婚約破棄されたので田舎で猫と暮らします

たくわん

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王都を発って二日、セレスティアは馬車の窓から景色を眺めていた。

都会の街並みが消え、緑の丘陵が広がっていく。見覚えのある風景が近づくにつれ、胸の鼓動が速くなる。

帰ってきた。

グリーンヒル村が見えた時、セレスティアは思わず立ち上がりそうになった。

あの小さな村。あの丘の上の屋敷。そして——ノアの家。

全てが、懐かしかった。


馬車が村の入り口に着くと、見覚えのある顔が待っていた。

「おかえり、セレスティア!」

マーサが手を振っている。隣にはリーナの姿もあった。

「マーサさん、リーナ!」

馬車から降りると、マーサが駆け寄ってきた。

「待ってたよ。手紙で今日戻るって書いてあったから」

「ありがとうございます。皆さん、お元気でしたか」

「元気さ。でも、猫たちが寂しがってたよ」

「猫たちが?」

「ああ。あんたの屋敷の猫たち、毎日玄関の前で待ってたんだ。ノア先生が世話してくれてたけど、やっぱりあんたじゃないと駄目みたいでね」

セレスティアの胸が温かくなった。

猫たちが、待っていてくれた。

「ノアさんは……」

「先生なら、今日は往診に出てるよ。夕方には戻るはずさ」

「そうですか……」

少し残念だったが、まずは屋敷に戻ろう。猫たちが待っている。


屋敷に着くと、庭から猫たちが駆け寄ってきた。

シマ、クロ、ブチ、ユキ——四匹が競うようにセレスティアの足元に集まる。

「ただいま、みんな」

しゃがんで猫たちを撫でると、皆が喉を鳴らした。

「寂しかった? ごめんね、長くかかって」

ふと、一匹足りないことに気づいた。

ミケがいない。

「ミケ……?」

辺りを見回すと、庭の隅にミケが座っていた。

いつもの警戒した様子ではない。じっと、セレスティアを見つめている。

「ミケ、ただいま」

セレスティアはゆっくりとミケに近づいた。

逃げられるかもしれない。でも、試してみたかった。

一歩、また一歩。

ミケは動かない。

セレスティアがすぐ近くまで来ても、逃げなかった。

そっと手を伸ばす。

ミケの頭に、指先が触れた。

ミケは目を閉じた。

逃げない。引っ掻かない。ただ、静かにセレスティアの手を受け入れている。

「ミケ……」

涙が溢れた。

あれほど人間を怖がっていたミケが、初めて心を開いてくれた。

「ありがとう、ミケ。信じてくれて」

ミケが小さく鳴いた。

まるで「おかえり」と言っているようだった。


夕方、ノアが戻ってきた。

セレスティアが庭で猫たちと過ごしていると、隣の家から人影が現れた。

「戻ったのか」

ノアの声だった。

振り返ると、ノアが立っていた。相変わらず無愛想な顔。でも、その目には——安堵の色があった。

「ただいま帰りました」

「……おかえり」

ノアがそう言ったのは、初めてだった。

「猫たちは、ちゃんと世話してたぞ。イチ、ニ、サンも元気だ」

「ありがとうございます」

「礼はいい。それより——」

ノアは言葉を切った。

「王都は、どうだった」

「お話ししたいことが、たくさんあります」

「そうか」

「今夜、時間はありますか」

「……ある」

ノアは頷いた。

「夜、来い。茶を淹れておく」


日が沈み、月が昇った。

セレスティアは、ノアの家を訪ねた。

玄関を開けると、温かいお茶の香りがした。ノアはリビングで待っていた。膝の上には、いつものように猫がいる。

「座れ」

促されるままに座り、セレスティアは王都での出来事を話し始めた。

父との対話。母との衝突。妹の応援。ルートヴィヒとの出会い。そして——家族が認めてくれたこと。

ノアは黙って聞いていた。

「それで、縁談は断ったのか」

「はい。ルートヴィヒ様が、自分から辞退してくださいました」

「そうか」

「両親は、私がここに残ることを認めてくれました。ただし、条件があって——」

「条件?」

「ノアさんに会いたいと」

ノアの眉がぴくりと動いた。

「俺に?」

「はい。私を任せられる人かどうか、確かめたいそうです」

「……任せられる人?」

ノアの声が、わずかに震えた。

「つまり、お前は——」

「私」

セレスティアは深呼吸をした。

言わなければ。今夜、言わなければ。

「私は、ノアさんのことが好きです」


沈黙が流れた。

長い、長い沈黙。

セレスティアは顔が熱くなるのを感じた。言ってしまった。もう取り消せない。

「……馬鹿か」

ノアがぽつりと言った。

「え……」

「俺みたいな男を好きになるなんて、馬鹿だ」

その言葉に、セレスティアの心臓が痛んだ。

拒絶される。そう思った。

「俺は人間嫌いだ。愛想も悪い。過去には汚名を着せられて、医師免許も剥奪された。お前みたいな令嬢には、釣り合わない」

「そんなこと——」

「聞け」

ノアがセレスティアを見た。

その目は、いつもと違っていた。揺れている。迷っている。

「俺は、お前のことを——」

言葉が途切れた。

ノアは立ち上がり、窓辺に行った。背を向けたまま、続けた。

「お前がここに来た時、正直、迷惑だと思った。都会の令嬢が、何しに来たんだと」

「……」

「でも、お前は変わっていた。猫の世話を真剣にして、村の人と打ち解けて、俺の話も聞いてくれた」

「……」

「いつの間にか、お前がいることが——当たり前になっていた。お前が王都に行っている間、何度も、お前のことを考えた」

セレスティアの心臓が、激しく鳴った。

「俺は、人を信じるのが怖い。また裏切られるのが怖い。だから、お前に近づくのを避けていた」

ノアが振り返った。

「でも——」

「でも?」

「お前がいない日々は、思った以上に——辛かった」

セレスティアの目から、涙がこぼれた。

「ノアさん……」

「俺は不器用だ。上手く言えない。でも——」

ノアがゆっくりと近づいてきた。

「お前が必要だ。お前がいないと、駄目なんだ」

セレスティアは立ち上がった。

二人の距離が、縮まっていく。

「それは——私も同じです」

「セレスティア」

「ノアさん」

ノアの手が、セレスティアの頬に触れた。

ぎこちない、不器用な動作。でも、その手は温かかった。

「俺と一緒にいてくれるか」

「はい」

涙を流しながら、セレスティアは頷いた。

「ずっと、一緒にいます」


月明かりが、二人を照らしていた。

窓の外では、猫たちが静かに眠っている。

長い夜が、ゆっくりと更けていった。
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