悪役令嬢に転生したので地味令嬢に変装したら、婚約者が離れてくれないのですが。

槙村まき

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第6章 エンディングに向けて

第72話 エンディングの先に


 討伐訓練に参加した生徒たちが帰ってきたあの日の出来事は、公にならないことになった。
 リシェリアは公爵令嬢であり、王太子の婚約者だ。その体裁を守るためにも、この事件は公にするべきではないという結論に至った。

 捕まったダミアンは厳重に処罰されることが決まったが、彼は日々うわごとを繰り返しているらしい。

「『どうせエンディングを向かえれば、このルートはなくなり、新しいルートを始められるんです。そうすれば今度こそ、僕は原作通りに進めて見せます』とかなんとか言っているんだって。前に、ケツァール先輩が言ってたよ」

 ケツァールはダミアンと面会をしてそんな話を聞いたそうだ。
 それを、リシェリアの隣でひそひそ声でアリナが教えてくれる。

「なんでかわからないけど、ここがゲームの世界だと思っているみたい。もう、現実なのにね」
「そうね」

 いまだに現実を受け入れられないのか、それとも彼がそう思う何かがあるのか。
 それはリシェリアにはわからないことだ。

 ダミアンの罪は計り知れない。
 リシェリアを誘拐した罪。魔塔の地下にアリナを捕らえようとした罪。
 それから魔塔でも、いろいろ悪事に加担していたらしい。少なくとも、魔塔の地下の実態を知りながらも、それを利用していた魔術師でもある。

 だからその罪を償うのにも、時間がかかることだろう。
 きっと、もう会うことはない。そう思いたい。

「ダミアン先生、リシェリア推しだったんだね」
「私じゃなくて、悪役令嬢の方だけどね」
「悪役令嬢のリシェリアは強気の美人だからね。その美貌に惚れて、崇めているファンもいたらしいよ」
「そう、だったのね」

 頷くと、アリナがニヤニヤとした顔を向けてくる。

「まあ、リシェリアは前世からずーっとルーカス様推しだもんね。他のことはほとんど目に入っていないみたいだもんなぁー」
「そ、そこまでじゃないわ」
「本当に?」
「い、いや、その……」

 アリナに問い詰められてしどろもどろになる。
 いつの間にか声が大きくなっていて、慌てて小声に戻る。

「そういうアリナはどうなのかしら? アリナの推しって、ヴィクトルよね?」
「そ、それは……って、どうして知ってるの?」
「なんとなくそうなんじゃないのかしら、と思ったのよ。それに、最近思い出したの。最初にアリナと会った時、ヴィクトルのことを推し様って言ってたことを」

 アリナとの出会いを懐かしく思い出す。あれももう何カ月も前のことだ。
 昇降口でヴィクトルと顔を合わせたアリナは、そんなことを言いながら慌てて去って行った。

 学園に入学する前までは、ルーカスはヒロインに惚れてリシェリアと婚約破棄すると思っていた。 
 だけど現実はそうではなく、アリナはなぜかリシェリアをヒロインにしようとしてきたかと思うと、ルーカスはリシェリアの唇を奪ってきたりした。

 それからゲームのストーリーから逸脱をしてしまったけれど、同じ転生者であるアリナと一緒に遊んだのは、良い思い出だ。

「ほんと、あれからもう一年近く経つんだねぇ」
「ええ。夏休みにお祭りに行ったのも楽しかったわ。転生してからずっと行きたいと思っていたのに、いくら頼んでもお父様は許してくれなかったからいけなかったのよ」
「リシェリアのお父さんは過保護だもんねー」

 そんな過保護な父からどうにか許可を得て、アリナとビリー(ヴィクトル)と回ったお祭りのことを懐かしく思い出す。

「まあ、なぜか私が誘拐されかけて、大変なことになったけれど」
「リシェリア、この一年で二回も誘拐されてるよね」
「で、でもすぐ助けに来てくれたわ」
「ふふ。ルーカス様、だよね」

 夏休みには祭りだけではなく、サマーパーティーもあった。
 そこでも事件が起こったけれど、ルーカスと踊ったのは思い出すと恥ずかしくなる。

「芸術祭も楽しかったー。だって、お化け屋敷だよ? 絶対楽しいじゃん」
「お、お化け……。アリナって、そういうの平気なのね」
「うん。フィクションなら平気だよー。あ、リシェリアは怖いの苦手だっけ? お化け屋敷でもめちゃくちゃ叫んでたもんね」
「そ、そんなこと……」

