たとえ私がいなくても

葉方萌生

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ストライキの真相

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「みなさんお揃いで。どうしましたか?」

 本日三度目の部屋の扉が開かれて、ぬっと現れた美智子に、徹はもちろん、愛梨も祐樹もぎょえ! っとおかしな声を上げた。

「そんなに驚かなくてもいいじゃないの。家族なんだから」

「お、お母さん。どうして? 来週までストライキなのに自分から来るなんて……」

 突如現れたストライキ中の母親に対して疑念を拭いきれない愛梨が率直に聞いた。

「ああ、まあもういいかなと思って。ストライキ期間、一週間短縮します」

「短縮!?」

 まさかの短縮宣言に、その場に固まる徹たち。
 あれほど頑なにストライキを主張してきた美智子なのに、一体どうしたのだろう。徹たちには彼女の気持ちがまったく分からない。

「実はねえ、あなたたちに言わないといけないことがあるの」

 妙にかしこまった声で美智子がそう言うのを、徹はどこか他人事のようだと感じた。
 思えば、美智子とこうして面と向かって話をするのはいつぶりだろうか。子供たちも交えてではあるが、徹には今から美智子の口から紡ぎ出される話が、これからの花村家にとても重要なことだと分かった。

「ちょっとあっちで話そうか」

 大切な話をするのに、自分の部屋で立ち話をするのは忍びないと思い、徹は全員をリビングへと誘導した。美智子は先ほどから少し表情をこわばらせ、全身から緊張感を滲ませている。一体どんな話をするのか。徹もまったく聞いたことのない話だと分かり、一気に心臓が縮こまる。
 全員が食卓についたタイミングで、美智子は一人一人の顔を見回す。その目が何か覚悟を決めたように見えて、徹は息をのんだ。

「それじゃあ、話すわね。ちょっと驚くかもしれないけれど、いい?」

 三人がこっくりと頷く。その姿を見て、美智子は安心した様子で口を開いた。

「あのね、私、大腸がんで余命宣告されちゃったの」

「大腸がん?」

「余命宣告……?」

 愛梨と祐樹が異国の言葉を聞いたかのように、オウム返しした。
 徹にとっても、美智子の告白はまさに青天の霹靂で、驚きすぎて何も言葉が出てこない。

「そう。ちょっとびっくりするわよね。二ヶ月くらい前だったかしら。平日、みんなが学校と会社に行った後にね、部屋の掃除をしてたら倒れちゃって。病院に運ばれて検査を受けたら、大腸がんですって言われたの。でもまあ、今の時代二人に一人はがんになる時代だし。ああ、そうですか。治りますか? って聞いたの。そしたら、まさかのステージⅣですって返ってきて。思わず『ええ?』って叫んじゃったわ」

「ステージⅣって、末期じゃないか……!」

 ガタン、と椅子から立ち上がって徹は叫んだ。美智子が末期のがん? そんなはずはない。だって美智子はいつだって健康に、家事をしてくれて——。
 あれ、でも、自分はどうして美智子が健康だって言い切れるのだろう?
 徹はこれまでの美智子の生活を省みた。家族のために無償の愛で淡々と家事をこなす美智子は、自分の身体に不調が出たからと言って、仕事を放棄するような人ではなかった。そうか。美智子はずっと無理をして——。

「ええ、末期なの。それで今は緩和ケアをしましょうってことで、通院しながら家でゆっくり過ごすことにしたの。一ヶ月、家事をストライキするって言ったのは、みんなに自立してほしかったから。たとえ私がいなくても、みんなでこの家の仕事を分担して、普通に生きていけるように」

 淡白な口調の中に、美智子の並々ならぬ決意と切なる願いが込められていた。
 徹は、いまだに美智子が大腸がんで余命宣告までされてしまったという事実を受け入れることはできない。それは愛梨と祐樹も同じだろう。でも、美智子が徹たちを見つめる瞳はあまりにも強く、まっすぐすぎた。彼女の瞳に映る徹たち三人は、みんなして硬い顔をしていた。

「お母さん、その……本当なんだよね? もうすぐ、いなくなっちゃうかもしれない、こと」

 最初に素直な疑問をぶつけたのは愛梨だった。彼女はこの家で美智子を除けば唯一の女性ということになる。美智子の決意がどれほどのものなのか、徹以上に感じ取っているのかもしれない。

「ええ、そうね。残念だけど事実なの。もう手術をしてもどうにもならないって言われてるわ。愛梨、あなたはこれまで、一番に家事を覚えて頑張ってくれていたわね。お母さんは、そんな愛梨のことを頼もしいと思ったわよ」

「そんな……」

「ごめんね。でもお母さん、愛梨がお母さんの子供でいてくれて、本当に幸せなのよ」

 美智子の慈愛に満ちた声が愛梨を柔らかく包み込む。その証拠に、愛梨の両目にはぶわりと涙が溜まっていた。

「それから、祐樹も。本当は学校が終わったあと、友達と遊びたいところを早く帰ってきて、愛梨のお手伝いをしてたのよね。お母さん、祐樹がお姉ちゃんを助けるところを初めて見たから感動しちゃった」

「たったそれだけじゃねえか。俺はそんぐらいしかしてない……」

「ええ。それでも、立派なことよ。あなたは自信を持っていいわ」

 愛梨とおなじく、祐樹も溢れ出る涙を堪えることができずに、右腕で両目を押さえて男泣きを始める。二人の子供たちが、こんなにも素直に感情を露わにしているところを徹が見たのは、幼少期以来初めてのことだ。

「あなた」

 不意に美智子の視線が徹へとまっすぐに向けられる。予想はしていたことだったが、徹は正しい反応ができずに「ん」と口籠る。何が正しくて、何が正しくないのかという正解はさておき、美智子の言葉を受け止めるには相当の覚悟が必要だった。

「あなた、聞いて。私がいなくなったと、子供たちをお願いね。あなたは仕事熱心で、家事だって精一杯やってくれたことは知ってる。ずっと感謝していたわ。でも、これからはどうか子供たちと楽しい思い出も作ってちょうだい。二人とももうすぐ大人になるけど、まだまだ親の愛情は必要よ」

 美智子が目を細めて、幼子に言い聞かせるようにして言葉を紡いでいた。彼女の言葉の一つ一つが、徹の胸を締め上げる。徹は、「あ、う」と言葉にならない声をあげる。それが嗚咽だと気づいた時にはもう、美智子の切なげな表情がにゅるりと歪んで見えていた。

「俺……俺はっ……、母さんの気持ちを何も分かってなくて……。今回のストライキは、仕事ばかりで家のことを顧みない自分に対する怒りの現れなんじゃないかって誤解してたんだっ。病気のことも、気づいてやれなくて、一人で抱え込ませて、本当にごめん。辛かったし、苦しかったよな。母さん、俺は死ぬまで一生、子供たちを守っていくから」

 美智子の瞳が、豆鉄砲をくらったかのように大きく見開かれていく。
 その目から流れる涙が、全員の心を抉り、どうしようもないほど締め付けていた。

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