【本編完結】朱咲舞う

南 鈴紀

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第二五話 希望の灯

第二五話 七

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 雪解けの水が春の花の命をつなぐ。青柳家の桜の木も無数の蕾を膨らませ、本格的な春の訪れをいまかいまかと待っていた。
「今年は、お花見しよう」
 毎年恒例の青柳家でのお花見は、昨年はあかりがいないからと実施しなかった。だが、今年は特に実施しない理由もない。結月の提案に、秋之介と昴は喜んで頷き、あかりだけが首を傾げていた。
「おはなみ」
「きれいな桜の花を見ながら美味しいごはんを食べられるよ」
「きれい。おいしい。……たのしそう」
「そうだな。きっと楽しいぜ」
「じゃあ、決まり。一週間後には見頃になると思うから、そのつもりで」
 それから一週間後、結月の宣言通り青柳家の裏庭に集まってお花見が開かれた。
 冬にあかりが笑顔を見せてくれるようになってから、彼女の表情は虚ろというよりも穏やかで柔らかであることの方が多くなったように思える。今日もまた、頭上に広がる薄紅色の桜の花をじぃっと見つめては、ほんのり微笑んでいるように見えた。
 桜の木を仰ぎ見るあかりを、白虎姿の秋之介は鼻先でつんとつついた。
「飯の準備ができたってさ。向こう行こうぜ」
 あかりは秋之介を見下ろして、少し遠くで待っている結月たちに視線を移した。目が合った昴が手招きをしてあかりと秋之介を呼んでいる。あかりはゆっくりとそちらへ向かって歩き出した。秋之介もその隣に並んで、皆が待つ場所へ戻る。
「あ、来たね。それじゃあ、始めようか」
「うん。父様、音頭お願い」
 春朝が音頭を取ることでお花見が始まった。
 昨年腕を振るえなかった分、今年の料理は張り切って作ったらしい。香澄の手料理はいつにも増して美味しく感じられた。
 あかりは特に甘い玉子焼きが気に入ったらしく、心なしか目を輝かせているように見えた。はじめの頃に比べたらあかりの反応はわかりやすくなったような気がする。それが結月たちの慣れのためか、それともあかり自身に変化が起きているためかはわからないが、できれば後者であってほしいと思う。
「あかりちゃんが楽しめてるといいな」
「つーか、相変わらず花より団子だよな。食い始めたら花見なくなったろ」
 いつもの調子で秋之介が軽口を叩くと、結月が呆れたため息をつく。
「秋……」
「いいじゃない。あかりちゃんが美味しそうにご飯食べてるなら僕たちも嬉しいんだし」
「ま、それもそうか」
 そうやって三人で笑い合っていると、思いがけず結月の着物の袖が引っ張られた。
「あかり?」
 あかりが自発的な行動をとることは珍しい。結月が目を丸くしていると、あかりは結月を見上げてこてんと首を傾げた。
「わたし、たべる、しあわせ。みんな、うれしい?」
 それは言葉が理解できない故の疑問符ではなく、明らかな問いかけだった。
「……」
 驚きのあまり、結月はすぐには答えられなかった。するとあかりが「ゆづき?」と名前を呼ぶ。今までのようにただ言葉を発しているのではない、意思を伴う呼びかけだった。
 結月は潤んだ瞳を揺らしながら、あかりの瞳を正面から捉えた。温度がないはずの赤い瞳の奥には、ほんの瞬きの間だけだったが、温かな灯が宿っているように見えた。
「……うん、そうだよ。あかりが、幸せそうにご飯食べてると、おれたちも嬉しい」
「みんな、うれしい。わたし、うれしい」
 あかりは言葉通り心底嬉しそうに目を細めると、ご機嫌なのか謡い出した。
「すざくうたいて、こえたかく。まいおどりて、そらたかく。いのりのうたがとどくとき、あなたにかごがありましょう」
「え……」
「どういうことだ、これ……」
 舞い散る薄紅色の桜に滲むようにして、優しく淡い赤の光が舞い踊る。同時に、あかりの狐の耳と尾が消えていく。
「霊力が、戻った……? それに、赤い光も。言霊が扱えてる……?」
 俄かにざわつく結月たちの声の中に、あかりは鈴音のような声を聴いた。
『……あかり……』
 掻き消えそうなほど小さな声だったのに、あかりの耳にははっきりと言葉が届いた。そうして自身が誰かに呼ばれていることを理解し、答えなくてはという衝動にも似た思いに突き動かされる。
「だあれ?」
 声の出所がわからなくて何もない宙に向かってあかりが尋ねるが、鈴音はもう聴こえなかった。なぜだか忘れてはならない、掴み損ねてはならない声だと思った。残ったのは長らく感じることのなかった焦燥感だ。
 霞がかった脳裏に過ったのは、つい先ほどまで口ずさんでいた謡の続き、その終わりの一節だった。
『朱咲宿りて我が内に。今日も願い奉る。今日も感謝を捧げましょう。朱咲護神、急々如律令』
 この謡に繰り返し出てくる『朱咲』とは一体何なのだろう。
 その答えを知ったとき、何かが大きく変わる予感がした。
「どうかしたの、あかり?」
 宙を見つめたまま身動ぎひとつしないあかりの顏を、結月が心配そうにのぞき込む。
 応えなければ、応えたいと思うのに、思いが言葉にならない。
あかりはそのことを初めてもどかしく思ったが、それを表現する言葉すら霞のように消えてしまう。
 するといつの間にか握りしめていたあかりの拳に、ふわりと結月の左手が載った。はっとしてあかりが顔を動かすと、結月はわかるかわからないかくらいの幽かな微笑を湛えていた。
「大丈夫だよ、あかり」
「だい、じょうぶ……?」
「うん、大丈夫」
 結月が、何も語れないあかりの心中をどこまで察しているのかはわからない。何が大丈夫なのかも明言しない。
 けれど、重ねられた掌から伝わってくる体温に、あかりは確かに安堵していた。結月が側にいてくれるなら、きっと大丈夫だと信じられた。
 一際強い春風に、桜吹雪が舞う。
 薄紅色の紗幕の向こうに、あかりは在りし日の優しい思い出を垣間見た気がした。
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