天上の鎮魂歌(こもりうた)~貴方に捧げるアイの歌~

ただのき

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第三幕・勝手なグルペット(周りの人々)

23・初めて見る“嘆き”

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 走り出したのは良いけれど、直ぐに行き詰まってしまう。
 大挙して逃げようとしている人々と真逆に行こうとしているのだから当然だ。
 むしろ、少し後退してしまったかも知れない。
 仕方無しに、中央よりは勢いの弱い端に寄り、少しずつ進んでいく。
 そうして幾ばくかもしない内に、人数は少なくなってきた。
 これなら行けそうだと走り出してから数分後、それは見えた。

「アレが、“嘆き”」

 こんなに間近で“嘆き”を見る事は初めてだった。
 全身を黒い闇の靄に覆われている姿は、確かに“嘆き”という名が相応しいような、どこか物悲しさが感じられた。
 侵食されている元は犬だろうか。
 四足歩行しているにも関わらず、その背は屋根まで到達している。

「ギュグオオオ!」

 振り上げた前足は、悠に屋根を越える。
 そのまま降り下ろされた前足は、建物を容易く破壊し瓦礫へと変えていく。
 来たは良いけれど、これはリデイラ一人でどうにかなるレベルではない。
 想像以上の現実(きょうい)にリデイラは足をすくませる。
 まだ“嘆き”には気付かれていない。そっと後退りしようとしたその時だ。
 “嘆き”越しに、人影が見えた。

(あんな所に、まだ人が!?)

 よく見れば、瓦礫に埋もれている。それも一人ではない。
 彼等はリデイラとは違い、痛みの方に気を取られているせいか、うめき声を上げたり、瓦礫から脱出しようともがいている。
 今はまだ気付かれてはいない様だけれど、このままではいつ気付かれても可笑しくはない。
 ──そんな人達を見捨てて、自分一人で逃げる?
 一瞬だけでも、そんな思いが脳裏に過った自分を情けなく思った。

(私は、お父さんみたいな音響士になるんだ。ここで誰かを見捨てて、胸を張れるのか?──答えは否だ!)

 リデイラの瞳に意思の炎が宿る。
 一つ呼吸を置いて、幾分か冷静になったリデイラは出来る事を探すべく周囲に目を走らせた。
 リデイラの身一つでは出来る事は少ない。
 瓦礫を退かす作業。逃走経路の確立。
 どれも“嘆き”に気付かれては達成する事は難しい。
 けれどまた、“嘆き”に気付かれない様にする事も厳しかった。
 さっそく詰んでしまい、沈んでしまいそうに心を叱咤していると、ある店が目に入った。

(──あの店は!)

 リデイラは、“嘆き”の視線が向いている方を確認して走り出した。
 日用品や食料品を主に扱っている商店街であっても、ああいった店は王都でも変わらずあるらしい。
 周囲の中でもまだ奇跡的に壊されていない店──楽器店へ飛び込んだ。
 楽器自体ではなく道具を主に扱っている店でも、一つや二つは置いている。
 そんな店が置く楽器は、大抵決まっている。それは、複数扱えるリデイラが最も得意とする物だ。
 幸いにもこの店はその中でも、複数の楽器を置いている店だったらしい。
 ザッと見回して、一番状態が良さそうな物――色艶と申し分のないヴァイオリン――を選んで手に取る。

(うん。埃も余分な油も着いてない。大丈夫そう)

 弓も手に取り同じ様に検分し、使えそうな事を確認して直ぐ様調律に掛かる。
 けれど、調律の方も特に問題はなく、少し手を加えるだけで済んだ。
 楽器は同じ種類でも一つ一つ音が違う。このヴァイオリンの癖も、リデイラが普段使っている物とは違う。けれど、癖を把握している余裕はない。
これで準備は出来た。後は、どれだけの妖精を集める事が出来るかにかかって来る。
 リデイラは一歩、店から足を踏み出し、弓を引いた。

(先ずは、逃げて行った妖精を集める事)

