スティグマータ・ライセンス 〜異能者たちのバトルロイヤル〜

よもぜろ

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第九話 焔心の魔女

第九話 焔心の魔女 (3)

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 目が覚めたのは果たしてあの世だったのか、それともこの世だったのか。視界に入ってきたのは、意識を手放す直前の記憶と同じ光景だった。

 刻限は変わらず夜の帳が下りかけた頃。辺りに響くのは地を震わす轟音。あぁそうか、と合点がいった。いつもより低速だが、ようやく頭が回りだす。

 ここは黄泉の世界ではない。右腕を失ってもなお暴れまわる岩石の巨人は地獄と言うべき悪夢だが、辛うじて残った自由の利かぬ己の足が、此の世のモノだと伝えている。

 だが、一つだけ明らかな相違点がある。森は深淵の闇に包まれてなお、どこからか発せられた紅く燃える光によって、照らし出されているからだ。

「ウォォォォアアァァ!!!!!」

 相も変わらず猛々しく響く、怪物の咆哮。それに呼応するかの如く、秀彰の視界の隅で小柄な影が揺れ動いていた。

(誰かが、戦ってる……?)

 その見知らぬ影は、少し離れた場所で怪物と死闘を演じていた。まるで秀彰がこの場に倒れ伏している事を知っていて、それを護り戦っているかのように。

(馬鹿な、ありえねぇよ、あんな化物と渡り合える人間なんて……)

 森ごと破壊し尽くさんとばかりの荒々しい動きの怪物に対して、その周りで踊る影は清流の如くスマートに反応している。ゆらりゆらりと左右に体を揺らしては、迫りくる豪腕を紙一重で躱している。

 否、ただ躱しているのではない。

「グギィィィ!!!?」

 黒焦げになった岩の破片がバラバラと空中で散華する。交錯する一瞬の内に、辺りの空気を歪ませるほどの熱量を持って巨岩の体を灰燼に帰していた。人語を解さないはずの怪物にも、心なしか焦りが浮かんでいる風にさえ見える。

 こんな芸当が出来る超人は、秀彰が知る限り此の世でただ一人しかいない。

「……セン、セ……??」

 夢を見ているのだろうか?

 何故なら今目の前で繰り広げられている光景は、秀彰にとってあまりに都合が良すぎるからだ。もしくは、絶望に耐えかねた彼が描いた幻想なのかもしれない。

 ―――炎が舞う。

 喰らえば一撃で戦闘不能に陥るであろう剛腕の嵐が降り注いでもなお、小柄な影は臆することなく立ち向かっていく。青白い痕印の光を纏った右腕が振り下ろされる度に炎の焦弾が打ち出され、岩石の鎧へと次々着弾した。

 質量を持たないはずの炎に押され、怪物の巨体がぐらりと揺らいだ。

 秀彰の力などまるで通用しなかった相手に対し、その人影はたった一人で圧倒している。相手が人間だろうが人外だろうが関係なく、我が道を阻むものは全て焼き尽くすと言わんばかりの暴力。その姿は正しく、焔の心を宿した魔女そのものだ。

「これが――焔心の魔女……」

 無意識に口を突いて出た言葉は、目の前の外敵と果敢に立ち向かう影にピタリと当てはまる仇名だった。

 休む間もなく炎の軍勢を操っては、相手の反撃を許さぬままに火の海へと沈めていく。恐ろしくも美しい、幻想的とも言うべき強さ。

「………」

 ぼぉ、っと一際大きな炎が影の顔をはっきりと照らし出した。そこに浮かぶ顔は普段見るよりも真剣で、冷徹で、それでもどこか温かみを残した師の表情が残っている。

「……ッッ!!!」

 ――真田センセ。
 秀彰は思わずその名を呼ぼうとしたが、喉から出かける既の所で留めた。

 真田は無言のまま、対峙する怪物だけに全神経を集中させている。ここで自分が余計な事をして気を散らすのは愚行も愚行だ。そう考えた秀彰は奥歯を噛み締め、人外同士の戦いを目に焼き付けんと刮目する。炎のせいか、彼女の背中はやけに紅く見える。

