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新事実?
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やってしまった。
今日も一限目の途中から睡魔が襲って来て、気がつけば終業のベルが頭上から降っている。『マクロ経済学』の講義は確かに眠いけれど、以前は途中で居眠りしてしまうことはなかった。
美智子に代わって愛梨が家事を始めたのは二週間前のことだ。
朝ごはんやみんなのお弁当を作るためには、最低でも朝六時に起きなければならない。祐樹が六時半に起きて洗濯を回してくれるので多少助かってはいるものの、以前まで午前七時半頃起床していた愛梨にとって、かなり辛いことだった。
それならば夜寝る時間を早くすればいいのだが、夜の体内時計がすっかり定着してしまっているのか、早く寝ることができない。それに、なんて言ったって、愛梨は華の女子大生だ。大学終わりに友達と飲みに行くことも多い。そんな中、一人だけ早く家に帰って寝るというのは至難の業だった。
「家事ってこんなに大変なんだ……」
三限目、空きコマの時間に、同じく空きコマである友人の絵美につい愚痴をこぼす。絵美は、愛梨の母親が絶賛ストライキ中であることを知っていて、そんな愛梨に同情してくれる優しい友達だ。
「ね、大変だよねえ。分かるよ。私も、春から一人暮らし始めてあまりに何もできなくてびっくりしたもん」
絵美は大学進学に合わせて地方から上京してきたので、愛梨の嘆きに共感してくれる。状況は違えど、自分一人で家事をしなければならなくなってという点では通ずるところがあった。実は、美智子がストライキを始めてから家事を教えてくれたのは絵美だった。
「絵美の言うとおりにご飯作るんだけど、焦がしたり煮詰めすぎたりで、もうてんやわんや。お母さんを除いたら女性陣は私一人だから、お父さんや弟にも頼りにくいしさあ」
そう。一番の問題はそこだ。
愛梨はなんていったって、女だ。今の時代、女が家事をやらねばならないという考えは古臭いけれど、実際一番時間があるのは自分なのだ。祐樹はまだ高校生だし、徹は朝早くから夜遅くまで仕事をしているのでできることは少ない。となれば、自分が率先して頑張るしかないと、決意したのだけれど。
日々溜まっていく家事の疲れに、もうすでに辟易とさせられている……。
「確かに頼りにくいのは分かる。でも、もうちょっと他のお父さんや弟くんにもいろいろやってもらったら? みんな愛梨の気持ちは分かってくれるでしょう?」
「うーん、確かにそうなんだけど、なんだろう……。お母さんがストライキしたのって、私に家事の辛さを味わって欲しいからだって思ってるんだよねぇ」
愛梨は自分なりに考えていた母親の気持ちを吐き出した。絵美は心外そうに「そうなのかな?」と首を傾げる。
「私が思うに、愛梨のお母さんは別に、愛梨に家事の大変さを思い知らせてやろう! っていう気持ちじゃない気がするんだけど……」
絵美の言葉は、愛梨にとっては衝撃的だった。
だって、美智子が家事をストライキしたのは、私たち家族に何かを訴えたいからで。その訴えたいことというのは、毎日の家事がいかに大変か、ということに他ならないと思っていた。それ以外に何か理由がある? 愛梨は、母親がストライキした別の理由など考えたこともなかった。
「じゃあさ、絵美はどう思う? なんでうちの母親はストライキなんてしたと思う?」
「うーん、それは……例えば、どうしても愛梨たちに家事を覚えて欲しい理由がある、とか」
「理由……」
そんな理由、本当にあるんだろうか。
と考えたところで、愛梨ははっとする。
「もしかしてお母さん、お父さんと離婚する気なんじゃ……!」
真っ先に思いついた答えを口にした。熟年離婚、というワードが頭の中をぐるぐる回転している。そうだ、離婚だ。思いついてしまえば、美智子と徹が最近楽しそうに語り合っていたのはいつだったか、と記憶を探ってしまう。
全然、覚えてない……。
だとすれば、美智子と徹はやっぱりもう、夫婦として完全に冷え切っているのではないか——。
「離婚、か。考えたくないけど、確かにもしそうなら愛梨のお母さんの真意が分かるかも。もしお父さんの方についていくなら、家事を覚えないといけないものね」
絵美が神妙に頷いてみせたところで、愛梨の頭の中はもう真っ白になっていた。
美智子と徹が本当に、離婚する!?
