愛され少女は愛されない

藤丸セブン

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1話 少女は愛されたい

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 夢を見た。幼いあの日の夢。
「私!大きくなったら蓮くんのお嫁さんになる!」
 隣の家に住んでいた一つ年下の女の子。名前は、なんだったか。忘れてしまった。場所は恐らく家の近所の公園。小学生の頃などはよくそこで遊んでいたし、今でも通学時に見るので覚えている。しかし、少女の顔は靄がかかっていて思い出せない。
「ーーーーーーー」
 夢の中で少年が何か言葉を発すると、少女は頬を膨らませて怒った。
「何それー!そんな目で女の子を見るなんてサイテー!」
 過去の自分が何を言ったのかは覚えていない。しかし女の子が最低と言ったところを見るに、ろくな返事ではなかったのだろう。
「分かった!じゃあ」
 公園の砂場から立ち上がった少女は砂まみれの足から砂を払おうともせず立ち上がり、指を突き出した。
「私がみんなからーーーーー子になったら!ーーーちゃんみたいになったら!結婚してもらうんだから!!!」
 少女はそう言い残して公園から全速力で走って行く。あの時、少女はなんと言ったのだっただろうか。その時、返事をすることは出来ていたのだろうか。
 少女はこの約束を、まだ覚えているのだろうか。
  ◇
「蓮、蓮!!いつまで寝てるの!?早く起きなさーい!!!」
「ぐはぃ!?」
 聞き慣れた声の主に叩き起こされて、奥田蓮は目を覚ました。
「蓮ってばいつもお寝坊なんだから。毎回起こしに来る私の身にもなってよね」
「うるさいな。姉ちゃんが夜に騒ぐから、寝れなくてこんな事になってるんだぞ」
「はぁ!?あんた推しがライブしてんのに黙ってろって言うの!?」
 深夜の騒音騒ぎを反省もせず弟を怒鳴りつけてくる姉に蓮は耳を塞ぎながら階段を降りる。奥田寧々。蓮の三つ上の姉で現在は大学二年生。バイトで稼いだお金をアイドルのグッズやイベントなどに全てつぎ込んでいる所謂アイドルオタクである。
「さて、歯磨きして着替えて学校行くか」
「は?あんた朝飯どうすんのよ?コンビニにでも寄ってくの?」
 蓮の独り言にジャムを塗った食パンを口に咥えながら寧々が割り込んでくる。
「朝飯くらい抜いても問題ないだろう」
「はー。信じらんない。一日三食食べないで生きていける人間なんて存在するのね」
「姉ちゃんが食べ過ぎなの」
 一つ訂正。寧々がお金を注ぎ込んでいるのはアイドルだけではなく食事にもだ。寧々は平均女性の二倍、いや三倍程度は食事を摂る。蓮も平均男子程度に食事は食べるが、寧々と共に食事をすると自分が少食なのではないかと少し不安になる。
「持ってけ泥棒!」
「ん?なにをっ!?」
 蓮が支度をして家の扉を開ける前に寧々がメロンパンを投げつける。そのメロンパンを顔面でキャッチした蓮は不服そうに寧々を睨むが、そのまま家を出た。
「ふぅ。ダルいな、新学期」
 今日は蓮の通う私立愛立(あいりつ)高校の始業式だ。桜の舞う通学路を蓮は愛用のイヤホンを着けながら歩く。
「れーん!」
 今日の始業式は心底だるいが、イヤホンから流れる音楽を聞くとなんだか癒されるし、楽しい気分になる。そうだ。せっかくの高校生活。楽しまなければ損だ。
「あれ?おーい蓮?聞こえてる?もしもーし!?」
「まだ春なのに、蝉の声がうるさいな」
「セミって言うな!俺にはれっきとした名前があるんだよ!!」
 新学期初日に面倒臭いのと出会った。夏野蝉丸。中学から一緒の学校に通っている、いわば悪友というやつだ。派手な金色の髪の毛を揺らし楽しそうに笑う男で、悪い奴ではないのだが。
「いい加減セミって言うのやめてくれよ。ほんと、あれは傷ついたんだからよ」
 蝉丸はクラスの中心核であり、いつも誰かと話している男だ。しかし、そんな蝉丸に悲惨な事件が起こる。そのあまりの声の大きさに堪忍袋の切れた女子生徒達が蝉丸を「セミ」と呼んで罵倒し始めたのだ。当時はほとんど会話などしたことが無かった蓮ですらこの話は実に印象に残っている。
