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第三話 きみの瞳に映らない
きみだけ見えない
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二人が見えなくなると、綾人くんの息遣いが荒くなっていることに気づく。
「綾人くん、大丈夫?」
私は彼を芝生の上に座らせて、一生懸命背中をさする。過呼吸のように浅い息を吸い続ける綾人くんの目に、涙が浮かんでいるのが見えた。
「ご、ごめんっ。俺、こんなとこ見せるつもりじゃ……」
「そんなこと気にしないで。とにかく息を吐いて」
息を吸いたければ、まずは吐くのが先決だって、何かの本で読んだのを思い出してそう伝える。綾人くんは私の指示に従って、大きく息を吐いた。すると、自然と息が吸えるようになり、先ほどよりも呼吸が落ち着いた。
「……ありがとう、鈴ちゃん。少し楽になった」
「ううん。良かった……」
苦しみから解放された彼の姿を見て、ほっと一息つく。でも本当は、彼の胸に刺さった棘が抜けていないことを知っていた。
「さっきの人たち、もしかして綾人くんの同級生?」
「……ああ。高一の時に同じクラスだったやつら。急に見苦しいところ見せて、本当にごめん」
「謝ることじゃないよ。なんか、すごく嫌な言い方だったね」
元クラスメイトの二人が、綾人くんに向けていた疑いの目を思い出す。私を目にしたとたん、鋭い刃のようなまなざしを向けた。
「あいつら、昔からああいうとこあるから。でも、いきなりすぎて俺も動揺しちまった」
綾人くんはまだ興奮がおさまらない様子で、頭を抑えて痛みを堪えているようだった。私は再び彼の背中をさする。ここに、私の知らない彼がいる気がして、どうしても心のざわめきが止まらない。会場では、帰りの混雑を緩和させようと、電車の発車時刻を知らせるアナウンスが流れた。
「ねえ、綾人くん。さっきあの人たちが言ってた花蓮って人は誰……?」
本当は、聞いてはいけなかったのかもしれない。
でも私は今、綾人くんの彼女だ。彼がここまで心を取り乱す要因となった人物のことを、どうしても知りたかった。
綾人くんは私の質問に瞳を揺らし、じっとこちらを見つめた。話すか話さないか、一瞬迷っているようにも見えた。しばしの沈黙の後、彼はゆっくりと口を開いた。
「花蓮は、俺の元カノ。中二から高二の春まで付き合ってた」
「……そっか」
なんとなく予想していた答えだった。でも、一年前に別れた恋人のことを、どうしてあの二人はいまだに話題に出したのだろうか。
そんな私の疑問に答えるように、彼はもう一度大きく息を吸った。
「死んだんだ。高二の春に」
「……え?」
頭に鋭い衝撃が走り、彼の口から出てきた言葉を細かく噛み砕こうと必死に思考を巡らせる。
恋人が死んだ。
彼の口から確かに紡ぎ出された事実は、私を深い底なしの海に沈めていくようだった。
「死んだって……本当に?」
分かっている。彼は、そんなタチの悪い冗談を言うような人間ではないということ。でも、私の心が願うのだ。どうか嘘であってほしいって。
「……ああ。北海道に修学旅行に行ってる最中に、事故で」
絶望の滲む声で綾人くんは呟く。
いつもいつも、私が見てきた綾人くんは明るくて、誰に対しても朗らかに笑っている、太陽みたいな男の子だった。
だけど、今眉間に皺を寄せて辛そうに表情を曇らせる彼は、私の知っているどの綾人くんとも違っていた。彼の心の奥底に潜んでいた深淵を、今この瞬間に垣間見ている。
「そんな……」
気の利いた言葉は何ひとつ出てこない。
彼にとって、花蓮さんが亡くなったことが、いまだに胸に重くのしかかっていることは聞かなくても分かる。私の前で笑顔を絶やさなかった綾人くん。だけど彼は、本当はずっと寂しかったんだろうか。私を通して、花蓮さんを見ていたんだろうか。
私は、花蓮さんという亡くなった彼の元恋人の、代わりだったんだろうか。
違う、と分かってはいても、心が考えることをやめない。
