【本編完結】朱咲舞う

南 鈴紀

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小話

和やかなひととき

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 目を閉じて、気を集中させる。
 二つの足音が徐々に迫ってくる。一つは聞きなじんだ秋之介のもの。もう一つは今回の捕縛対象のもの。
 足音とは別に、あかりのすぐ側にも気配が二つある。半歩前に控えるのが結月で、少し離れて後方に佇んでいるのが昴だ。静かな気配が存在感を増し始めた。
 ガサガサガサ。
 側の気の膨張と大きくなる足音を頼りに、あかりはタイミングを計る。
(三、二、……一!)
「あかり!」
「青柳、白古、朱咲、玄舞、空陳……」
 あかりが目を開くと同時に、秋之介が名を叫ぶ声と昴が結界を張る声が森の中にこだました。
「天神の母、玉女。南地の母、朱咲。我を護り、我を保けよ」
 祝詞を上げながら宙に右手を滑らせると霊剣が現れる。赤い光の粒子が散ると、代わりに白銀の刃が眩しくきらめいた。
 あかりは禹歩を踏みながら、祝詞を謡うように奏上する。その様は神楽のように美しく、剣舞のように力強い。剣を一振りする度に、赤の光が舞い踊った。
「我に侍えて行き、某郷里に至れ。杳杳冥冥、我を見、声を聞く者はなく、その情を覩る鬼神なし」
 対象は狼の妖だった。狼はあかりが反閇を行っている間は縛られたように身じろぎ一つしなかったが、息継ぎの瞬間とびかかろうと身を低くした。
「我を喜ぶ者は福し、我を悪む者は殃せらる。百邪鬼賊、我に当う者は亡び、千万人中、我を見る者は喜ぶ」
 あかりは避ける素振りも見せず、一心に謡い、舞い続ける。
 狼が後ろ脚を蹴ったそのとき、あかりと狼の間に一枚の霊符が放たれた。
「雷光一閃。急々如律令」
 結月の静かな声に呼応して、霊符が目を焼くほどの光を放った。狼だけが怯んだように、一瞬動きを止める。あかりはその隙を見逃さず、祝詞を終えるべく霊剣の切っ先を狼に突きつけた。
「青柳、白古、朱咲、玄舞、空陳、南寿、北斗、三体、玉女」
 素早く九字を唱えながら、剣を四横五縦に切るように振る。
「急々如律令!」
 最後に袈裟懸けに刃を振り下ろす。赤い光が弾け散った。
 光の向こうで狼はぱったりと倒れこみ、ぴくりとも動かなくなった。ただし、その胸は微かに上下しており、草木で切ったかすり傷のほかは怪我らしい怪我も見当たらない。
 あかりはそれを見届けてから、右腕を軽く振って、霊剣を消した。
「お疲れ様、みんな」
 あかりの背後で手を叩いたのは昴だった。気絶した狼を小さな結界に閉じ込めると、あかりたちを振り返る。
「みんな、怪我してないようでなによりだよ」
「そんなヘマしねえよ」
 前方の木の幹の陰から進み出てきた秋之介は余裕しゃくしゃくの態度で笑った。
「そんなことより、ゆづ。あの霊符ってこの間の花火の改良版か?」
 結月はこくんと頷いた。
「そう。光を強くした。……目、大丈夫だった?」
「おう。前もって護符くれただろ」
 秋之介は懐から一枚の護符を取り出して、ひらひらと振る。
「……良かった」
 結月は安心したようにほんの微かに笑った。そして思い出したように右の袂から小さな紙包みを取り出すと、あかりに手渡した。
「あげる。お疲れ様」
「ありがとう!」
 紙包みを受け取ったとたん、ぱっと花を咲かせたような笑顔を見せる。先ほどの鬼気迫るような真剣な表情はもうどこにもない。
 任務終わりにいつも結月がくれるものは決まっていて、中身は見ずともわかる。いそいそと紙包みを開けようとしたら、秋之介と昴からも紙包みを差し出された。
「お前、力使うと腹減ったーってうるせえからな」
「しょうがないでしょ。そういうものなんだから」
 にやにや笑う秋之介をひと睨みするが、もらうものはしっかりもらう。
 あかりは最初に青い紙包みを開けた。これは結月にもらったもので、中には予想通り金平糖が入っていた。青、白、かなり珍しいが黒、そして一番多いのは赤だ。赤い金平糖を一粒つまんで、ぱくりと口に入れた。舌の上にじんわりと甘さが広がる。
 あかりはへらりと幸せそうに笑った。
「甘いものって幸せになるよね~。結月も食べる?」
「ううん。あかりがそうやって笑ってるの見るだけで、おれも、しあわせ」
「じゃあ、うんと美味しそうに食べるね!」
「うん」
 あかりの笑みにつられるようにして、結月も柔らかに微笑み返した。
あかりは二粒目の金平糖を口に放り込む。今度は青だ。
「ほんっと、美味そうに食うよなー」
 秋之介は横から白い金平糖をかすめ取ると、自らの口に含んだ。
「あー! 私のなのに!」
「あー、甘っ」
 秋之介は僅かに顔をしかめた。
「じゃあとらないでよ!」
「いいだろ、一粒くらい」
 やいのやいのと言いあう二人を、結月はただ黙って見つめ、昴はあかりの手から黒い金平糖を一粒つまむと、それをあかりの口に含ませた。
「んむっ!」
「金平糖ひとつで、君たちは本当に飽きないよ」
 舌を転がる砂糖の甘みと昴の苦笑いを見ているうちに、あかりの心も落ち着いてきた。口内の塊がなくなるころには、すっかりいつものあかりに戻っていた。
「そういえば、今日の秋からのおやつは何?」
「見てみろよ」
 秋之介に促されて、あかりは白い紙包みを開けた。秋之介は乾燥果実をくれることが多いが、果物はその日ごとに異なる。
「わあっ、干し杏!」
 白い紙の上には薄切りされた干し杏が四枚乗せられている。
 あかりはさきほどの諍いも忘れて、秋之介ににっこり微笑みかけた。
「秋、ありがとう!」
「大事に食えよーって早っ!」
「あかり、よく噛まないと身体によくない……」
 結月の注意も聞かずに、あかりは夢中になって干し杏を完食すると、昴にもらった黒い紙包みを広げた。紙の色とは対照的に、白っぽい落雁が三つ入っている。
「えへへ。昴のところの落雁って美味しいんだよね」
「うちでひいきにしてる老舗の和菓子屋さんのだからね」
 昴はよしよしとあかりの頭を撫でる。まるで兄妹のようだ。
 安心しきった笑顔を浮かべ、あかりは心のうちでそっと祈った。
(こんな日が、ずっとずっと続きますように)

 それはずっと昔のありふれた、けれども決して色褪せない、とある春の日の午後。
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