「オオオオオゥゥ、グオオゥ!!!!」

 鼓膜を破りかねない咆哮を至近距離で耳にしても、真田は身動ぎ一つしない。耳を押さえる代わりに特大の火球を放つ事で、相手を強引に黙らせた。

「グ、オッ―――!?」

 痛みによる絶叫すら許さないのか、さらに灼熱の劫火を放つ。彼女の『力』は底無しなのか、全く威力を落とさずに続く三発目、四発目を畳み掛けるように相手へと打ち込んでいく。

 一切の妥協も容赦も無く、普段の彼女なら得意げに発する無駄口すら叩かず、
ただ純なる殺意だけを籠めて、相手を地獄の底へと沈めに掛かる。

 炎を纏いし女王は、敵対する異怪の種族を完膚なきまでに叩きのめしている。

「……すげぇ」

 絶対的な力。洗練された戦術。屈強な精神。
 ついこの間喧嘩別れした恩師の、本来の実力を目の当たりにして、気付けば秀彰の口は阿呆みたいに開きっぱなしになっていた。

(こんな……、ここまでこの人は強かったのか)

 自分を死の寸前まで追い詰めた怪物を、まるで赤子と戯れるように屠っていく姿に秀彰はひたすら圧巻された。

 度重なる攻撃を受けて、化物の体はいつしか土気色から黒ずんだ茶へと変色していた。ぶすぶすと石が焼き焦げる独特の匂いが充満し、闇に遮られながらも煙が天へと昇っていく。

 既に怪物の体は崩壊寸前だった。元は岩を結合して出来ているため、所々の箇所を破壊するなり緩めたりすれば、全体のバランスが崩れて文字通り土へと還るだろう。残る攻撃手段は左腕ただ一つ。真田にしてみれば当たるはずのない木偶でくの大砲だ。

(勝てる…、真田センセならたとえどんな化け物にだって負けやしない…!)

 勝敗を決める天秤の器が大きく傾きかけたその時、真田の動きが急激に乱れ始めた。俊敏だったはずのステップは乱れ、振りかざした腕もぐにゃりと力無く折れ曲がっていく。

(何だ……どうしたんだ、真田センセ?)

 秀彰は、彼女のスーツが不自然なほどに赤黒く染まっていることに、今更ながら気づいた。あれだけの攻撃を受けながら平然と戦っていた彼女の肉体が、ついに限界を迎えようとしているのだ。

 消耗。あるいは、失血。理由は分からなくとも、彼女の『力』が、その源泉である生命力と共に、尽きかけていることだけは、痛いほどに伝わってきた。

立ち上がろうにも怪物に圧し折られた足は支えにすらなれず、傍へ駆け寄る事も不可能だ。今の彼は戦力にならないどころか、正真正銘の足手まといでしかない。

 情けない事ながら、今の秀彰に出来る事は真田の邪魔にならない事と、化物が真田に近付かないよう必死に祈る事だけだった。

「グウウゥゥゥ」

 しかし、そんな貧相な願いすらも運命は受け入れられぬと拒絶するのか。手負いの怪物はゆっくりと、だが確実に、動きの儘ならない真田の方へと近付いていく。

(だ、ダメだ…逃げてくれ、センセ…ッッ!?)