ありえない話ではない。むしろ、どうしてこれまで二人が仲良く喋っているシーンを見ていないことに気づかなかったんだろうって、後悔している。
「私、お母さんに本当のことを聞きたいっ。来週にはストライキも終わるらしいけど、でもなんかモヤモヤするのっ」
美智子に対してモヤモヤとしていた気持ちが、ここにきて爆発しそうになる。そうだ。今まで、突然の美智子のストライキに対処すべく、家事を覚えるのに必死だったが、そろそろ美智子の心中を知る時が来たのではないか。祐樹や徹は何も考えていないようだけど、責任感の強い美智子がストライキをした理由を、どうしても知りたい。こうなったらもう、先に徹の方に問い詰めるしかないのだろうか。美智子と徹が離婚するつもりなら、当事者である徹の口から真実を聞いてやるっ。
「どうしたの愛梨。何か、決意でもできた?」
「う、うん。私、お父さんに聞いてみるよ。お母さんと離婚するつもりなの? って」
「うわ、まじか。めちゃくちゃ直球だね。でもそれでスッキリするならそうした方がいいかも」
「でしょ? また結果は報告します」
これまで話を聞いてくれた絵美に頭を下げつつ、愛梨の頭の中はもう両親の熟年離婚のことでいっぱいになっていた。
やってしまった。
今日も一限目の途中から睡魔が襲って来て、気がつけば終業のベルが頭上から降っている。『マクロ経済学』の講義は確かに眠いけれど、以前は途中で居眠りしてしまうことはなかった。
美智子に代わって愛梨が家事を始めたのは二週間前のことだ。
朝ごはんやみんなのお弁当を作るためには、最低でも朝六時に起きなければならない。祐樹が六時半に起きて洗濯を回してくれるので多少助かってはいるものの、以前まで午前七時半頃起床していた愛梨にとって、かなり辛いことだった。
それならば夜寝る時間を早くすればいいのだが、夜の体内時計がすっかり定着してしまっているのか、早く寝ることができない。それに、なんて言ったって、愛梨は華の女子大生だ。大学終わりに友達と飲みに行くことも多い。そんな中、一人だけ早く家に帰って寝るというのは至難の業だった。
「家事ってこんなに大変なんだ……」
三限目、空きコマの時間に、同じく空きコマである友人の絵美につい愚痴をこぼす。絵美は、愛梨の母親が絶賛ストライキ中であることを知っていて、そんな愛梨に同情してくれる優しい友達だ。
「ね、大変だよねえ。分かるよ。私も、春から一人暮らし始めてあまりに何もできなくてびっくりしたもん」
絵美は大学進学に合わせて地方から上京してきたので、愛梨の嘆きに共感してくれる。状況は違えど、自分一人で家事をしなければならなくなってという点では通ずるところがあった。実は、美智子がストライキを始めてから家事を教えてくれたのは絵美だった。
「絵美の言うとおりにご飯作るんだけど、焦がしたり煮詰めすぎたりで、もうてんやわんや。お母さんを除いたら女性陣は私一人だから、お父さんや弟にも頼りにくいしさあ」
そう。一番の問題はそこだ。
愛梨はなんていったって、女だ。今の時代、女が家事をやらねばならないという考えは古臭いけれど、実際一番時間があるのは自分なのだ。祐樹はまだ高校生だし、徹は朝早くから夜遅くまで仕事をしているのでできることは少ない。となれば、自分が率先して頑張るしかないと、決意したのだけれど。
日々溜まっていく家事の疲れに、もうすでに辟易とさせられている……。
「確かに頼りにくいのは分かる。でも、もうちょっと他のお父さんや弟くんにもいろいろやってもらったら? みんな愛梨の気持ちは分かってくれるでしょう?」
「うーん、確かにそうなんだけど、なんだろう……。お母さんがストライキしたのって、私に家事の辛さを味わって欲しいからだって思ってるんだよねぇ」
愛梨は自分なりに考えていた母親の気持ちを吐き出した。絵美は心外そうに「そうなのかな?」と首を傾げる。
「私が思うに、愛梨のお母さんは別に、愛梨に家事の大変さを思い知らせてやろう! っていう気持ちじゃない気がするんだけど……」
絵美の言葉は、愛梨にとっては衝撃的だった。
だって、美智子が家事をストライキしたのは、私たち家族に何かを訴えたいからで。その訴えたいことというのは、毎日の家事がいかに大変か、ということに他ならないと思っていた。それ以外に何か理由がある? 愛梨は、母親がストライキした別の理由など考えたこともなかった。
「じゃあさ、絵美はどう思う? なんでうちの母親はストライキなんてしたと思う?」
「うーん、それは……例えば、どうしても愛梨たちに家事を覚えて欲しい理由がある、とか」
「理由……」
そんな理由、本当にあるんだろうか。
と考えたところで、愛梨ははっとする。
「もしかしてお母さん、お父さんと離婚する気なんじゃ……!」
真っ先に思いついた答えを口にした。熟年離婚、というワードが頭の中をぐるぐる回転している。そうだ、離婚だ。思いついてしまえば、美智子と徹が最近楽しそうに語り合っていたのはいつだったか、と記憶を探ってしまう。
全然、覚えてない……。
だとすれば、美智子と徹はやっぱりもう、夫婦として完全に冷え切っているのではないか——。
「離婚、か。考えたくないけど、確かにもしそうなら愛梨のお母さんの真意が分かるかも。もしお父さんの方についていくなら、家事を覚えないといけないものね」
絵美が神妙に頷いてみせたところで、愛梨の頭の中はもう真っ白になっていた。
美智子と徹が本当に、離婚する!?
ありえない話ではない。むしろ、どうしてこれまで二人が仲良く喋っているシーンを見ていないことに気づかなかったんだろうって、後悔している。
「私、お母さんに本当のことを聞きたいっ。来週にはストライキも終わるらしいけど、でもなんかモヤモヤするのっ」
美智子に対してモヤモヤとしていた気持ちが、ここにきて爆発しそうになる。そうだ。今まで、突然の美智子のストライキに対処すべく、家事を覚えるのに必死だったが、そろそろ美智子の心中を知る時が来たのではないか。祐樹や徹は何も考えていないようだけど、責任感の強い美智子がストライキをした理由を、どうしても知りたい。こうなったらもう、先に徹の方に問い詰めるしかないのだろうか。美智子と徹が離婚するつもりなら、当事者である徹の口から真実を聞いてやるっ。
「どうしたの愛梨。何か、決意でもできた?」
「う、うん。私、お父さんに聞いてみるよ。お母さんと離婚するつもりなの? って」
「うわ、まじか。めちゃくちゃ直球だね。でもそれでスッキリするならそうした方がいいかも」
「でしょ? また結果は報告します」
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