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Reflect〜呪鏡怪異譚編〜
Reflect⑤
しおりを挟む右目が激しく痛む。鏡の破片が広瀬に襲い掛かろうとする度に危機を知らせるかのように痛みが生じる。何も見えていないのに危険を察して痛む目。相変わらず護られているなと、広瀬は感じる。痛みによって生じる呪いの加護。痛みの分だけ広瀬は危機を免れる。
身に生じる痛みよりも、よっぽど痛く苦しいものがこの世の中にはあるのだ。絶望という名前のついたあの痛みに比べたら、右目の痛み程度なんてものは苦しくも何ともない。
『絶対に許さない』
『返して彼女の未来を、運命を』
『あなたが奪ったものを返して』
「えっとお、人違いです~……って言っても、聞き入れて貰えるものなのかな、これ」
鏡の中は一体が闇に包まれており、ろくに身動きが取れそうには無かった。時折、あの黒髪の女性のものらしき声が特殊な音響機器でも通したかのように辺りに響き渡る。それと同期するように攻撃の刃が降り注いでやって来るのを、広瀬は右目に走る痛みの感覚だけで避け続けていた。
右目の痛みと硝子片の痛み、一体どちらの方が痛いものなのだろうか。この状況下でそんな余計な好奇心が沸いて出て来てしまったりする。本人も自覚する広瀬の悪い癖だった。流石に無闇に試していいものでは無い事ぐらいは理解しているけれど。
この鏡の空間に飛び込んで、最初に広瀬が味わったのは、鏡の中に充満する強い「念」の重みだった。それは大切なものを永遠に失った深い絶望だったり、無力な自分に対する嫌悪と後悔だったり、何者かに対する激しい怒りと憎悪だったり。
大切だったものが突然に奪われた。喪失したものは永遠に戻らない。だから、復讐する事しか考えられなかった。あの子は、私は。ずっと探していた。あの日、彼女の輝かしいはずの未来を奪った者の存在を。長い間、ずっと探し続けていた。だけど、どうしても見つからないままで、あの子はいなくなってしまったから。今度こそは私がやり遂げなければならない。
それがあの子と私との約束なのだから。
『だから、私はあなたを殺さないといけない』
『例えあなたがあの者ではないのだとしても』
『この衝動を止める術なんてものはもう私には分からない』
右目に走った鋭い痛みを広瀬はあえて無視した。
その瞬間、飛んで来た鏡の破片を反射的に素手で掴む。切れた左手の指から流れ落ちる血の筋を広瀬は見つめる。
ああ、やっぱりこの程度の傷は痛くない。
傷ついた広瀬の指から一滴の血が闇に落ちていった。直後、鏡の空間が激しく揺らいだ。闇ばかりだった視界の向こう側で、黒髪の女性の姿をした何かが悶えて苦しんでいる。
「出来れば苦しんで欲しくは無かったんだけど」
加護の呪いを受けた広瀬の血液は、広瀬に向けられた悪意の対象を焼く。その際に激しい痛みの苦しみを生じさせて。
それが広瀬流の『霊殺し』。それは霊や妖の類に対しても、一定の情を持って接していたい、出来る事なら理解したいと願う広瀬が、滅多に行う事の無い自傷を伴う特殊な除霊方法だった。
「あなたに同情する心はあるんだよ。喪失の痛みだって理解は出来る。でも、知らない誰かの身代わりで殺されるのは、俺だって嫌かなあ」
復讐を最も願った相手も、その復讐の相手も、恐らくもうこの世にはいないのだ。行き場を失くした復讐心の暴走の為に死んでやろうと思える程のお人好しには、流石の広瀬にだってなれなかった。
どこか遠くの方から、ガシャンと鏡の割れる音がまた響いた。
**********
「タイムリミット……というか若干のタイムオーバーだよ」
目を開いた広瀬の視界に映ったのは、完全に割れて粉々になった鏡と、何とも言えないといった表情で広瀬を見下ろしている茅野の姿だった。
なるほど……広瀬が鏡の中で『霊殺し』を行った為に、異空間が一気に不安定な状態になってしまっていたらしい。鏡が砕ける直前で茅野が広瀬を鏡から引っ張り出したというところだろうか。一歩間違えば永遠にあの空間から出られなくなるところだった。
どうやら鏡の外側でもなかなかに大変な事になっていたらしい。部屋中のあちこちに激しい戦闘の片鱗が、こびりつくように残っている。よくあるアニメの戦闘シーンの後のように事態が解決したら綺麗に元通りになってくれる……という事は残念ながら無い。
この部屋をこの家の人々は今後も普通に使い続ける事が出来るのか……?
「まあ、何かしらの修理代とか請求されたら、全部遼一朗さんに負担して貰えばいいよ。それに……無差別殺傷の怨霊の巣窟になりかけていた名家の汚点を取り返しがつかなくなる前に取り除いたんだ。礼を言われる事はあっても、叱られる筋合いは無いと思うけど」
騙し討ちのような形を取ってまで、強制的に除霊を遂行させたのだ。むしろ報酬は弾まないと割に合わないだろう。
「……鏡、壊さないで解決する方法も、ちゃんと探せばあっただろうな」
「まあ、あっただろうね。事前の準備と情報があれば。でも、時間制限付きの突発的案件じゃ無理」
むしろ、よく二人共が死なないで事が終われた。それだけで充分だろうと……茅野は心の底からそう思う。それを口に出して言う事は無かったが。
二人が家の敷地を出ていく最後の瞬間まで、家の住人には誰一人として会う事は無かった。依頼人であるはずのあの少女、要亜希にさえも。
後日、事務所宛に大量の謝礼の品々が届いた。その中に紛れ込んでいた小さな和風の手鏡を、茅野は複雑な気持ちで見つめるしかなかった。
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