成金令嬢は「お返し」します。

槙村まき

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2.病弱な妹ではなかったようです。

(ここが、伯爵家か。……なんか、思っていたよりも小さいな)

 社交界で成金令嬢と呼ばれているヴァネッサのタウンハウスは、公爵家のそれよりはやや小ぶりだった。
 といっても、そんじょそこらの貴族家よりは大きい。

 マーティンが驚いたのは、彼女の噂のせいだった。
 贅沢三昧をしている割には、邸の景観からその気配はうかがえない。

 門兵に名前を告げると、すぐに門の扉が開いて伯爵家の侍従が姿を見せた。
 侍従により案内されるがまま邸宅へと入り、すぐに応接室に案内される。

 応接室の調度品も贅沢なものが使われているということはなく、一般的な室内だった。
 ソファに腰かけて、自分はこれからどうなるのだろうかと考えていると、応接室に彼女は入ってきた。

 スパングル家の当主、ヴァネッサ・スパングル。

 年齢は、マーティンと同じ二十歳だったはずだ。
 幼いころに両親を亡くし、それにより彼女は爵位を継承した。
 この国は長子であれば男女関係なく爵位を継げることもあり、ヴァネッサが伯爵位を継承したことは何もおかしなことではない。
 おかしいことを挙げると、その年齢だ。
 ヴァネッサは七歳で爵位を継承した。当時はまだ幼すぎたため、叔父夫婦が後見人となり彼女たちは育てられた。

 だが、ヴァネッサは十二歳の頃に、叔父夫婦を家から追い出したという。
 とんだ恩知らずだと社交界で揶揄されても、ヴァネッサは表情を変えることなく、ただ黙々と事業に打ち込んでいた。

(成金令嬢と呼ばれるようになったのは、いつからだったっけ)

 彼女が成金と呼ばれるようになったのは、あちらこちらに顔を出してはすぐに投資をして、その投資金で稼いだお金をさらに投資に回すようになったからだ。
 なぜか彼女が手を出した事業は大成し、ヴァネッサは資産を増やしていった。

 もともと先代の伯爵の時に、スパングル伯爵家は大きな借金を抱えていた。
 先代伯爵の死は予期できなかった事故ではあったけれど、残された娘たちは両親の借金を背負って生きていかなくてはいけなかった。爵位を返上しても、きっとヴァネッサたちはまともに生活できなかっただろう。

 それを助けてくれたのが、叔父夫婦だったはずだ。
 そんな叔父夫婦を伯爵家から放り出したヴァネッサは、叔父夫婦に感謝をすることもなかったと聞く。
 叔父夫婦がヴァネッサの愛想のなさを口にして、散々嘆いていたというのも有名な話だ。

 社交界で立ち居振る舞っている時のヴァネッサは、冷たい瞳に当たり障りない笑みだけを浮かべていた。
 だが、いま目の前にいるヴァネッサはあの夜会同様、紫の瞳に輝きを灯している。

「来てくれたのね、マーティン。待っていたわ」

「……僕は、もうあなたのもの・・だから」

「まあ、あなたは、私のもの・・なんかじゃないわ」

 僕を買うと言ったくせにと思ったが口にはしなかった。

「あなたは、私の婚約者よ」

 そう言って、ヴァネッサはうっとりと微笑んだ。

 思わず見とれそうになったが、すぐにはっと正気に戻る。

「どうして、僕を買おうだなんて?」

「ふふ、どうしてかしら」

 ころころとヴァネッサが笑う。答える気はないみたいだった。

「まあ、細かいことはいいじゃない。マーティン、あなたはもう私の婚約者なのだから。本当はすぐ結婚式を挙げたかったのだけれど、その前に片付けなければいけないことがあるかと思って」

「……僕と結婚したって、いいことなんてないよ」

 愚かにも背負った不名誉と借金のせいで公爵家から勘当されかけて、そこを彼女に救われたものの、マーティンにあるのはもう名前だけだ。
 自分と結婚して、いったいヴァネッサにどんな利益があるのだろうか。

 そう思った呟きだったが、なぜかヴァネッサは不愉快そうに眉を顰めた。

「それを決めるのは私だわ。良いかしら、マーティン」

 立ち上がったヴァネッサが、すぐ目の前までやってくると、マーティンの胸元に指を突き立てた。
 突き立てられた指が、衣服越しなのに突き刺さり、痛い。

「私にとって、あなたはこの世の何にも代えられないほど、価値のある宝石よ。それを証明するためにも、あなたの名誉を挽回させてあげる」

「名誉の挽回? そんなの無理だよ」

「いいえ。私はね、一度やると言った言葉を違えたことはないのよ。あなたにどれだけの価値があるのか、それを私が証明してあげる。あなたを嘲笑った社交界と、そしてあなた自身に」

 張りのある声と共に、紫の胡蝶蘭はただマーティンを見据えている。
 その輝きに、吸い込まれそうになる。

「マーティン。まずは、あなたに会わせたい人がいるわ」


    ◇


 連れてこられたのは、屋敷の三階だった。
 そこは、伯爵家の居住スペースになっているらしく、ヴァネッサは通り過ぎざまにひとつの部屋を指さした。

「ここはこれからあなたが暮らす部屋よ。後で紹介するから、まずはこっちにいらっしゃい」

 ヴァネッサは立ち止まることなく、そこからさらに奥の部屋に向かった。

「ここは?」

 訊くと、ヴァネッサは迷うことなく答えてくれた。

「私の――伯爵家の、もうひとりの家族の部屋よ」

「ずいぶん奥まったところにあるけれど……」

 言いながらも、マーティンの頭に浮かんだのは彼女にまつわる社交界でのよくない噂だった。

 曰く、成金令嬢には病弱な妹がいる。
 ヴァネッサはそんな妹を部屋に閉じ込めて、まともに食事すら与えていないという噂。
 実際ヴァネッサの妹は社交界に顔を出したことがなく、誰もその姿を見たことがない。あの叔父夫婦ですら、まともに妹に会ったことがないらしい。

