【本編完結】朱咲舞う

南 鈴紀

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第二六話 繋がる想い

第二六話 一三

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「あいたい……! 会いたいよ……っ!」
 幻覚に突かれた心が脆く崩れていく。混乱と動揺で、強がる自分を保つことはもはや不可能だった。ひたすらに駆けるあかりの後を、透明な滴が軌跡を描くように散っていく。
 ぼやけた視界のまま足を動かしていたら、水中の何かにつまずいて派手に転んだ。とっさに腕をついたので顔面を打つことは避けられたが、胸元も袂も茶色く染まってしまった。
 惨めな気持ちになりながら上半身を起こした拍子に、袂からお守りが転がり出る。あかりは慌てて拾い上げた。立ち上がることも忘れて、手の中に目を落とす。
「ねえ、みんな……。昴だったらこの幻覚を破るいい方法を思いついたかな? 秋だったら何とかなるって笑い飛ばしてくれた? 結月だったら大丈夫だよって手を握ってくれたよね?」
 あとからあとからこぼれ落ちる涙が、お守りに降り注ぐ。
「ひとりは心細かった。毎日痛くて辛くて苦しかった。だけど私なりに頑張ってきたつもりだったんだよ? 毎朝みんなに無事を祈る声は届いてた? 諦めないで修行してた、そのときの言霊は感じた? ……ねえ、私はあと何をすればいいの? どうしたらみんなのところに帰れるの?」
 お守りを両手で握りしめ、額につけた。心のうちからあふれるのは隠してきた切なる願い。あかりの弱音で本心でもあるそれらを、嗚咽に声を震わせながらこぼしていく。
「もう大丈夫だよって、頑張ったねって言って。帰れるよって、絶対会えるって約束して。……たすけて」
 陰の国に囚われてから二年間、一度として口にしなかった言葉だった。強がって誤魔化し続けてきたけれど、本当はとっくに心は限界だったのかもしれない。堪える理由を失った言葉が、強い願いに昇華した。
「助、けて。……昴、秋、……結月っ‼」
 まるで言霊を聞き届けたかのようにお守りが熱をもち、赤い光がぼんやり広がった。直後、赤に加えて青、白、黒のまばゆい光をお守りが放ったかと思うと、あっという間にあかりの視界を覆いつくした。閉じたまぶたの裏に見えたのは、青い青い光。
遠く、ずっと聞きたかった懐かしい人の声が聴こえた気がした。

「お願い、あかり……」
 胸が痛くなるくらいに切なく、引き絞った声があかりを呼ぶ。
 ずっと、聞きたかった声、会いたかった人。その人の名前は……。
「ゆ、づき……?」
「っ……!」
 結月は返事の代わりに、あかりを抱きしめ直した。あかりはしばらく虚ろな目で、結月の肩口から彼の後頭部や破られた壁の向こうに広がる原野と満月、そして遠くから駆け寄ってくる一人と一頭を眺めていたが、現実感が伴ってくるにつれて、煌めく赤い瞳を潤ませていった。
「……もう、大丈夫なんだよね?」
「うん、もう大丈夫」
「……私、ずっと、頑張ってきたんだよ。諦めちゃいけないって……」
「わかるよ。あかり、よく頑張った」
「帰れるの?」
「もちろん。すごく時間かかったけど、あかりを迎えにきた。……ごめん、ごめんね」
「っ、ぅ……! 会いたかったよぉ、ゆづきぃ……!」
 かろうじて像を結んでいた視界は、徐々に物の輪郭すらも涙に溶かしていった。
「おれも、ずっとあかりに会いたかった。……ありがとう、諦めないでいてくれて」
 その言葉を聞いて、あかりは抑え込んでいたものが一気に溢れ出したかのように、さらに激しく泣き出す。結月があやすようにあかりの背を撫でさすっていると、秋之介と昴の気配を背後に感じた。
 秋之介は瞬時に白虎姿から人間姿に変化する。昴はそれよりも早く、まろぶようにあかりと結月に走り寄り、二人一緒にその腕に閉じ込めた。
「あかりちゃん……っ」
「あかり!」
 未だ涙ににじむ視界に映ったのは、一日たりとて思わない日はなかった白と黒。あかりは震える声で彼らの名を呼んだ。
「あき……。すば、る……」
 昴は頷いたまま顔を俯けてしまったので表情こそうかがい知れなかったが、心から安堵していることが話し口から伝わってきた。
「本当に良かった……、生きてて……」
「さ、帰ろうぜ」
 秋之介はあかりのあたまにぽんと手を置くと、らしくもない柔らかな声でそう言った。
「うん、帰ろう」
 あかりの涙は月夜に散った。

