選ばれなくてよかったと、今は思います

たくわん

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エドワードがセシルを呼んだのは、金曜日の夕方だった。

その日は書類の確認があるとだけ伝えられていたが、長官室に入ると机の上の書類は端に寄せられていた。

「座れ」

いつもと同じ声だった。
でも、いつもと少し違う間があった。

セシルは椅子を引いた。
エドワードは立ったまま、窓の外を見ていた。

「話がある」

「はい」

「仕事の話ではない」

セシルは手元のメモを閉じた。

エドワードが振り返った。
眼鏡の奥の目が、こちらをまっすぐ見ていた。

「八年前の婚約解消について、詳しく話していなかった」

「……雪の夜に、少し聞きました」

「あの時は言いきれなかった」

エドワードは机の前に来て、椅子を引いたが座らなかった。
背もたれに手を置いたまま、立っていた。

「相手のことは、好きだった。今でもそう思っている。ただ……何をどう伝えればいいかが、最後までわからなかった」

セシルは黙って聞いた。

「仕事のことは言葉にできる。論理があるから。だが感情は、言語化する手順がわからない。何を言えばいいのか、どの順番で言えばいいのか」

「……それで、伝えられなかった」

「伝えようとした時には、相手はもう別の縁談を受けていた。自分が動けないでいる間に、時間が動いた」

エドワードは背もたれから手を離して、窓の方に顔を向けた。

「それ以来、感情を持て余すことを避けてきた。仕事をしていれば、少なくとも何かを成し遂げることができる。人を動かすより、書類を動かす方が得意だった」

夜の窓に、街の灯りが映っていた。

「だから」

エドワードが、また振り返った。

「だから、と続けようとして……うまく言葉が出てこない」

珍しかった。
エドワードが言葉に詰まるところを、セシルは初めて見た。

眼鏡の奥の目が、どこか遠くを見ているような、それでいて確かにこちらを見ているような、不思議な表情をしていた。

セシルは静かに言った。

「続きを、聞いていいですか」

エドワードが一度、目を閉じた。

「……今また、同じ状態になっている。感情はある。言語化できていない。八年前と構造は同じだ」

「同じ、ですか」

「ただ一点だけ違う。今回は、同じ失敗をしないと決めている」

セシルの心臓が、静かに速くなった。

エドワードは眼鏡を外して、手の中で持った。
それから、少し困ったような顔をした。

「だから、今夜ここで話している。言葉がうまく出なくても、話さないよりはいいと判断した」

「……はい」

「続きは、次に言う。今夜はここまでが限界だ」

正直だった。
誤魔化しがなかった。

セシルはしばらく黙ってから、ゆっくりと立ち上がった。

「わかりました。待っています」

エドワードが顔を上げた。
セシルは頭を下げて、扉に向かった。

廊下に出た瞬間、壁に手をついた。

心臓がうるさかった。
耳が熱かった。

でも、足はちゃんと地面についていた。

廊下の窓に、冬の夜が広がっていた。
星が、いくつか出ていた。
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