貫いた。
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