 ある。リシェリアはホラー系は苦手だ。だから、アリナのクラスのお化け屋敷も怖くて、一緒に回っていたルーカスの腕を掴んで逃げたことを思い出してしまう。

(作り物だってわかっていても、怖いものは怖いのよ)

「リシェリアは演劇で、ルーカス様と熱いちゅうをしたんでしょ?」
「ち、ちゅう?? そ、そんなこと……」

 芸術祭、それも二日目の舞台のことを思いだすと、顔が赤くなってしまって仕方がない。だって、まさか舞台の上で、ルーカスから唇にあれをされるとは思っていなかったのだ。
 いくら三回目の口づけだからと言っても、恥ずかしいものは恥ずかしい。

「アリナも大変なことになっていたでしょう? 二回も【時戻り】の魔法を使ったし、ダミアン先生に洗脳までされて」
「……うん。でも、助けてくれたから」

 アリナが珍しく照れたように目を逸らす。

「本当の自分はどうしようもない人間だと思っていたけどさ、でもヴィクトル様に言われたんだ。私は私のままでいいんだって。ヒロインにならなくてもいいんだって」

 懐かしむように、はにかむアリナ。

(これは、そっと見守ってあげる必要があるわね)

 二人の関係が今後どうなるのかわからないけれど、ヴィクトルも何かとアリナのことを気にかけている。素直になれなさそうな二人だけれど、そんなところもお似合いだ。

 その後もいろいろアリナと思い出話をしているうちに、いつの間にか時間が経っていた。
 時計を見たアリナが、「あ」と声を上げる。

「もうこんな時間。そろそろ帰らない?」

 時計の針は、放課後になってから一時間が経過しているようだった。
 リシェリアは立ち上がると、本棚の影から顔を出す。

(いない、わよね)

 入学してすぐの頃は、図書室のこの一角を隠れ場にしていた。
 ルーカスに見つかってからはあまり近寄っていなかったのだけれど、あれからもう一年近く経っている。ルーカスもここにリシェリアが近づくわけがないと思っているはずだ。

 だから、現在リシェリアは図書室の一角に隠れていた。放課後になってから声を掛けてきた通りすがりのアリナを連れて。追いかけてこようとするルーカスから逃げるために。

「そろそろ、帰りましょう」
「うん。ずっと同じ姿勢で足がしびれたよー」

 そろそろとした足取りで、本棚の隙間を抜けると、図書室から出た。
 廊下に誰もいないことを確認してホッとして、アリナと顔を見合わせて笑う。

 そのまま昇降口まで行き、周囲を確認してから靴を履き替えると、アリナが突然声を上げた。

「り、リシェリア! 私、用事を思い出したから行くね! じゃあ、また学校で!」

 靴を片手に持って、靴下のまま走り出すアリナ。その後ろ姿を何が起こったのかわからないまま眺めていると、そこにぶっきらぼうな声がかかった。

「リシェ、こんな時間まで何しているの? というか、さっきのアリナさんだよね。何で僕の姿を見た瞬間に逃げるんだろ。同じクラスなのに」

 ヴィクトルは眉を寄せながらアリナが消えて行った方角を眺めている。
 なんとなく理由を察しているが、それはお互いが気づくべきことだろう。

 だから見守るような眼差しで、納得いかないというような顔をしているヴィクトルを眺めていると、「うわ」とドン引くような顔をされてしまった。

「まあ、アリナさんのことは置いておいてさ、そろそろ帰らないとお父様が心配するんじゃない? ただでさえ、神経質になっているんだからさ」

 ダミアンに寄る誘拐騒動の後、リシェリアの父であるオゼリエ公爵はさらに過保護に磨きがかかってしまった。
 学園内は元から結界で外部の人間は入れないことになっているけれど、行きと帰りの馬車の護衛の数は前よりも増えている。

