私の居場所を見つけてください。

葉方萌生

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第二章 不穏なカルテ

◾️八月三十日土曜日Ⅴ

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「部屋がありました……。おそらく地下室です。入ってみます」

 ゾワリ。
 ゾワゾワゾワゾワッ。

 部屋に足を一歩踏み入れた途端、ものすごく悪い気に押しつぶされそうになった。
 ここは、まずい。
 病院の中で今まで感じたおかしな空気の元凶が、まるでこの場所であるかのように。淀んだ空気が背筋を凍り付かせるような恐怖を煽る。カキーン、カキーン、と頭痛がして、例によって腹痛まで始まった。

「ここは………手術室……?」

 暗い室内で、手術台と、メスなどの器具が乗ったワゴンが無造作に置かれている。近寄って懐中電灯で手術台を照らしてみると、そこには血痕と思われるシミがあった。

「ひいいっ」

 思わず悲鳴が漏れる。堪えきれない恐怖が一気に襲ってくる。その刹那、またあの声が聞こえた。

 ワタシ……ハ……ドコ……。

 ずずっ、ずずっ、ずずっ。

 ワタシ……
 ワタシ……ハ……

 ずずっ、ずずっ、ずずっ。

 声と、衣擦れの音が交互に聞こえる。今まで聞いたものとセリフは同じなのに、その声には憎悪が滲んでいた。
 まるで、この場所にやってきた私を心の底から憎んでいるとでもいうような。
 今すぐこの場所から逃げ出したいと思うのに、足が震えて動かない。腰が抜けてしまったら終わりだ——なんとか意識を保ちながら、声のする方へと視線を動かした。

 ワタシ……
   ワタシ……

      ミツケタ。

 浮かび上がった白い顔と、顔に対してあまりにも小さい身体。
 不自然なバランスの身体をした生き物・・・は、完全にこの世のものではなかった。

「ぎゃあああああああっ!」

 堪えきれず、悲鳴を上げた私は地下室から飛び出して階段を駆け上る。後ろから邪気がついてきていると感じて、「来ないで!」と叫ぶ。
 頭痛も腹痛も、構っていられなかった。痛みよりも恐怖の方が勝って、一目散に二階の廊下を駆け抜ける。一階へと続く階段を再び降りて振り返ると、まだ後ろから「ワタシ」と囁くような声が聞こえた。

「はあ、はあ、はあっ」

 瓦礫に躓きそうになりながら、入り口へと走る。

 タスケテ

 タスケテ

 マッテ

 カエシテ

「いや……いやっ!!」

 もう撮影のことなど頭になかった。瓦礫に足を絡め取られないように必死に走る。ようやく入り口から外の世界へ飛び出すと、振り返らずに車通りのある道まで駆けた。
 外は昼間の世界。時間は十五時ごろだろう。私が体験したあの恐怖の時間とあまりにもかけ離れた明るい世界に、不安と安堵がごちゃまぜになり、歩道でへたり込んだ。
 頭につけていたGoProを外して、鞄の中にしまう。肩で息をしながらようやく後ろを振り返った。

「だ、誰もいない……」

 当たり前の事実にほっとすると、バクバクと激しく脈打っていた心臓の音をようやく感じた。恐怖に支配されて、逃げること以外何も考えられなかった。
 と、その時、ポケットに入れていたスマホがブーっと震える音がして、びくんと身体が跳ねる。
 な、なに……?
 再び恐怖に支配されながらスマホを見ると、画面には友人である皐月の名前が表示されていた。
 こんな時間に電話?
 一体なんの用事だろうかと思いつつ、皐月と会話できることにほっとしながら通話ボタンを押した。

『あーやっと出た!』

「どうしたの皐月、急に電話なんて」

『いや、どうしてるかなって思っただけだよ。三十分くらい前から何度か電話かけてるのに出ないんだもん。もしかして運転中だった? それよりまだその名前で私のこと呼んでんの、ウケるんだけど』

「だってこの呼び方がいちばん馴染んでるし」

 運転中だったのか、という問いには答えずに、後者のツッコミにだけ答える。

『まあいいけどさ。みよ子以外に私のことそう呼んでるひといないからさ。で、先週も聞いたけど、明日空いてないー? 前に言ってた映画なんだけど、どう?』

「明日……か。ごめん、明日用事入ってるんだよね」

『え、また? もしかして慎二くんとデート?』

 ああ、そうか。
 彼女には慎二と別れたことをまだ伝えていなかった。
 でも、電話越しに伝える気にもなれなくて、曖昧に「違うよ」と答える。

「今日も岩手に来てるの。明日まで泊まっていくつもり。バタバタすると思うから、会うのは難しいかなって」

『また岩手? お母さんの実家があるんだっけ』

「うん、まあそうだけど。帰省とかじゃなくて、ちょっとね。詳しいことはまた会ったとき話すよ」

『えーケチ! てか会ってくれるの?』

「うん。来週の土日でもよければどう?」

『お、いいよ。予定ないし』

「了解。じゃあまた連絡するね。映画のあと、ご飯でいい?」

『もちろん。久しぶりだから楽しみ~。私もまた予定確認して、連絡するわ』

 そこで彼女との電話を終えた。
 友達と会話をしたことで、上がりまくっていた心拍数が落ち着いていくのが分かった。
 皐月が私の危機を救ってくれる救世主のように思えて、ふっと自然に笑みがこぼれた。
 とぼとぼとバス停まで歩いて、ホテルのある街まで行くバスに乗り込む。 
 疲れのせいか、バスの中では眠りこけてしまった。
 夢の中で、あの白い顔をした生き物に追いかけられた。
 はっと目を覚ました時には全身汗だくで、ちょうど目的のバス停に到着していた。

「ありがとうございますー。お客さん、汗びっしょりだけど大丈夫?」

 バスを降りる際、運転手に声をかけられる。田舎だから、こういうことはよくあるが、運転手はかなり心配してくれている様子で目を丸くしていた。

「大丈夫です。すみません、ありがとうございます」

 夢でうなされて、気持ち的には決して大丈夫というわけではないが、深く考えても仕方がない。今日はホテルでゆっくり休もうと心に誓った。

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