綾人くんはそんな人じゃない。綾人くんは、私を誰かの代わりにしようだなんて思ってない。
分かっているはずなのに、私は泣いた。
この涙は、花蓮さんを亡くして辛い思いをした彼に対する同情の涙じゃない。
きっと、私は花蓮さんには敵わないんだって思い知らされて、悔しくて溢れ出る涙。
私は彼が苦しんでいる時でさえ、本当に自己中だ……。
「鈴ちゃん……」
綾人くんが、両手で顔面を覆う私を慰めるように呼びかける。私はぐしゃぐしゃになった顔を彼に見られたくなくて、両手を外すことができない。
「鈴ちゃん」
悲しいのは、辛いのは綾人くんのはずなのに、私はどこまでも傲慢で。
「鈴ちゃん、俺……」
彼が私を呼んでいるのは、もしかしたら私を手放す決心がついたんじゃないかって、怖くて。
全身が震えるほど臆病になっている私は、彼の隣にいる資格はないんじゃないかって、思って——。
「どうしよう鈴ちゃん。俺、鈴ちゃんのことが……見えない」
彼の口から放たれた一言に、私は耳を疑った。
「見えないって、どういうこと……?」
予想外の言葉に、私は両手を顔から外して綾人くんの方を見る。彼の瞳は驚愕に震えていて、私がじっと見つめても焦点が合っていない。
「見えないんだ。鈴ちゃんの声も、気配も感じられるのに、鈴ちゃんがいない。俺、どうしてこんなこと——」
わなわなと震えが止まらない綾人くんを、私は咄嗟にぎゅっと抱きしめる。
「落ち着いて綾人くん! 私はここにいるよっ。なんで見えないの?」
「分からない……分からないんだ。他のみんなのことは見えるのに、鈴ちゃんだけがいないなんてっ……」
「綾人くん……」
彼の身に何が起こっているのか、到底理解することができなかった。特定の誰かのことが見えなくなる? そんなバカな。私のように、視界が狭くなる病気とは訳が違う。
「俺、鈴ちゃんだけが、見えない」
絶望に満ちた彼の声が、私の全身を震わせる。
分からない。何も分からない。
横道を流れていく人波をぼんやりと眺めながら、取り乱す彼を必死に押さえつける。不完全な視界の中で、私も彼も、完全に光を失っていくようだった。
「綾人くん、大丈夫?」
私は彼を芝生の上に座らせて、一生懸命背中をさする。過呼吸のように浅い息を吸い続ける綾人くんの目に、涙が浮かんでいるのが見えた。
「ご、ごめんっ。俺、こんなとこ見せるつもりじゃ……」
「そんなこと気にしないで。とにかく息を吐いて」
息を吸いたければ、まずは吐くのが先決だって、何かの本で読んだのを思い出してそう伝える。綾人くんは私の指示に従って、大きく息を吐いた。すると、自然と息が吸えるようになり、先ほどよりも呼吸が落ち着いた。
「……ありがとう、鈴ちゃん。少し楽になった」
「ううん。良かった……」
苦しみから解放された彼の姿を見て、ほっと一息つく。でも本当は、彼の胸に刺さった棘が抜けていないことを知っていた。
「さっきの人たち、もしかして綾人くんの同級生?」
「……ああ。高一の時に同じクラスだったやつら。急に見苦しいところ見せて、本当にごめん」
「謝ることじゃないよ。なんか、すごく嫌な言い方だったね」
元クラスメイトの二人が、綾人くんに向けていた疑いの目を思い出す。私を目にしたとたん、鋭い刃のようなまなざしを向けた。
「あいつら、昔からああいうとこあるから。でも、いきなりすぎて俺も動揺しちまった」
綾人くんはまだ興奮がおさまらない様子で、頭を抑えて痛みを堪えているようだった。私は再び彼の背中をさする。ここに、私の知らない彼がいる気がして、どうしても心のざわめきが止まらない。会場では、帰りの混雑を緩和させようと、電車の発車時刻を知らせるアナウンスが流れた。
「ねえ、綾人くん。さっきあの人たちが言ってた花蓮って人は誰……?」
本当は、聞いてはいけなかったのかもしれない。
でも私は今、綾人くんの彼女だ。彼がここまで心を取り乱す要因となった人物のことを、どうしても知りたかった。