(その妹が、この部屋にいるのだろうか)

 ヴァネッサにとって妹は、たったひとりの家族のはずだ。
 それなのに部屋に閉じ込めるなんて、そんな酷いことをするような人には見えないけれど。

「マーティン。もしかして、噂を知っているの?」

 コクリと頷く。

「そう。だからそんなにも固まっているのね。でも、安心しなさい。噂は、しょせん噂なのだから」

 真実は自分の目で確かめなきゃね。
 そう言って、ヴァネッサは部屋の扉を開けた。

「おいで」

 誘われるまま、マーティンは彼女に続いて部屋の中に足を踏み入れた。

 扉を一枚隔てた向こう側は、なんというか視界が悪かった。

(なんだ、これ)

 床に所狭しと本が積まれている。

「ここは、書庫?」

「いいえ、ベッドルームよ」

「ベッドルーム?」

 眉を顰める。
 とてもじゃないけれど、人が一人過ごしている部屋には見えなかった。

 書庫もここよりは整理されているだろう。
 本はジャンル関係なく適当に積まれているように見えた。なかには外国語の本も混じっていて、タイトルすら読めない難しい言葉が書かれている本もある。

(ずいぶんと読書家なんだな)

 積まれた本の影響で見えていなかったが、壁際にはぎっしりと詰まった本棚がいくつも並べられている。
 どうやら入りきらなかった本が、無秩序に床に積まれているみたいだ。

 まるで迷路のように左右の本に当たらないように気を付けながら、マーティンはヴァネッサの後をついていく。
 そこにはベッドがあり、一人の人物が寝転がりながら本を読んでいた。

 その姿を見たマーティンは、目を見開いて固まった。
 震える口で、言葉を紡ぐ。

「妹じゃ、なかったんだ……」

「ふふ。私はね、妹がいるなんて一度も口にしたことがないのよ」

 ヴァネッサはそう言って微笑んだ。
 社交界で、ヴァネッサは同伴者もなく、パーティーに足を運んでいた。
 だから誰もが噂でしか彼女のきょうだいの存在を知らず、だからこそよくない噂が社交界を飛び回ったのだろう。

 ベッドの上で本を読んでいるのは、少年だった。
 彼女と同じ濡羽色の髪を伸ばしているが、どちらかというとただ切るのが面倒なだけに見える。
 ほとんど外に出ていないのか肌は病的なまでに白いけれど、腕回りの筋肉はしっかりついているのと、きちんと食事をとっているのがまるわかりの健康的な体をしているように見える。
 もしかしたら、「病弱」という噂も、ただの噂だったのかもしれない。

「紹介するわ。アラン・スパングル。私の弟よ」

 アランと呼ばれた少年はのっそり顔を上げると、訝しげな瞳をマーティンに向けてくる。瞳は紫ではなく、赤かった。

「だれ、そいつ」

「そいつなんて言わないの。彼は、あなたの義兄になるのよ」

「は?」

「この度、ヴァネッサ様の婚約者になりました、マーティン・ディーヴィスです。よろしくね、アランくん」

 マーティンは紳士の礼をするが、アランはただじっと見つめてくる。
 やがて興味を失ったのか本に視線を戻すと、手をひらひらさせた。

「アランだ。俺のことは、いないものだと思ってくれ」

「アラン。ちゃんと挨拶をしなさい」

 微笑んだヴァネッサが、弟の手から本をさっと抜き取る。

「あ、姉さま!」

「そんなんだから、いつまで経っても社交界に連れていけないのよ」

「人が多いところは行きたくないし。俺は、ここで一生本を読んでいるの!」

「……はあ。ごめんなさいね、マーティン。弟は見ての通り社交性皆無なものだから、不愉快な思いをさせてしまったわね」

「い、いやぁ、気にしないで」

 アランは姉の手から本を奪い取ると、隠すように抱えて布団の中にもぐってしまった。

「はあ、仕方がないけれど、顔合わせはここまでにしましょう。……アラン。頼んでいたことは、調べられたかしら?」

「なんだっけ?」

 アランは、布団から顔だけを出す。

「次のお返しのターゲットよ」

 ヴァネッサの意味深な言葉に、弟の赤い瞳が輝いた。

「……ああ。そうか! どこかで聞いた名前だと思ったら、おまえは馬鹿みたいに相手を信じて借金を背負わされた、哀れなカモだな」
 
 突然浴びせられた言葉を理解したマーティンの顔が青くなる。

「だからそんな腑抜け面なのか」

「アラン。いい加減にしなさい」

「資料はできてるよ。どう使うかは、姉さまに任せる。……ねえ、愚かな義兄上」

 アランは仰向けに寝転がりながら、本を掲げていた。赤い瞳は、ただ文字を追っている。

「姉さまをあまり困らせるなよ」

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