343 / 390
第二五話 希望の灯
第二五話 二
しおりを挟む
それから間もなくして秋之介と昴が部屋に飛び込んできた。
「あかり!」
「気の変化を感じたんだけど、もしかして……!」
「秋、昴……」
上体を起こすあかりの背を支えながら、結月は振り返った。確かにあかりは意識を取り戻していたが、結月の顔は暗く、今にも泣きだしそうに見えた。
「……何かあったんだね?」
「……あかり、何もわからないみたい、で……」
「わかった。ちょっと診せて」
以前ほどの霊力がないとはいえ診察くらいなら簡単だった。結月と場所を代わった昴があかりの両手をとり「玄舞護神、急々如律令」と唱える。黒い光が収まり、昴は絶句した。
「…………」
「昴、どうだったんだ?」
焦れたように秋之介が口を出す。昴は気持ちを落ち着けようと深呼吸をしてから、診察結果を伝えた。
「……ない」
「はぁ? ないって何が?」
「魂は戻ってるけど、そこに自我とか霊力とかが感じられないんだ。……例えるなら動く人形だよ」
招魂祭により魂はつなぎとめられ、泰山府君祭により寿命は得られた。けれどもあかりをあかりたらしめる自我や記憶、人格や性格といったものは残らなかったのだ。
くるくると表情を変えていた顔は虚ろで何の感情も映してはいない。赤い瞳はただ光を反射するだけで無機質で冷たいガラス玉のようだった。
「……どうにか、する、方法は?」
消え入りそうな声で結月が昴に尋ねるが、昴は静かに頭を振った。
「もしかしたら術はあるのかもしれない。だけど、それを実行できる人はいないよ」
現実問題、治癒術を専門とする玄舞家に今の昴以上に霊力があり、かつ技術が伴う人材はいない。仮に霊力も技術も十分にあったとして、何かを犠牲にしなければならないとなった場合、果たしてどれだけの人が諾と答えてくれるのかもわからなかった。
結論、現在あかりが本当の意味で生き返るための方法はないということだ。
「そう……」
「なあ、あかり。本当に何もわからないのか?」
俯く結月の傍らで、秋之介は諦めきれないとでもいうかのように根気強く問いかける。
しかし、あかりはこてんと首を傾げるだけだった。おそらく言葉が理解できていないのか、会話が成立しない。秋之介の問いには答えない代わりに、あかりはこんなことを口にした。
「ねえ、『あかり』って、なあに?」
『誰』ではなく『何』。
こうなるとさすがの秋之介も口をつぐんでしまった。
重い沈黙が降りる。結月は力なく顔を俯けたまま、秋之介は固く拳を握りしめ、昴は下唇を嚙んでいた。誰もが悔しさと情けなさ、喪失感に打ちひしがれ言葉を失う中、渦中の人物であるあかりだけはまったく意に介さずに「『あかり』……」と繰り返す。
「そう、だね。『あかり』っていうのはね、君の名前だよ、あかりちゃん」
昴が悲しい微笑みを湛え、震える声でやっとのこと答えると、あかりはぱちりと瞬きをした。
「『あかり』、なまえ……。わたし、の?」
「うん。『朱咲あかり』、君のことだよ」
「わたしは、あかり……。あかり……」
響きを確かめるようにあかりは口の中で名前を転がす。その瞬間、霞がかったあかりの脳裏に閃くものがあった。
あかり。名前。大事な人。大好きな人。……でも、わからない。
そしてそれきり閃きは霞の向こうへと消えてしまう。
「あかりちゃん……? どうしたの?」
「?」
昴に問われて初めて自分の片頬が濡れていることに気がつく。あかりは一筋の涙を流していた。
痛くもない。悲しくもない。ただ迫る切なさに胸が苦しかった。
けれども思いは言葉にならず、あかりは空虚な表情で頬から流れ落ちた涙の雫を見送った。
その光景を目にした結月はいよいよ耐えきれなくなって席を立った。
「……ごめん。少し、外に出てくる」
秋之介も昴も引きとめることはせず、遠ざかる背中を黙って見つめた。
「あかり!」
「気の変化を感じたんだけど、もしかして……!」
「秋、昴……」
上体を起こすあかりの背を支えながら、結月は振り返った。確かにあかりは意識を取り戻していたが、結月の顔は暗く、今にも泣きだしそうに見えた。
「……何かあったんだね?」
「……あかり、何もわからないみたい、で……」
「わかった。ちょっと診せて」
以前ほどの霊力がないとはいえ診察くらいなら簡単だった。結月と場所を代わった昴があかりの両手をとり「玄舞護神、急々如律令」と唱える。黒い光が収まり、昴は絶句した。
「…………」
「昴、どうだったんだ?」
焦れたように秋之介が口を出す。昴は気持ちを落ち着けようと深呼吸をしてから、診察結果を伝えた。
「……ない」
「はぁ? ないって何が?」
「魂は戻ってるけど、そこに自我とか霊力とかが感じられないんだ。……例えるなら動く人形だよ」
招魂祭により魂はつなぎとめられ、泰山府君祭により寿命は得られた。けれどもあかりをあかりたらしめる自我や記憶、人格や性格といったものは残らなかったのだ。
くるくると表情を変えていた顔は虚ろで何の感情も映してはいない。赤い瞳はただ光を反射するだけで無機質で冷たいガラス玉のようだった。
「……どうにか、する、方法は?」
消え入りそうな声で結月が昴に尋ねるが、昴は静かに頭を振った。
「もしかしたら術はあるのかもしれない。だけど、それを実行できる人はいないよ」
現実問題、治癒術を専門とする玄舞家に今の昴以上に霊力があり、かつ技術が伴う人材はいない。仮に霊力も技術も十分にあったとして、何かを犠牲にしなければならないとなった場合、果たしてどれだけの人が諾と答えてくれるのかもわからなかった。
結論、現在あかりが本当の意味で生き返るための方法はないということだ。
「そう……」
「なあ、あかり。本当に何もわからないのか?」
俯く結月の傍らで、秋之介は諦めきれないとでもいうかのように根気強く問いかける。