「いま帰るところよ。さすがに、ルーカス様も私を探すのを諦めているだろうし」
「……それは、どうだろうね」

 ヴィクトルが呟き、リシェリアの背後を意味ありげに見る。
 嫌な予感がしたのも束の間、「リシェリア」と呼びかけられた。

 逃げようかと周囲を見渡すが、行く手を遮るようにヴィクトルが移動する。

「リシェ、もう観念したら? というかなんで逃げるの? せっかく、気持ちが通じ合ったんでしょ?」
「そ、それとこれとは話が別なのよ」
「あー、はいはい。じゃあ、僕は先に帰るね。……殿下、姉のことをよろしくお願いします」

 こういうときだけ姉扱いしてくるヴィクトルに恨みがましい目を向けるが、彼は手をひらひらさせて行ってしまった。

「リシェリア」

 再び背後から呼びかけられる。
 いますぐ魔法を使えば……いや、これ以上逃げるのも得策ではない。

 リシェリアは観念すると、振り返った。
 金糸のような髪に、エメラルドの瞳。その瞳を細めて、儚い笑みを浮かべるルーカスの姿に、知らずのうちに胸が高鳴る。

 いくら一緒に居ても慣れることはない。ルーカスを目の前にすると、どうしても正常じゃいられなくて、逃げたくなってしまう。
 だってあれから、ルーカスは――。

「リシェリア、一緒に帰ろう」
「……はい」

 ルーカスが差し出した手を取り、一緒に馬車に乗った。

 馬車の扉が閉じられると、二人っきりになる。
 途端に緊張してくる。
 ゴクリと喉が鳴る。
 向かいの座席に座っていたルーカスが、口を開いた。

「どうして、おれから逃げるの? せっかく、両想いになれたのに」
「それは……!」

 恥ずかしいからなんて言えない。
 あの日ルーカスに告白して、お互いの気持ちを確認して唇を重ねてから、ルーカスは毎日のように挨拶をしてくるようになった。
 人前でも頬にキスをしてこようとした時は断ったけれど、こうして二人っきりになるとルーカスは遠慮なく触れてこようとする。

 立ち上がったルーカスが、リシェリアの隣に座る。
 そっと手を伸ばすと、三つ編みに結われている黒髪に触れて、そこに口づけをした。

「やっぱり、黒髪が一番リシェリアらしい」

 ルーカスに地毛を隠していたことを包み隠さず話したリシェリアは、黒髪のウィッグをやめようかとさんざん悩んだ。夏休みデビューならぬ冬休みデビューで学園に登校したらみんな驚くだろう。もしかしたらルーカスのように受け入れてくれるかもしれない。

 そんなことを考えていたのだけれど、どうしても黒髪のウィッグが馴染んでしまい、取ることはできなかった。
 それにルーカスは黒髪でも構うことなく、リシェリアに会うたびに愛を囁いてくれる。

 それが嬉しくて、まだしばらくこのウィッグは被っていようと、そう決めたのだ。

「リシェリア、好きだよ」
「……っ」

 ほっぺに柔らかい唇が触れる。それだけで全身が沸騰しそうなほど熱くなる。

「リシェリアは、おれのこと、まだ好き?」
「……はい」
「本当に? 心変わりとかは、してないよね」

 耳元でささやかれる声。
 ルーカスはたまにそんなことを繰り返し問いかけてくる。まるで捨てられるのを恐れている子犬みたいな眼差しで。
 それにキュンとして、やはり心臓が持たない。

 これがあるから、リシェリアはついルーカスから逃げてしまうのだ。

(だけど、逃げてばかりもいられないわよね)

 冬休みが終わってからもう一カ月以上が経っている。そろそろ寒さも和らぎ、春の花が咲き始めるだろう。
 そうすればゲームのエンディングが過ぎて、新しい年がやってくる。

 ゲームのエンディングの先、そこにはどんな未来が待ち受けているのだろうか。
 このまま何事もなく学園を卒業できるのだろうか。

 そうだと良い。
 このまま何事もなく学園を卒業すれば、リシェリアはルーカスのもとに嫁ぐことになるだろう。
 そしたらこれよりも甘い日々が待っているはずだ。 

 だからいまのうちに慣れなければ。
 決心すると、ルーカスと向き合う。

「わ、私も好きですよ!」

 リシェリアだけを見つめるエメラルドの瞳が大きくなる。
 彼は――ゲームで氷の王太子と呼ばれていたルーカスは、まるで氷が解けたように満ち足りた笑みを浮かべると、その顔を寄せてきた。

 唇と唇が触れ合う。
 そこから生まれる温もりを、リシェリアはただ受け入れた。

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