28 / 30
28
しおりを挟む
エドワードがセシルを呼んだのは、金曜日の夕方だった。
その日は書類の確認があるとだけ伝えられていたが、長官室に入ると机の上の書類は端に寄せられていた。
「座れ」
いつもと同じ声だった。
でも、いつもと少し違う間があった。
セシルは椅子を引いた。
エドワードは立ったまま、窓の外を見ていた。
「話がある」
「はい」
「仕事の話ではない」
セシルは手元のメモを閉じた。
エドワードが振り返った。
眼鏡の奥の目が、こちらをまっすぐ見ていた。
「八年前の婚約解消について、詳しく話していなかった」
「……雪の夜に、少し聞きました」
「あの時は言いきれなかった」
エドワードは机の前に来て、椅子を引いたが座らなかった。
背もたれに手を置いたまま、立っていた。
「相手のことは、好きだった。今でもそう思っている。ただ……何をどう伝えればいいかが、最後までわからなかった」
セシルは黙って聞いた。
「仕事のことは言葉にできる。論理があるから。だが感情は、言語化する手順がわからない。何を言えばいいのか、どの順番で言えばいいのか」
「……それで、伝えられなかった」
「伝えようとした時には、相手はもう別の縁談を受けていた。自分が動けないでいる間に、時間が動いた」
エドワードは背もたれから手を離して、窓の方に顔を向けた。
「それ以来、感情を持て余すことを避けてきた。仕事をしていれば、少なくとも何かを成し遂げることができる。人を動かすより、書類を動かす方が得意だった」
夜の窓に、街の灯りが映っていた。
「だから」
エドワードが、また振り返った。
「だから、と続けようとして……うまく言葉が出てこない」
珍しかった。
エドワードが言葉に詰まるところを、セシルは初めて見た。
眼鏡の奥の目が、どこか遠くを見ているような、それでいて確かにこちらを見ているような、不思議な表情をしていた。
セシルは静かに言った。
「続きを、聞いていいですか」
エドワードが一度、目を閉じた。
「……今また、同じ状態になっている。感情はある。言語化できていない。八年前と構造は同じだ」
「同じ、ですか」
「ただ一点だけ違う。今回は、同じ失敗をしないと決めている」
セシルの心臓が、静かに速くなった。
エドワードは眼鏡を外して、手の中で持った。
それから、少し困ったような顔をした。
「だから、今夜ここで話している。言葉がうまく出なくても、話さないよりはいいと判断した」
「……はい」
「続きは、次に言う。今夜はここまでが限界だ」
正直だった。
誤魔化しがなかった。
セシルはしばらく黙ってから、ゆっくりと立ち上がった。
「わかりました。待っています」
エドワードが顔を上げた。
セシルは頭を下げて、扉に向かった。
廊下に出た瞬間、壁に手をついた。
心臓がうるさかった。
耳が熱かった。
でも、足はちゃんと地面についていた。
廊下の窓に、冬の夜が広がっていた。
星が、いくつか出ていた。
その日は書類の確認があるとだけ伝えられていたが、長官室に入ると机の上の書類は端に寄せられていた。
「座れ」
いつもと同じ声だった。
でも、いつもと少し違う間があった。
セシルは椅子を引いた。
エドワードは立ったまま、窓の外を見ていた。
「話がある」
「はい」
「仕事の話ではない」
セシルは手元のメモを閉じた。
エドワードが振り返った。
眼鏡の奥の目が、こちらをまっすぐ見ていた。
「八年前の婚約解消について、詳しく話していなかった」
「……雪の夜に、少し聞きました」
「あの時は言いきれなかった」
エドワードは机の前に来て、椅子を引いたが座らなかった。
背もたれに手を置いたまま、立っていた。
「相手のことは、好きだった。今でもそう思っている。ただ……何をどう伝えればいいかが、最後までわからなかった」
セシルは黙って聞いた。
「仕事のことは言葉にできる。論理があるから。だが感情は、言語化する手順がわからない。何を言えばいいのか、どの順番で言えばいいのか」
「……それで、伝えられなかった」
「伝えようとした時には、相手はもう別の縁談を受けていた。自分が動けないでいる間に、時間が動いた」
エドワードは背もたれから手を離して、窓の方に顔を向けた。
「それ以来、感情を持て余すことを避けてきた。仕事をしていれば、少なくとも何かを成し遂げることができる。人を動かすより、書類を動かす方が得意だった」
夜の窓に、街の灯りが映っていた。
「だから」
エドワードが、また振り返った。
「だから、と続けようとして……うまく言葉が出てこない」
珍しかった。
エドワードが言葉に詰まるところを、セシルは初めて見た。
眼鏡の奥の目が、どこか遠くを見ているような、それでいて確かにこちらを見ているような、不思議な表情をしていた。
セシルは静かに言った。
「続きを、聞いていいですか」
エドワードが一度、目を閉じた。
「……今また、同じ状態になっている。感情はある。言語化できていない。八年前と構造は同じだ」
「同じ、ですか」
「ただ一点だけ違う。今回は、同じ失敗をしないと決めている」
セシルの心臓が、静かに速くなった。
エドワードは眼鏡を外して、手の中で持った。
それから、少し困ったような顔をした。
「だから、今夜ここで話している。言葉がうまく出なくても、話さないよりはいいと判断した」
「……はい」
「続きは、次に言う。今夜はここまでが限界だ」
正直だった。
誤魔化しがなかった。
セシルはしばらく黙ってから、ゆっくりと立ち上がった。
「わかりました。待っています」
エドワードが顔を上げた。
セシルは頭を下げて、扉に向かった。
廊下に出た瞬間、壁に手をついた。
心臓がうるさかった。
耳が熱かった。
でも、足はちゃんと地面についていた。
廊下の窓に、冬の夜が広がっていた。
星が、いくつか出ていた。
11
あなたにおすすめの小説
侯爵家の婚約者に手を出す意味、わかってます?