綾人くんは私の質問に瞳を揺らし、じっとこちらを見つめた。話すか話さないか、一瞬迷っているようにも見えた。しばしの沈黙の後、彼はゆっくりと口を開いた。
「花蓮は、俺の元カノ。中二から高二の春まで付き合ってた」
「……そっか」
なんとなく予想していた答えだった。でも、一年前に別れた恋人のことを、どうしてあの二人はいまだに話題に出したのだろうか。
そんな私の疑問に答えるように、彼はもう一度大きく息を吸った。
「死んだんだ。高二の春に」
「……え?」
頭に鋭い衝撃が走り、彼の口から出てきた言葉を細かく噛み砕こうと必死に思考を巡らせる。
恋人が死んだ。
彼の口から確かに紡ぎ出された事実は、私を深い底なしの海に沈めていくようだった。
「死んだって……本当に?」
分かっている。彼は、そんなタチの悪い冗談を言うような人間ではないということ。でも、私の心が願うのだ。どうか嘘であってほしいって。
「……ああ。北海道に修学旅行に行ってる最中に、事故で」
絶望の滲む声で綾人くんは呟く。
いつもいつも、私が見てきた綾人くんは明るくて、誰に対しても朗らかに笑っている、太陽みたいな男の子だった。
だけど、今眉間に皺を寄せて辛そうに表情を曇らせる彼は、私の知っているどの綾人くんとも違っていた。彼の心の奥底に潜んでいた深淵を、今この瞬間に垣間見ている。
「そんな……」
気の利いた言葉は何ひとつ出てこない。
彼にとって、花蓮さんが亡くなったことが、いまだに胸に重くのしかかっていることは聞かなくても分かる。私の前で笑顔を絶やさなかった綾人くん。だけど彼は、本当はずっと寂しかったんだろうか。私を通して、花蓮さんを見ていたんだろうか。
私は、花蓮さんという亡くなった彼の元恋人の、代わりだったんだろうか。
違う、と分かってはいても、心が考えることをやめない。
綾人くんはそんな人じゃない。綾人くんは、私を誰かの代わりにしようだなんて思ってない。
分かっているはずなのに、私は泣いた。
この涙は、花蓮さんを亡くして辛い思いをした彼に対する同情の涙じゃない。
きっと、私は花蓮さんには敵わないんだって思い知らされて、悔しくて溢れ出る涙。
私は彼が苦しんでいる時でさえ、本当に自己中だ……。
「鈴ちゃん……」
綾人くんが、両手で顔面を覆う私を慰めるように呼びかける。私はぐしゃぐしゃになった顔を彼に見られたくなくて、両手を外すことができない。
「鈴ちゃん」
悲しいのは、辛いのは綾人くんのはずなのに、私はどこまでも傲慢で。
「鈴ちゃん、俺……」
彼が私を呼んでいるのは、もしかしたら私を手放す決心がついたんじゃないかって、怖くて。
全身が震えるほど臆病になっている私は、彼の隣にいる資格はないんじゃないかって、思って——。
「どうしよう鈴ちゃん。俺、鈴ちゃんのことが……見えない」
彼の口から放たれた一言に、私は耳を疑った。
「見えないって、どういうこと……?」
予想外の言葉に、私は両手を顔から外して綾人くんの方を見る。彼の瞳は驚愕に震えていて、私がじっと見つめても焦点が合っていない。
「見えないんだ。鈴ちゃんの声も、気配も感じられるのに、鈴ちゃんがいない。俺、どうしてこんなこと——」
わなわなと震えが止まらない綾人くんを、私は咄嗟にぎゅっと抱きしめる。
「落ち着いて綾人くん! 私はここにいるよっ。なんで見えないの?」
「分からない……分からないんだ。他のみんなのことは見えるのに、鈴ちゃんだけがいないなんてっ……」
「綾人くん……」
彼の身に何が起こっているのか、到底理解することができなかった。特定の誰かのことが見えなくなる? そんなバカな。私のように、視界が狭くなる病気とは訳が違う。
「俺、鈴ちゃんだけが、見えない」
絶望に満ちた彼の声が、私の全身を震わせる。
分からない。何も分からない。
横道を流れていく人波をぼんやりと眺めながら、取り乱す彼を必死に押さえつける。不完全な視界の中で、私も彼も、完全に光を失っていくようだった。
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