カモミールの福音 ~花と〈家族〉に癒される優しい世界の物語~

南 鈴紀

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第九話 花綻ぶ夏の夜

第九話 一一

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 結果として、勝負に勝ったのはウタセだったが、彼は嬉しそうではあったものの、どこか困ったように笑った。
「急にお願いごとって言われても思いつかないなぁ」
「後ではなしだよ~。今できることね~」
 巾着の紐を指に絡めたり、袋を振ったりしながら、ツクシが忠告する。ウタセの苦笑は深まるばかりだ。
 見かねたスギナが助け舟を出した。
「ウタっておごってばっかりだったし、おごられるっていうのは? オレ達だって働き始めたしさ」
 しかし、ウタセは頑として首を縦に振らない。それどころか不満げですらあった。
「労働の有無は関係ないよ。弟妹には何か買ってあげたくなるものじゃない」
「ええ……。なんかないのかよ。あ、ガラス玉は?」
 スギナは手に持つ巾着袋を軽く持ち上げた。
「オレはなくても困らないし、ウタは飾り作んのに集めてるだろ」
「スギナがいいなら……、そうしようかな」
「ボクのもあげる~」
 最初は気が進まなそうだったウタセも、もらうと決めてからは嬉しそうに微笑んだ。
 慈乃も四つのガラス玉が入った袋を差し出そうとしたが、その前にウタセに制された。
「シノからガラス玉はもらえないよ。好きなんでしょ」
「……それは、そうですが。でも、私だけ免除というわけにもいきません。他に何も持っていませんし、おごられるのはお断りされていましたし……」
「うん。だから、シノには別のお願い」
「べ、別の……?」
 困惑気味にウタセの顔を見上げると、ウタセはにっこりと笑み返した。
「名前」
「な、まえ?」
 瞬時に理解できずに、オウム返しのようになってしまう。
ウタセは小さく噴き出したが、すぐに柔らかな笑みを湛えて、まっすぐに慈乃を見つめた。
「シノがたまに『ウタセさん』って呼んでくれるのはすごく嬉しいんだけど、本音を言ったらね、もっと親しく呼んでほしいんだ」
 しばらく静観していたツクシも身を乗り出して、この意見に同意を示した。
「だよねだよね~。春を丸ごと一緒に過ごしてきたのに『ツクシさん』っていうのはちょっと寂しいな~」
「お前は三位だろ」
 眉をひそめて言ったスギナを、ツクシは白けた目で見る。
「うるさいな~。こういうのは便乗するものなの~。スギナだって年上のシノにさん付けで呼ばれるの、ほんとは落ち着かないくせに~」
 スギナは否定も肯定も口にしなかったが、ぐっと喉を詰まらせたその表情はツクシの指摘が図星だったことをありありと物語っている。
 ツクシとスギナのちょっとした兄弟げんかを横目に認めながら、ウタセは「ね、ダメかな?」と慈乃の顔色をうかがった。
 他人の名前を呼ぶことに完全に抵抗を覚えないわけではないが、以前に比べたら些細なものだった。それよりも、三人の思いに応えたいという気持ちの方がはるかに勝る。
 しかし、困ったことに呼び方が決まらない。
ウタセは『ウタ』と呼ばれることが多いが、さん付けは避けてほし様子。年上ではあるが、兄と呼ぶのも違うだろう。かといって、呼び捨ては馴れ馴れしい。慈乃にはハードルが高すぎて絶対にできない。
また、ツクシとスギナにしても似たようなものだ。年下であるため兄ではないのはもちろんだが、さん付けも呼び捨てもできない。
学び家の子ども達が彼らの名前を呼ぶのを思い出してみたが、ばらばらで参考にならなかった。
結局導き出されたのは、何のひねりもない呼び名だった。
「ウタくん、ツクシくん、スギナくん。……これで、いいです、か……?」
 言いながら恥ずかしさに耐えきれなくなり、慈乃は隠すように真っ赤な顔を伏せた。
「うん! ありがとう、シノ!」
 真っ先に声を上げたのはウタセだった。顔には満面の笑みが広がっている。
 その半歩後ろで、ツクシとスギナも頷いた。
「うんうん、はなまるだよ~」
「……いいんじゃねえの」
 三者三葉の反応ではあったものの、嬉しいという気持ちは共通のようだ。
 当初のルールとは違ったが、慈乃はこんな勝負の行方も私達らしくて好きだなと思いながら、あたたかさに満たされた胸を押さえた。
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