 秀彰の祈りが届いたのか、真田はふらふらとした体勢のまま再度痕印を発動させる。だが、進行を留めるために足元に放った火球はなんら怪物の足止めにもならず、隻腕の巨躯は彼女を見下ろす位置まで接近した。

 刹那、交錯する異種族同士の視線。その時、焔心の魔女の顔に浮かんだ感情は、一体何だったのか。ハッと我に返ったであろう真田が勢いよく地面を蹴って、豪腕が降り注ぐ間合いから逃れようとした。

 ――しかし、

「……ッッ!!!!???」

 思うように足が伸びず、真田はその場で転倒してしまう。これで優劣は完全に覆った。自分を斃しかけた人間が無様に転がる姿を、化物はどんな気持ちで見下していたのか。

 その答えは一切の慈悲が無い、豪腕の強襲を持って応えられた。

「ふぐ…ぁぁぁぁ…ッッ!!!??」

 闇夜に劈く女の絶叫。同時にぐちゃり、と肉が磨り潰される音が響く。秀彰が受けたモノよりも遥かに凶悪な、人の体を粉砕する凶悪な一撃。

 だが、悪夢は終わらない。獲物の返り血を浴びながら、化物はなおも片腕となった豪腕を振り上げ、破壊行為を続けようとする。

「……や、止め――」

 完全に青ざめた顔で秀彰が叫んだ。いや、叫ぼうと試みた途端、その声は爆発音にも似た拳の衝突音にかき消されてしまった。

 骨が折れた、なんて生温いモノではない。真田の膝から下は怪物の腕を境に両断されていた。

「っぷ、うぐ、ぐぐぐぐぐ…………!!!」

 その光景を見た瞬間、秀彰の喉から強烈に酸っぱい液体が込み上げてくる。

(吐いてる場合か!! せ、センセが……っっ、このままじゃ……!!)

 情けなく沸き上がる嘔吐感を喉を絞めて無理やりにやり過ごす。だが、最悪だと思っていた事態は更に進行していく。

 憎き人間の脚部を破壊しても、化物の破壊欲求は満たされない。血に塗れた左腕を今度は真田センセの胴体へと回し、空中で持ち上げながらアルミ缶を潰す要領で力を込めた。

「…は…っ…ぁ、……っがぁッッ!!!??」

 ギリギリ、と真田の体が絞られていく。

「……や、やめろ…、やめてくれ…ッッ…!!!」

 それを秀彰はただ、見つめることしか出来ない。眼球の奥から溢れ出る液体を震わせながら、彼はぼやけた視界の中で自分の無力さを呪った。

「…………ぐ、ぅぅぅ、ぅ、ぅぅぅぅぐぐぐぐぐぐぐ!!!!!!!」

 激痛に上半身を仰け反らせた反動で、真田の顔が一瞬だけこちらを向いた。地面に落ちた火種が明かりとなって、彼女の苦悶の表情が秀彰の潤んだ視界に入る。

 だが、口元から泡を吹き、膝下から絶えず鮮血を滴り落としてもなお、瞳はあの普段と変わらない強い意志を感じさせていた。

 それは気高き者のみが放つ眼光。

「…………、失…せ、ろ」

 蚊の鳴くような、か細い声。しかし、それが化物の動きを止めた。
 ――止めざるを得ない凄みがあった。

「アタシと……生徒の前に、未来永劫現れるなァァ!!!!!」

 魂を突き動かすほどの絶叫が、彼女の痕印を限界まで行使させる。唇を千切れるほどに噛み締めて、残る『力』を一気に解き放った。

 危険を察知した化物が彼女を離そうと指を開く猶予もなく、瞬間的に発生した超高温の熱エネルギーが岩石の巨躯を包み込んでいた。

「ギギギィィィィ……ッッ!!!???」

 土は土へ。岩は砂と石へ。そして灰は灰へ。
 自然の摂理に従い、怪物の残骸は母なる大地へと完全に回帰した。

 遅れてどさり、と重い落下音が響く。

「センセ…ッッ!!」

 力尽き、空中に投げ出された真田の下へと、秀彰は文字通り地面に這いつくばって近付く。

「……息はある、気を失っただけ、……だ」

 辛うじて呼吸はある。だが、全身から出血があり、素人目に見ても生きているのが不思議だと思わざるを得ない状況だ。失った両足を探そうとも考えたが、それが高望みであることは秀彰も重々承知していた。

