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第一話 思い出語り
第一話 九
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穏やかな日々は飛ぶように過ぎる。
厳しかった冬を越え、春の訪れを告げるように桜の花が一斉に花開く。葉桜は次第に花を散らせて、残ったのは目に眩しい鮮やかな緑の葉となった。
この頃にはもう、天音と黎夜が共にいることは珍しい光景ではなくなっていた。
午前中に玄の講義を受け、昼食を摂った後、天音はらしくなく難しい顔をして何事かを呟いていた。訝しく思ったのは黎夜だけではなく、玄もだったらしい。玄が「姫様、いかがされました?」と声をかけると、天音は神妙な面持ちで口を開いた。
「わたしと黎夜くんは、お友達でしょ」
「恐ろしいことを仰らないでください」
黎夜はため息交じりに否定した。容赦のなさに天音は素に戻って「えぇっ⁉」と声を上げる。
「なんでなんで⁉ 一緒に勉強してご飯食べて、休みの日も会ってるのに⁉」
「世間一般ではそれを友人と呼ぶのかもしれませんが、私たちには立場というものがございます。貴女は仮にも一国の姫ですよ。対して私は守り人の弟子でしかありません。これで友人だと宣ったのなら、不敬罪に問われてしまいます」
「だったら姫として無罪を命令するもん!」
「職権乱用ですね」
にべもない黎夜の返答に、天音は不満をありありと浮かべて頬を膨らませた。
「黎夜くんの馬ー鹿馬ー鹿! ……わたしはお友達になれたって思ってたのに……」
それからしゅんと肩を落としてしまった天音をさすがにかわいそうに思った玄が「まあまあ」と宥める。
「私は姫様と黎夜は良き友人関係を築けていると思いますよ」
しかし完全にへそを曲げた天音に、玄の言葉は届かなかった。
「……いいもん。黎夜くんはそう思ってないんでしょ。もう知らないっ」
天音は勉強部屋の隣室にある自室に駆け込むとばんっと襖を閉めた。
黎夜は己の言葉を振り返る。別に間違ったことは言っていない。立場を弁えないことで損をするのは黎夜だけではなく、天音も同じことだ。むしろ元々忌み嫌われている天音の方が叩かれる可能性が大いにある。
しかし理屈では納得できても、本心はまるで納得していないと主張するかのように不快感で胸がいっぱいになった。
結局その日、黎夜が天音の顔を見ることはなかった。
翌日、玄は出かける用事があるといって講義はなしとなった。黎夜に友人ではないと面と向かって言われた天音にとっては、どんな顔をして黎夜と会えば良いのかわからずにいたので好都合だった。
しかし早速困ったことになった。
黎夜と出会ってからは講義のない日にも彼と会っていたために、どんなふうにひとりの休日を過ごせばよいのかわからなかったからだ。玄や黎夜と出会うより前はあまり思い出したくない。そうはいっても黎夜の他に友人はいないし、親しく頼れる大人もいない。
「日向兄様……」
あまりの心細さについ、優しくて大好きな異母兄の顔が思い浮かぶ。
多忙を極めているのはわかっている。それでも会いたかった。日向なら、この寂しさを埋めてくれると思ったから。
天音は意を決すると数か月ぶりに日向に会うべく、そこが魔の巣窟だと知りながら本邸の奥へと向かった。
奥へ奥へと行くほどに、すれ違う家臣の目が好奇や侮蔑、畏怖の目から嫌悪や忌避、排斥の目へと変わっていく。
(真正面からはこれ以上進めなさそう)
天音は廊下を引き返し逃げ帰るふりをして、こっそりと庭へ降り、すぐに木々の影に身を潜めた。日向の部屋まではこうして忍んでいくしかない。見つかればどんな目に遭うか想像もしたくない。
廊下を歩く三人の家臣をやり過ごし、かがんでいた天音は立ち上がろうとしたが、その拍子に裾を踏みつけて転んでしまった。がさがさという音を派手に立てたために、背を向けて遠ざかっていた家臣たちが振り返る。
「なぜ忌み子がここに……⁉」
「……っ!」
天音は即座に身を翻して走り出したが、運動神経の悪い子どもが大人の男に捕まるのは当然と言えば当然だった。天音は後ろになびいていた長い髪を容赦なく掴まれていた。
「っぅ……!」
天音は痛みに顔をしかめるが、大人たちは軽蔑の眼差しで天音を見下ろした。
「痛がって人間のふりかよ。この化け物が」
「どうせ傷を負ってもすぐに治るのだろう。このくらいなんだというのだ」
「痛い! 離してよっ」
天音は暴れて必死の抵抗を試みるが、力の差は歴然だ。
あからさまな嫌がらせを受けるのは久しぶりのことだった。思えば玄が天音の守り人になって以来、こうしたことがぱたんと止んだことに今更気づく。玄は天音を人外化生からだけでなく、悪意ある人間の攻撃からも守ろうと尽力してくれていたのだろう。
しかしその玄は今、邸にはいない。
それをわかっているかのように家臣たちは溜めに溜めた悪意を天音へとぶつけた。
悪口雑言を浴びるのは慣れている。こんなのは聞き流してしまえばいい。