 妖精は精霊と比較すると力無い存在だ。特に、単体ではどんなに弱い“嘆き”であっても簡単に取り込まれてしまう。だから、彼らも他の人と同じように逃げ出すのだ。
 けれど、それは単体での場合だ。妖精は基本的に好き勝手に動くけれど、指揮する者が居る場合、一つの道を目指して行動するようになる。
 そうすれば、単体の時とは比較にならないほどの力を発揮するようになる。
 楽士メネストレロはそれを利用して帆船や飛行船等の大きな物を操っているのだ。
 リデイラが今やろうとしている事はそれに似ている。
 けれど、それを実行するには先ず、相応の数の妖精が必要だ。
 だから、妖精の好む軽快な音楽を奏でる。“嘆き”の負のオーラにも負けない様な。
 一匹二匹と逃げ惑うだけだった妖精が、次第にリデイラの周囲に集まって来ている。
 しかし、そんなに大きな音を立てているのを“嘆き”が見逃す筈がない。

「グウオアアアアア」

 音を聞きつけた“嘆き”がリデイラへと迫る。
 リデイラも“嘆き”が近付いて来ているのを見ていたけれど、演奏を止める事は無かった。
 一応、演奏の妨げにならない程度の速度で移動するものの、“嘆き”の移動速度の前では無いに等しい。
 けれど、今はそんな僅かな差が大事だった。

(――今だ、行け!)

 数が集まったのを感じ、リデイラは弓を力強く引いた。
 ここからは、行進曲、いや、行軍曲だ。
 テンポの軽快さは然程変わりはないけれど、低く重い、力強い音が、妖精達の背中を押す。
 音響士が音響士たる所以は、確実に“嘆き”を弱らせる事が出来る精霊と契約をしているからだ。
 力の弱い妖精では“嘆き”を弱らせる事は出来ず、仕上げの鎮め(眠らせる事)まで行く事が出来ないとされてきた。
 けれど、妖精でも“嘆き”を鎮める事が出来たなら?
 なれるかも知れないのだ。初の、精霊と契約をしていない音響士に。
 そんな不純な思いも無い訳ではなかったけれど、今はそんな思いも吹き飛び、只、目の前の人を救いたいという思いで一杯だった。

(水属性の子で、あえて一部の空気中の水分を運んで貰って、そこに火属性の子に火を点けて貰う。それから風属性の子にその火を増長して貰う。までに、地属性の子にそこで動けない様に拘束して貰わないと)

 剣も弓も効かない“嘆き”には精霊か妖精のチカラの込められたモノしか通用しない。
 だから、人工物は一切使わず、妖精のチカラのみを利用して抑え込み弱らせなければならない。
 襲い掛かろうとしてくる“嘆き”を誘導を兼ねた目くらましの火花で牽制し、人影のない方へと誘い込んで行く。
 “嘆き”の注意は完全にリデイラに向いているので、他の人の所へ行く事は無いだろう。
 ここまでは上手く行っている。後は、“嘆き”を弱まらせ、仕上げを演奏するだけだ。
 そう思い、肩の力がほんの少し抜けたのが不味かった。
 気の緩みは、演奏の乱れを生み出す。
 演奏の乱れは、妖精の動きを鈍らせる。
 妖精の動きが鈍った僅かな隙を、“嘆き”は見逃さなかった。

「グルオオオオオ!」

 “嘆き”は炎の牢から抜け出して、リデイラの前に躍り出た。
 その際、“嘆き”の体に纏わりついていた炎の熱さがリデイラに襲い掛かり、弓が不協和音を奏でた。

「しまっ!」

 何とか演奏を続けたけれど、一度崩れた流れを再び元に戻す事は難しい。
 それに、“嘆き”は間近にまで迫って来ている。
 もう、ここまでかとリデイラが弓を強く握り締めたその時だ。

「ここまで一人でよく頑張ったね」

 そんな声が聞こえて来たかと思えば、“嘆き”が何かに吹き飛ばされて眼前から消えて行った。



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