「ぐ…っ、救急車を、呼ば、ないと」

 生き残るための覚悟を決めて、秀彰は負傷した両足に鞭を打って立ち上がろうとする。彼の両足も何本か骨折しており、力を込めるだけで舌を噛み切りたいほどの激痛が走るが、それを気合だけで押し留める。痕印者の身体は常人よりも数段頑丈だ、なにより真田に比べれば軽いものに思えた。

「死なせて、たまるかよ、真田センセ……」

 生まれたての子鹿のような頼りない足取りで半死半生の師の身体を持ち上げ、どうにかこうにか背負いこむ。足を失ったせいか、真田の体はやけに小さく、軽く感じた。流れ出る鮮血の量が危険度を最大まで高めており、命の灯火が消えるのも時間の問題だ。

「…っ、…っ、……ぅぅ!!!」

 その辺に落ちていた木の棒を奥歯でがっちりと噛み締めることで、幾分か足の痛みを和らげることにした。

(借りを作りっぱなしで、死なせてたまる、かよ……)

 ガクッ、ガクッ、とロボットよりも不自然な動きで森の入り口へと歩いていく。時折何度も転びそうになったが、その度に木の味を堪能する事で防いだ。

 やがて、気力体力とも限界に達した頃。秀彰はようやく自分の自転車が置いてある麓の場所へと辿り着いた。夜の到来を知らせるように点灯した街灯の明かりは経年劣化のせいで頼りないが、それでも死地から脱した安心感が得られた。

(クソッ……さっきの戦闘で携帯がぶっ壊れちまってる…こんな時に…ッ)

 ズボンの後ろポケットに突っ込んでいた携帯はとっくの前に破壊され、残骸しか残っていない。こうなると分かっていれば自転車のカゴにでも置いてきたが、そんなものは結果論だ。

(たしか、この付近にコンビニがあったはずだ…警察に通報されるのも今だけは悪くねぇ…)

 不安定な重心を支えきれず、ガクガクッと左右に揺れながら、峠を下る秀彰。しかし、歩けど歩けど、コンビニエンスストアは見つからず、疲労だけが蓄積されていく。

 ガクッ、ガクッ、ガクッ。
 徐々に意識も薄れ、痛みの感覚すらも感じなくなってきた。それでも秀彰は、ひたすらに歩き続けた。

 ガクッ、ガクッ――、

 ――ズシャァァ。
 やがて背中に担いだ重みに耐え切れず、真田もろとも秀彰の体が地に伏した。

 起き上がろうと奥歯に力を込めたが、カチカチと頼りない音しか聞こえてこない。挟んでいた木の棒は既に無く、知らず内に胃袋へと流し込んでいたらしい。

(く、そ…ぉ)

 もうじき空は濃い闇に閉ざされようとしていた。朝が明ける頃には間違いなく真田は死んでいるだろう。下手をすれば地面に倒れた秀彰ごと不注意の車に轢かれかねない。

(だ、れか……だれか)

 生まれて初めて、秀彰は他人の存在を頼りにした。誰でもいい。とにかく今は、この人を助けてくれと。

「……ぃ、……ぉぃ!!!」

 瞼が落ち、視界が消えていく。聞こえてくる音を言葉に変換する余力すら、もう秀彰には残っていない。

「……、しっかりしろ、おい!! チクショウ、酷い傷だ……、煉華っっ、煉華ぁ!!」

(れ、んか……? だれかが、せんせの、なまえを、よんでいる……?)

「救急車……、から、……丈夫……!!」

(あぁ、このこえは……そうか。だったら、しんぱいは……な……)

 そこで秀彰の意識は完全に途絶えた。

 次に目を覚ました時、彼の黒い瞳は真白い天井を見上げていた――。
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