「それだけならまだいいけど。その後一週間しか生きられないだの、おしっこかけられるだの。授業中に寝てると近づいたら急に鳴き出すぞ、とか言われて友達みんないなくなっちゃったんだもんな」
「やめろって、泣けてくるだろ」
 当時は当然蓮は見て見ぬふりをしていたが、何故か蝉丸は蓮の事を友達だと思っていたらしく、気づけば蓮は蝉丸に懐かれていた。
「懐かしいな」
「思い出したくねえよ、過去の事なんてよ。お前だってそうだろ?」
 蝉丸の言葉に蓮は少し考え込む。確かに今までなら過去など思い出したくないとすぐさま答えていただろう。しかしそう答えようと思った蓮の頭には今朝の夢が浮かんだ。
「いや」
 姿も声も顔すら思い出せない将来を誓ったかもしれない少女。小学生、しかも低学年の約束などどうでもいいが、今ばかりはどうしても頭によぎってしまう。
「たまには昔を思い出すのも悪くない」
「おっ?珍しいな。蓮がそんな事言うなんてよ」
 そんな他愛のない話をしながら二人で学校へ向かう。蓮達が通う私立愛立高校はこの地域の中では屈指の進学校である。それ故かどうかは分からないがクラス分けなどはない。入試のテストの成績が良かった人から一組、二組、三組、四組と分けられる。ちなみに蓮と蝉丸は二組だ。
「たまにお前が本当に二組なのか不思議に思う」
「何でだよ」
「お前、成績悪いじゃないか」
 蝉丸は決して勉強が出来る人間ではない。寧ろ落ちこぼれである。しかし蝉丸は何故かこの進学校に通っており、成績も上の方となる二組に所属している。
「入試がマーク形式だったからな。あの時の俺には神が宿ってたぜ」
 その後退屈な校長の長話を聞き、一年と同じ担任の話を聞き、全ての工程が終わり帰路に着く。
「蝉丸は部活か?」
「おう。気ぃーつけて帰れよ」
 部活へ行く蝉丸に別れを告げて校門を出る。ちなみに蝉丸はバスケ部に所属しており、その中でも一二を争う程優秀なプレイヤーなのだとか。蓮はバスケはしないし、文化部なので練習の風景なども見たことはないのだが、バスケをしている蝉丸はいつもの蝉丸とは別人に見えるらしい。
「まあ、どうでもいい事だがな」
 そのまま早足で帰路を歩き、家の前まで無事到着。後はゲームでもして
「蓮くん!!」
 ドアノブを握った瞬間。大きな声で名前を呼ばれた。
「ん?」
 その声に聞き覚えはない。しかし、どこか懐かしいような雰囲気を感じた蓮はイヤホンを仕舞ってゆっくり振り返る。
「久しぶり、蓮くん」
 そこにいたのは息切れをした綺麗な女子生徒だった。赤茶色の長い髪をツインテールに纏め、黒い瞳を輝かせて蓮を見つめる女の子。着ている服は愛立高校の制服で、息切れをしていて肩で呼吸をしているところを見ると、もしかしたら学校から付いてきていたのかもしれない。その愛立の制服を着た女の子に蓮は見覚えがあった。
「花梨か?」
 桜沢花梨。蓮が小学生の頃に隣の家に住んでいた一つ年下の女の子。恥ずかしがり屋で人と話す事が苦手だった花梨を蓮はよく面倒を見て、一緒に遊んでいた。驚いたのはさっきまで忘れていた名前がパッと脳内に浮かんだことだ。
「大きくなったな」
 しかし中学生となった夏、花梨は東京へと引っ越してしまった。そういえば夢を追うために東京へ行く、と聞いたのを今思い出した。
「良かった。覚えててくれてたんだ!」
 出会ったばかりの頃からは考えられない程可愛らしい笑顔で笑う花梨を前にして、蓮は少し視線を逸らす。こんなに喜んでいると言うのに今の今まで顔も名前も忘れていたなどとは絶対に言えない。
「えっと、あの、ね?」
「ん?あ、ああ」
「私!約束叶えたの!」
約束?何の話だろうか。昔花梨と何か約束をしていただろうか。思い出せない。
「だから、だからね」
 ツインテールで赤く染まった頬を隠しながら花梨はもじもじとする。その様子に蓮は思考が追いつかない。
「私!あの頃の約束叶えたから!蓮くんのお嫁さんになりたい!!!」
「・・・ん?」
 蓮はその場で固まった。
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