無視するのが気に入らなかったのか、期待していた反応ではなかったからか、家臣たちは逆上して吠えた。
「お高くとまるなよ、小娘が!」
家臣の一人が躊躇なく右手を振り上げた。
厳しかった冬を越え、春の訪れを告げるように桜の花が一斉に花開く。葉桜は次第に花を散らせて、残ったのは目に眩しい鮮やかな緑の葉となった。
この頃にはもう、天音と黎夜が共にいることは珍しい光景ではなくなっていた。
午前中に玄の講義を受け、昼食を摂った後、天音はらしくなく難しい顔をして何事かを呟いていた。訝しく思ったのは黎夜だけではなく、玄もだったらしい。玄が「姫様、いかがされました?」と声をかけると、天音は神妙な面持ちで口を開いた。
「わたしと黎夜くんは、お友達でしょ」
「恐ろしいことを仰らないでください」
黎夜はため息交じりに否定した。容赦のなさに天音は素に戻って「えぇっ⁉」と声を上げる。
「なんでなんで⁉ 一緒に勉強してご飯食べて、休みの日も会ってるのに⁉」
「世間一般ではそれを友人と呼ぶのかもしれませんが、私たちには立場というものがございます。貴女は仮にも一国の姫ですよ。対して私は守り人の弟子でしかありません。これで友人だと宣ったのなら、不敬罪に問われてしまいます」
「だったら姫として無罪を命令するもん!」
「職権乱用ですね」
にべもない黎夜の返答に、天音は不満をありありと浮かべて頬を膨らませた。
「黎夜くんの馬ー鹿馬ー鹿! ……わたしはお友達になれたって思ってたのに……」
それからしゅんと肩を落としてしまった天音をさすがにかわいそうに思った玄が「まあまあ」と宥める。
「私は姫様と黎夜は良き友人関係を築けていると思いますよ」
しかし完全にへそを曲げた天音に、玄の言葉は届かなかった。
「……いいもん。黎夜くんはそう思ってないんでしょ。もう知らないっ」
天音は勉強部屋の隣室にある自室に駆け込むとばんっと襖を閉めた。
黎夜は己の言葉を振り返る。別に間違ったことは言っていない。立場を弁えないことで損をするのは黎夜だけではなく、天音も同じことだ。むしろ元々忌み嫌われている天音の方が叩かれる可能性が大いにある。
しかし理屈では納得できても、本心はまるで納得していないと主張するかのように不快感で胸がいっぱいになった。
結局その日、黎夜が天音の顔を見ることはなかった。
翌日、玄は出かける用事があるといって講義はなしとなった。黎夜に友人ではないと面と向かって言われた天音にとっては、どんな顔をして黎夜と会えば良いのかわからずにいたので好都合だった。
しかし早速困ったことになった。
黎夜と出会ってからは講義のない日にも彼と会っていたために、どんなふうにひとりの休日を過ごせばよいのかわからなかったからだ。玄や黎夜と出会うより前はあまり思い出したくない。そうはいっても黎夜の他に友人はいないし、親しく頼れる大人もいない。
「日向兄様……」
あまりの心細さについ、優しくて大好きな異母兄の顔が思い浮かぶ。
多忙を極めているのはわかっている。それでも会いたかった。日向なら、この寂しさを埋めてくれると思ったから。
天音は意を決すると数か月ぶりに日向に会うべく、そこが魔の巣窟だと知りながら本邸の奥へと向かった。
奥へ奥へと行くほどに、すれ違う家臣の目が好奇や侮蔑、畏怖の目から嫌悪や忌避、排斥の目へと変わっていく。
(真正面からはこれ以上進めなさそう)
天音は廊下を引き返し逃げ帰るふりをして、こっそりと庭へ降り、すぐに木々の影に身を潜めた。日向の部屋まではこうして忍んでいくしかない。見つかればどんな目に遭うか想像もしたくない。
廊下を歩く三人の家臣をやり過ごし、かがんでいた天音は立ち上がろうとしたが、その拍子に裾を踏みつけて転んでしまった。がさがさという音を派手に立てたために、背を向けて遠ざかっていた家臣たちが振り返る。
「なぜ忌み子がここに……⁉」
「……っ!」
天音は即座に身を翻して走り出したが、運動神経の悪い子どもが大人の男に捕まるのは当然と言えば当然だった。天音は後ろになびいていた長い髪を容赦なく掴まれていた。
「っぅ……!」
天音は痛みに顔をしかめるが、大人たちは軽蔑の眼差しで天音を見下ろした。
「痛がって人間のふりかよ。この化け物が」
「どうせ傷を負ってもすぐに治るのだろう。このくらいなんだというのだ」
「痛い! 離してよっ」
天音は暴れて必死の抵抗を試みるが、力の差は歴然だ。
あからさまな嫌がらせを受けるのは久しぶりのことだった。思えば玄が天音の守り人になって以来、こうしたことがぱたんと止んだことに今更気づく。玄は天音を人外化生からだけでなく、悪意ある人間の攻撃からも守ろうと尽力してくれていたのだろう。
しかしその玄は今、邸にはいない。
それをわかっているかのように家臣たちは溜めに溜めた悪意を天音へとぶつけた。
悪口雑言を浴びるのは慣れている。こんなのは聞き流してしまえばいい。
無視するのが気に入らなかったのか、期待していた反応ではなかったからか、家臣たちは逆上して吠えた。
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