「あなただけは、赦さない……」
 因縁の陰の国の式神使いをあかりは睨み上げる。
 南の地を全壊に追い込み、愛する家族や家臣、民を奪った。それを嗤って、赦せるはずもない。
 あかりはすっと霊剣を片手で構えた。
「結月、離して」
「あか……」
 怒りも忘れて、結月はあかりを止めよう名を呼びかけるが、あかりは最初から聞く気がなかった。不意を狙って腕を引き抜くと、式神使いに斬りかかる。
「謝って! 返してよっ!」
「相変わらず煩い女だな」
 身軽に攻撃をかわしながら、器用に符を使役する。その手には忘れもしないあの符が握られていた。しかし、あかりは怯むことなく男の懐に飛び込んだ。
「朱咲護神、急々如律令!」
 真っ赤な霊剣が触れたとたん、符から火があがった。式神使いが驚いた様子で距離を取ろうとするが、あかりはそれを許さなかった。追随して、剣を振り下ろす。
「赦さない、赦さない……っ‼」
 激しい怒りはあかりの身も心も焼くようだった。

 朱咲の荒魂が消え、あかりが抱えていた思いを吐き出した後。
「ねえ、あかり」
「な、何?」
 あかりが僅かに声を上ずらせたことに、結月は不思議な顔をしていたが、微笑みに転じると言葉を続けた。
「これからは、一緒に守ろう。……あかりのことも、護らせて」
「結月……」
 静かで柔らかな微笑みは、闇夜を照らす月光のよう。昔から変わらない笑みにあかりは安心感を覚えていたが、同時に妙に心臓が落ち着かなくもあるのだった。

 秋之介の降霊術であかりはまつりと再会した。
「あかり。お父様とお母様との約束は言えるわよね?」
 きっとこれが別れの言葉になる。任務に送り出されるときの決まったやりとりだった。
「何があっても最後まで諦めないこと。霊剣は護るために使い、祝詞は心をこめて謡うこと」
 喉の奥がつまって苦しい。それでもあかりは約束の文言を紡いだ。まつりは満足そうに微笑んだ。
「よくできました」
「お母様……!」
 まだ離れたくない。もっと一緒にいてほしい。駄々をこねる小さな子どものように、あかりはまつりに縋りついた。
「あかり」
 優しい声に、あかりは顔を上げた。視界は滲んで、まつりがどんな表情をしているのかはわからなかった。
「私は生きて側にいてあげられない。だけど、ゆづくんに秋くん、昴くんがいる。それに朱咲様もあかりの中に。あかりは決してひとりじゃないわ。遠く、私も見守っている。だから、自分とまわりのみんなを愛して、絶対に生き抜くのよ」
「……はい」
「じゃないとお母様は冥府でおかえりって言ってあげないんだから」
「……お母様……」
 まつりの着物の胸元をしわを作るくらいに強く握っていたあかりの手が、そっと引き離された。包み込むまつりの手は変わらず温かい。
「愛しているわ、あかり。私の自慢の子。……さあ、いってらっしゃい!」
 まつりは離した手で、あかりの背を押した。離れがたい気持ちはなおあったが、最後は母の言う『自慢の子』でありたかったあかりは、涙を拭うと顔だけ振り返り、満面の笑みをつくった。
「お母様、大好きだよ。いってきます……!」
 あかりが見たまつりは最後まで母の顔をしていた。
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