しかし、あかりはこてんと首を傾げるだけだった。おそらく言葉が理解できていないのか、会話が成立しない。秋之介の問いには答えない代わりに、あかりはこんなことを口にした。
「ねえ、『あかり』って、なあに?」
『誰』ではなく『何』。
こうなるとさすがの秋之介も口をつぐんでしまった。
重い沈黙が降りる。結月は力なく顔を俯けたまま、秋之介は固く拳を握りしめ、昴は下唇を嚙んでいた。誰もが悔しさと情けなさ、喪失感に打ちひしがれ言葉を失う中、渦中の人物であるあかりだけはまったく意に介さずに「『あかり』……」と繰り返す。
「そう、だね。『あかり』っていうのはね、君の名前だよ、あかりちゃん」
昴が悲しい微笑みを湛え、震える声でやっとのこと答えると、あかりはぱちりと瞬きをした。
「『あかり』、なまえ……。わたし、の?」
「うん。『朱咲あかり』、君のことだよ」
「わたしは、あかり……。あかり……」
響きを確かめるようにあかりは口の中で名前を転がす。その瞬間、霞がかったあかりの脳裏に閃くものがあった。
あかり。名前。大事な人。大好きな人。……でも、わからない。
そしてそれきり閃きは霞の向こうへと消えてしまう。
「あかりちゃん……? どうしたの?」
「?」
昴に問われて初めて自分の片頬が濡れていることに気がつく。あかりは一筋の涙を流していた。
痛くもない。悲しくもない。ただ迫る切なさに胸が苦しかった。
けれども思いは言葉にならず、あかりは空虚な表情で頬から流れ落ちた涙の雫を見送った。
その光景を目にした結月はいよいよ耐えきれなくなって席を立った。
「……ごめん。少し、外に出てくる」
秋之介も昴も引きとめることはせず、遠ざかる背中を黙って見つめた。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
【完結】大魔術師は庶民の味方です2
枇杷水月
ファンタジー
元侯爵令嬢は薬師となり、疫病から民を守った。
『救国の乙女』と持て囃されるが、本人はただ薬師としての職務を全うしただけだと、称賛を受け入れようとはしなかった。
結婚祝いにと、国王陛下から贈られた旅行を利用して、薬師ミュリエルと恋人のフィンは、双方の家族をバカンスに招待し、婚約式を計画。
顔合わせも無事に遂行し、結婚を許された2人は幸せの絶頂にいた。
しかし、幸せな2人を妬むかのように暗雲が漂う。襲いかかる魔の手から家族を守るため、2人は戦いに挑む。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
【完結】無能と婚約破棄された令嬢、辺境で最強魔導士として覚醒しました
東野あさひ
ファンタジー
無能の烙印、婚約破棄、そして辺境追放――。でもそれ、全部“勘違い”でした。
王国随一の名門貴族令嬢ノクティア・エルヴァーンは、魔力がないと断定され、婚約を破棄されて辺境へと追放された。
だが、誰も知らなかった――彼女が「古代魔術」の適性を持つ唯一の魔導士であることを。
行き着いた先は魔物の脅威に晒されるグランツ砦。
冷徹な司令官カイラスとの出会いをきっかけに、彼女の眠っていた力が次第に目を覚まし始める。
無能令嬢と嘲笑された少女が、辺境で覚醒し、最強へと駆け上がる――!
王都の者たちよ、見ていなさい。今度は私が、あなたたちを見下ろす番です。
これは、“追放令嬢”が辺境から世界を変える、痛快ざまぁ×覚醒ファンタジー。
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
お姫様は死に、魔女様は目覚めた
悠十
恋愛
とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。
しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。
そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして……
「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」
姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。
「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」
魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……
拾われ子のスイ
蒼居 夜燈
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞】
記憶にあるのは、自分を見下ろす紅い眼の男と、母親の「出ていきなさい」という怒声。
幼いスイは故郷から遠く離れた西大陸の果てに、ドラゴンと共に墜落した。
老夫婦に拾われたスイは墜落から七年後、二人の逝去をきっかけに養祖父と同じハンターとして生きていく為に旅に出る。
――紅い眼の男は誰なのか、母は自分を本当に捨てたのか。
スイは、故郷を探す事を決める。真実を知る為に。
出会いと別れを繰り返し、命懸けの戦いを繰り返し、喜びと悲しみを繰り返す。
清濁が混在する世界に、スイは何を見て何を思い、何を選ぶのか。
これは、ひとりの少女が世界と己を知りながら成長していく物語。
※週2回(木・日)更新。
※誤字脱字報告に関しては感想とは異なる為、修正が済み次第削除致します。ご容赦ください。
※カクヨム様にて先行公開(登場人物紹介はアルファポリス様でのみ掲載)
※表紙画像、その他キャラクターのイメージ画像はAIイラストアプリで作成したものです。再現不足で色彩の一部が作中描写とは異なります。
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる