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第五話 潮風にのまれて
ついてこい
しおりを挟む「文化祭の実行委員になった」と母に伝えると、母は「ああそう」と気の抜けた返事をした。夢ではないかと疑いたくなるほどの薄い反応だ。成績がもっと下がるからやめなさいと怒られるのを覚悟していたのに。数日前に喧嘩をしてからというもの、母は魂が抜けたかのように私に対して無気力になっているようだ。
そんな母に今日も向き合うことができず、いつものように二階の部屋へと直行した。母はやっぱり、私などいなくなって欲しいと思っているのだろうか。真っ暗な画面に浮かぶ『あなたが消したいものを、入力してください』という白い文字がフラッシュバックする。母にも消失アプリが必要なのかもしれなかった。もしも母がアプリに私の名前を入力したら、今抱えている悩みごとすべて泡のように消えてしまうのだから、それはそれでいいのかもと馬鹿みたいに妄想した。
◆◇
翌日の土曜日、家に閉じこもるのにストレスを感じた私は一人出かけることにした。次のテストまで時間があるし、今の母なら「出かけるの? 勉強は?」などと聞いてこないだろうと思ったから。
「日和どこ行くの?」
「ちょっと気分転換。いいでしょ別に」
「そう」
案の定、玄関で靴を履く私を目にしても母は憔悴しきった表情で私を送り出すだけだった。いささか調子は狂うものの、ガミガミ言われるよりはマシだ。
玄関の扉を開けると、新鮮な空気が肺に流れ込んできた。天気は清々しいほどの晴れ。もう十月なのに歩き続けていると汗ばみそうなほどの気温だった。ベージュの短パンに茶色のニットカーディガンを着て、ワインレッドのブーツを履いた。昼過ぎにはかなり暑くなりそうだなぁと感じたが、お洒落をして出かけるのなんて久しぶりだったので後悔はしていない。
さて。
気分転換をしようと家を出てみたものの、実のところどこへ行こうかという計画がなかった。街へ出てカフェや雑貨屋を見て回ろうかと一瞬考えたが、それだと誰かと一緒の方が楽しそうなのでやめた。私はまだ一人で映画館にも行けない子供なのだ。憧れはするのに、なかなか飛び立つことのできないヒナも同然だ。
「どこ行こう」
玄関の前で考え込んでいたところ、道端を一匹の猫が通り過ぎた。灰色の毛並みの揃った美人な猫だった。どこかで見たことがあると思ったが、ああ、とすぐ納得する。あれは柚乃の家が飼っていた猫だ。もしかしたら人違い——いや猫違いかもしれないけれど、その猫がなんとなく私を呼んでいるような気がした。
みー、としなやかに尾を振る猫が家を出てすぐ左の方向へと歩き出した。まるで、「ついてこい」とでも言われているようで、反射的に私は左に足を踏み出した。
どこに行くのだろう、と単純に知りたい気持ちがあった。彼に私を連れて行こうなんて意思がないことは分かっているが、進むべき道を決めかねている私には一筋の光に見えていた。
猫は、時々後ろを振り返りながら子分がちゃんとついてきているか確かめているようだった。私、今この子に従っているのか、と思うと思わず吹き出しそうになる。何をしているんだろう。でもなぜだか心は軽い。
しばらく住宅地の合間を真っ直ぐに歩いていたのだが、車通りのある大きめの道まで出ると、彼はそこで左に曲がった。私がいつも学校に行くのに利用しているバス停と反対方向に進むバス停の前で、彼は塀にひょいと上り消えていった。
「待って」
慌てて追いかけようとしたけれど、塀の向こうの住宅の中に降りてしまったのでそれ以上はついていくことができなかった。もしかしたらこの家の子なのかもしれない。あれだけ毛並みが綺麗なのだから、飼い主がいると考えるのが自然だろう。
思わぬところで先導者を失ってしまった私は、さてどうしたものかと周りを見回す。家からはそこまで離れていないので戻ることもできるが、戻ったところで行く当てはない。
「このバスって……」
ふと目の前のバス停に止まる予定のバスの停車駅案内が目に留まる。あまり利用しないバスだが、とある地名が気になったのだ。そこは「浜港」という終点の駅で、穂花や神林が住んでいる地域だった。その名の通り海に面した街で、美味しい海鮮料理を食べに何度か訪れたことがある。しかしそれ以外では行ったことがないため、実際どんな地域なのかあまり知らない。
なんとなく、ここへ行ってみようという気になりバスを待つことにした。二人の故郷を見てみたいという純粋な好奇心からだった。
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