【本編完結】朱咲舞う

南 鈴紀

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第九話 訪れる転機

第九話 六

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「あかり~! 嫁には行くなよー!」
「菊助おじ様、飲みすぎ!」
「一体向こうではどんな話をしてたんだか……」
 菊助の乱入に少し酔いが醒めたのか、梓は呆れ気味に呟いた。
「いやはや、すまないね」
「放せー! 春ー!」
 春朝は菊助を回収すると、縁側の向こうの部屋へ投げ入れた。菊助は酔いながらもしっかりと受け身をとり、そのまま寝こけてしまった。
「うーん。秋くんの未来予想図みたいだね」
「……俺もそんな気がする」
 昴と秋之介が小声で囁き合っていた。
「ゆづなら俺を投げかねないしな……」
 結月は否定もせず、黙って頷いていた。
 あかりの側で、梓がすっくと立ちあがった。
「なんだい、酔いが醒めちまったじゃないか! 春、付き合いな!」
「あら、嫌だ。私も付き合うわよ」
 香澄も席を立つと、梓と春朝の隣に並んだ。三人は縁側へと戻っていった。
 嵐のような香澄と梓がいなくなると、あかりのまわりは途端に静かになった。
ちらりと結月たちの方を見やる。何を言っているかまではわからないが、彼らは楽しそうに会話していた。
なんとなくその輪に入っていくことが躊躇われた。先ほどの香澄と梓との会話が頭を過ったからかもしれない。
『大体、昴も結月も私をそういう対象には見てないでしょ』
『そうかしら? 少なくとも結月はあかりちゃんのことがかわいくて仕方ないみたいだけど』
(妹としてかわいいってことだもんね)
 幼なじみとしてずっと一緒に育ってきた。まるで兄妹のようであったともいえる。その関係が壊れることは嫌だった。
(だから、これでいいんだ。……いいはず、なのに)
 心のどこかで納得できない自分がいた。
 半刻前の結月の微笑を思い出す。その笑顔は『妹』ではなく『あかり』だけのものであってほしいと思ってしまった。
(なんなんだろう、この気持ち……)
「あかり?」
「⁉」
 突然肩を叩かれて、あかりは飛び上がった。声をかけた結月も目をまるくしていた。
「ご、ごめん! 何、どうしたの?」
「呼んでも来ないから……、声、かけに来た」
「そ、そうなんだ。ありがとう。今そっちに行くから」
「うん。……」
 立ち上がりかけたあかりの顔を結月がじっと覗き込んだ。
 あかりはいたたまれなくなって視線を彷徨わせながら「どうしたの?」と訊いた。
「あかり、今日はいつもと違うから。……風邪?」
「そうじゃない、と思う。多分……?」
「そう……?」
 首を傾げるあかりにつられるようにして、結月も首を傾けた。結月は心配そうな顔をしていたが、持て余した感情でいっぱいいっぱいのあかりにはそれに気づく余裕もなかった。

 宴もたけなわとなり、名残惜しくも花見は終了となった。青かった空は気づけばすっかり橙色に染まっていて、昼間は心地よかった風もこの時間になると肌寒く感じられた。
 色々あって疲れもあるが、結果的には楽しい花見だったとあかりは思った。なにより皆で優しい時間を共有できたことが嬉しかった。
「また来年もみんなでお花見できるといいなぁ」
 あかりが誰にともなく呟くと、「できるよ」と声が返ってきた。振り返らずとも声だけで誰だかわかった。
「結月」
「少なくとも、おれは……、そんな未来であってほしいと、思ってる」
「……そうだね。そんな未来を創りたいね」
 結月と隣り合って立派な桜の木を見上げた。夕陽を透かした薄い花びらが降りしきる。儚くも美しいこの景色と強く純粋な願いをあかりはきっと忘れることはないだろうと思い、胸にしまいこんだ。
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