碧井 汐桜香
恋愛
侯爵令嬢ジョセリアは地味な外見をしている少女だ。いつも婚約者のアランとその取り巻きの少女たちに罵倒されている。
しかし、今日はアランの取り巻きは一人しかおらず、いつも無視を決め込んでいたジョセリアが口を開いた。
「貧相な小娘」と罵った第一王子へ。番(つがい)は貴方ではなく、国王陛下(お父様)でした
しえろ あい
恋愛
「お父様、わたくし、あの方と目が合った瞬間、分かってしまったのです」
十六歳のデビュタントの夜、ルーセント侯爵令嬢フェリシアを待っていたのは、残酷な罵倒だった。第一王子カシウスは、可憐な白いドレスを纏った彼女を「貧相な小娘」と呼び、己の番(つがい)であることを真っ向から否定する。
会場に響く冷笑と、愛用の刺繍に込めた自信さえ打ち砕くような屈辱。しかし、絶望の淵に立たされた彼女を見つめていたのは、王子ではなく、圧倒的な威厳を放つ「ある男」だった。
魂を焦がすような熱い視線が重なり、静まり返る謁見の間。この出会いが、王室を揺るがす大事件の幕開けになるとは、まだ誰も知らない。自身の価値を否定された少女が、真実の愛によって世界で最も幸福な王妃へと駆け上がる、逆転溺愛ストーリー。
※小説家になろう様にも投稿しています※
ちゃんと忠告をしましたよ?
柚木ゆず
ファンタジー
ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私フィーナは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢アゼット様に呼び出されました。
「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」
アゼット様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は最愛の方に護っていただいているので、貴方様に悪意があると気付けるのですよ。
アゼット様。まだ間に合います。
今なら、引き返せますよ?
※現在体調の影響により、感想欄を一時的に閉じさせていただいております。
邪魔者な私なもので
あんど もあ
ファンタジー
婚約者のウィレル様が、私の妹を食事に誘ったと報告をしてきました。なんて親切な方なのでしょう。でも、シェフが家にいるのになぜレストランに行くのですか?
天然な人の良いお嬢さまが、意図せずざまぁをする話。
「『お前に書く手紙などない』と言った婚約者へ、私は7年間手紙を書き続けた——ただし、届け先は別の人でした」
歩人
ファンタジー
辺境伯令嬢リゼットは、婚約者に7年間手紙を書き続けた。返事は一度もなかった。
「お前に書く手紙などない。顔も覚えていない」——婚約破棄。しかしリゼットは
泣かなかった。手紙の本当の届け先は、最初から別にあったから。前世の情報分析
能力で辺境の異変を読み解き、暗号として織り込んだ7年分の手紙。それを受け取り
続けていたのは第一王子。リゼットは誰にも知られず、王国を守っていた。
婚約破棄の翌朝、王子からの手紙が届く。「7年間、ありがとう。迎えに行く」
人生の全てを捨てた王太子妃
八つ刻
恋愛
突然王太子妃になれと告げられてから三年あまりが過ぎた。
傍目からは“幸せな王太子妃”に見える私。
だけど本当は・・・
受け入れているけど、受け入れられない王太子妃と彼女を取り巻く人々の話。
※※※幸せな話とは言い難いです※※※
タグをよく見て読んでください。ハッピーエンドが好みの方(一方通行の愛が駄目な方も)はブラウザバックをお勧めします。
※本編六話+番外編六話の全十二話。
※番外編の王太子視点はヤンデレ注意報が発令されています。
不器量令嬢は、婚約破棄の断罪が面倒くさい
あんど もあ
ファンタジー
不器量なマルグリットは、婚約者の美しい第一王子からずっと容姿を貶められる日々。とうとう王立学園の卒業パーティーで王子に婚約破棄を宣言され、「王子から解放される! それいいかも!」となったが、続く断罪が面倒くさくて他の人に丸投げする事にする。
公爵令嬢アナスタシアの華麗なる鉄槌
招杜羅147
ファンタジー
「婚約は破棄だ!」
毒殺容疑の冤罪で、婚約者の手によって投獄された公爵令嬢・アナスタシア。
彼女は獄中死し、それによって3年前に巻き戻る。
そして…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる