幻想世界のセラピスト ~言の音の呪いと聖賢の乙女~

鈴片ひかり

文字の大きさ
1 / 40
サマリー1 音無光平

濡れ衣

しおりを挟む
 「あの先生、児童ポルノ持ってるらしいよ」

保育士やリハビリテーションに従事する男性に限らず、これほどまでに人格を否定し社会的に抹殺する濡れ衣は存在しないだろう。

しかも相手に悪意があれば尚の事、その者が積み上げてきた経験や知識、さらには資格取得までに費やした苦労と養成校への学費などが一瞬で吹き飛んでしまう。

 男性社会だと言われてはいるが、こういう方面において被害にあった男性の未来は痴漢冤罪と並んで救済の道が用意されるべきだろう。

 無論、無実であった場合のみであることは言うまでもない。
 そして、この無実の醜聞で職を追われた悲壮感漂う男こそ、
この物語の主人公 音無光平(おとなしこうへい)である。

 35歳まで非常勤や産休代替えを転々としながら、常勤職の餌をぶらさげられては理不尽な不幸により職場を移らざるを得ない状況に追い込まれてきた。

理由は大幅な人件費削減や、決まりかけていた枠に県議会議員のコネにより新人がねじ込まれるといったことがこのところ続いていた。

今回こそと思っていた矢先、いわゆる嫉妬によりあの噂を流されてしまう。

 音無光平は子供相手の対応がうまく、保護者から光平に見てもらいたいという希望が多かったこともプライドの高い上司や同僚たちの嫉妬心を燃え上がらせる結果になったようだ。

 言語聴覚士とは、言語障害の患者さんたちに医師の指示の元、言語訓練を行いコミュケーション能力の改善を手助けする職業である。

 光平は特に小児全般、言語発達遅滞や難聴療育、発音障害(構音障害)を得意としあっという間に子供たちと仲良くなってしまうことで母親からの信頼が非常に高った。

多くの母親たちは光平に同情的でそんな噂を信じている人はいないと抗議までしてくれたのだが、評判に関わると調査もせずに解雇となってしまった。

 どこの業界でも似た状況なのかもしれないが、ほとんどは善良で技術知識の研鑽を惜しまぬ立派な人々ではあり、変人を引き当ててしまう習性のある光平はごく僅かな人格破綻者たちに苦しめられてきたのだ。

本来であれば労基や人権救済機関への申し立てなども考えられたであろうが、光平は既に生きる気力を失いかけていた。

 がんばればがんばるほど、身を立てる道が閉ざされ今度は児童ポルノ所持者の疑いをかけられ社会的に抹殺されそうになっている。耐えきれぬほどの濡れ衣は、怒りや憎しみを通り越し絶望で生きる気力を根こそぎ奪い去った。

「死んじゃおうかな……」

実際のところは死ぬための余力を振り絞り集める気力さえ尽きかけていたというのが、正しい分析だったのかもしれない。

 ただぼーっと寝転がって数日を過ごしていた頃、枕元に転がっていたスマホがぶるぶると震える。

どうせ豪雨か何かの注意報だろうと、しばらく鳴り続けるため惰性で手に取ってみると……

養成校時代から何かと気にかけてくれる先輩からの電話だった。

「はい、」

< 音無か、話聞いてるぞ。あいかわらずお前はついてないというか、まあとりあえず暇だろうから明日、澤村研究室まで来てくれ >

「いやですよ、もうどうでもいいです」

< お前のST (言語聴覚士の略称 スピーチセラピスト ) への道は俺が繋げてやるから安心してくれ。とりあえずそのためにも明日顔を出せや >

「澤村研究室って東都大の?」

< そうだじゃあな、お前にしか頼めないケースだ >

 強引で面倒見が良い先輩だから、断り切れない。

実際あの人がいなければ自分はとっくにこの仕事を辞めていただろう。多くは善良で使命感に燃える立派な人たちが多いのだが、なぜか自分の周りだけは変人や外道な連中が集まってくる。

人間関係をうまくやろうと努力もしたが、こちらの意図などお構いなしに奴らは追い詰め苦しみに歓喜する。
死ぬのは先輩に会ってからでもいいか、などと軽い気持ちで研究室へ向かったのが運命の分かれ道であった。


 新宿から地下鉄に乗り換え東都大の研究棟へと向かう。昨日は奇妙な夢を見たため寝つきが悪く、朝の3時から結局起きたままだった。
ブルゾンにトレーナーとジーパンという光平らしい飾り気のない服装。

スニーカーは卸したての新品にしてみたが、スーツ姿のほうが良かっただろうか? 研究棟のエレベーターに乗り5階で降りると、大学病院らしいひんやりとした雰囲気の漂うリノリウムの光沢が虚しく光っている。そんな廊下に顔を出した宗像先輩が学生を連れて現れた。

「音無! ちょうど良かった。これから対象ケースに会うからお前さんちょっと来てくれ」

最初に相談したかったのに、なんで学生がいるんだ。

その学生たちも、無名であまり冴えない光平を見て値踏みし愛想を振りまく価値がないと判断したのだろう。宗像先輩の後に続いて談笑を始めていた。

はいはい、そうですよねと気に留める感傷さえ見せず、光平は宗像先輩が指をさした訓練室の前で立ち止まった。

「俺たちは隣のモニタールームで観察してるからさ、音無は中にいる子の観察評価をしてくれ。身元が分かる情報が引き出せたら尚良し」

「いきなりいいんですか? 変な噂を立てられた人物なんですよ」

「お前はそんなこと絶対にしない。子供を傷つけるぐらいな自分で死ぬことを選ぶだろ?」

「……んでなんで僕なんです?」

 訓練室の中にいるのは保護された子供らしく、身元不明でまったく情報がないため聞き出すように警察に依頼されたケースだった。

だが子供から情報を聞き出そうと保護室へ入ったとたん、30秒もたたずにベテラン小児科医から精神科医、小児科病棟の看護師、保育士、その他思いつく限りの専門職に依頼したが逃げすように部屋から出てきたという。

「それってお祓いとかそういう案件なんじゃ」

「だから澤村先生がな、お前に見せてだめなら拝み屋を頼むって」

「まったくもう、交通費ぐらい出してくださいよ。今金欠なんですから」

「夕飯に牛丼おごってやるから」

「学生じゃないんだからまったく」

そう言いつつも、気遣ってくれる宗像の気持ちは痛いほどうれしかった。
なんとかなるさ、してやるさ、という気概を発することで自分を勇気づけてくれていたのだということはすぐに分かった。
だからせめて、みんなが逃げ帰ったという子供に対し少しでも気晴らしになる時間を提供してあげたいなと、素直に思ったのだ。

 スニーカーとブルゾンを脱ぎ保護されている訓練室へ上がると、奥で座っていたのは5歳前後の女の子だった。
見慣れぬローブ? のような服を着ており、劇用の衣装を気に入って身に着けているのだろうと考えた。

それが最も合理的な見解だと思う。

 日本人離れした煌めくライトブラウンの髪が腰の辺りまで伸び、その時考えれば髪の長さが異常であることに何故気付かなかったのだろう?

長い前髪の奥から覗くのはやたら力強い視線で、光平を突き刺すような鋭い目力で見つめている。

あっこの子は知的障害がないタイプだなと、直感的に感じた光平は目の前のローテーブルにあった画用紙に、自分の顔を空腹で困っている人々に与える本物のヒーローの顔を描き始めた。

 その後はメロンパンをモチーフにしたキャラを慣れた手つきで描き始めていく。

どうして子供に向き合わないのか、と思われても仕方がないが大人を警戒するタイプの子はこういった搦手で攻めるほうが反応を引き出しやすかったりする。

 案の定、あの子が光平の膝の上にちょこんと座り、最初に描いた絵を手に取って眺めていた。

「我はこちらのほうが好みであるな」

!?

助詞の使い方も完璧で、アニメやCMのセリフを覚えた類の発語ではなく、意思の籠った表出であることを瞬時に見抜く。

「ほう、今までの奴らとは覚悟も責任感も、実力も段違いであるな。それに……よしお主に決めたぞ」

「え? き、決める?」

「我が名はニル・リーサ……どうせお主に優しくなかった世界じゃ、未練はあるまい」

小さな指が光平の額に触れた瞬間、意識は吹き飛び、保護室にいた二人の姿は掻き消えていた。

「あの宗像先生、私たちどうしてここにいるんですか?」

「……あれ? 何でだっけ?」

音無光平の存在と、存在した記憶が、世界から消えた瞬間でもあった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

【運命鑑定】で拾った訳あり美少女たち、SSS級に覚醒させたら俺への好感度がカンスト!? ~追放軍師、最強パーティ(全員嫁候補)と甘々ライフ~

月城 友麻
ファンタジー
『お前みたいな無能、最初から要らなかった』 恋人に裏切られ、仲間に陥れられ、家族に見捨てられた。 戦闘力ゼロの鑑定士レオンは、ある日全てを失った――――。 だが、絶望の底で覚醒したのは――未来が視える神スキル【運命鑑定】 導かれるまま向かった路地裏で出会ったのは、世界に見捨てられた四人の少女たち。 「……あんたも、どうせ私を利用するんでしょ」 「誰も本当の私なんて見てくれない」 「私の力は……人を傷つけるだけ」 「ボクは、誰かの『商品』なんかじゃない」 傷だらけで、誰にも才能を認められず、絶望していた彼女たち。 しかしレオンの【運命鑑定】は見抜いていた。 ――彼女たちの潜在能力は、全員SSS級。 「君たちを、大陸最強にプロデュースする」 「「「「……はぁ!?」」」」 落ちこぼれ軍師と、訳あり美少女たちの逆転劇が始まる。 俺を捨てた奴らが土下座してきても――もう遅い。 ◆爽快ざまぁ×美少女育成×成り上がりファンタジー、ここに開幕!

勇者召喚に巻き込まれ、異世界転移・貰えたスキルも鑑定だけ・・・・だけど、何かあるはず!

よっしぃ
ファンタジー
9月11日、12日、ファンタジー部門2位達成中です! 僕はもうすぐ25歳になる常山 順平 24歳。 つねやま  じゅんぺいと読む。 何処にでもいる普通のサラリーマン。 仕事帰りの電車で、吊革に捕まりうつらうつらしていると・・・・ 突然気分が悪くなり、倒れそうになる。 周りを見ると、周りの人々もどんどん倒れている。明らかな異常事態。 何が起こったか分からないまま、気を失う。 気が付けば電車ではなく、どこかの建物。 周りにも人が倒れている。 僕と同じようなリーマンから、数人の女子高生や男子学生、仕事帰りの若い女性や、定年近いおっさんとか。 気が付けば誰かがしゃべってる。 どうやらよくある勇者召喚とやらが行われ、たまたま僕は異世界転移に巻き込まれたようだ。 そして・・・・帰るには、魔王を倒してもらう必要がある・・・・と。 想定外の人数がやって来たらしく、渡すギフト・・・・スキルらしいけど、それも数が限られていて、勇者として召喚した人以外、つまり巻き込まれて転移したその他大勢は、1人1つのギフト?スキルを。あとは支度金と装備一式を渡されるらしい。 どうしても無理な人は、戻ってきたら面倒を見ると。 一方的だが、日本に戻るには、勇者が魔王を倒すしかなく、それを待つのもよし、自ら勇者に協力するもよし・・・・ ですが、ここで問題が。 スキルやギフトにはそれぞれランク、格、強さがバラバラで・・・・ より良いスキルは早い者勝ち。 我も我もと群がる人々。 そんな中突き飛ばされて倒れる1人の女性が。 僕はその女性を助け・・・同じように突き飛ばされ、またもや気を失う。 気が付けば2人だけになっていて・・・・ スキルも2つしか残っていない。 一つは鑑定。 もう一つは家事全般。 両方とも微妙だ・・・・ 彼女の名は才村 友郁 さいむら ゆか。 23歳。 今年社会人になりたて。 取り残された2人が、すったもんだで生き残り、最終的には成り上がるお話。

猫好きのぼっちおじさん、招かれた異世界で気ままに【亜空間倉庫】で移動販売を始める

遥風 かずら
ファンタジー
【HOTランキング1位作品(9月2週目)】 猫好きを公言する独身おじさん麦山湯治(49)は商売で使っているキッチンカーを車検に出し、常連カードの更新も兼ねていつもの猫カフェに来ていた。猫カフェの一番人気かつ美人トラ猫のコムギに特に好かれており、湯治が声をかけなくても、自発的に膝に乗ってきては抱っこを要求されるほどの猫好き上級者でもあった。 そんないつものもふもふタイム中、スタッフに信頼されている湯治は他の客がいないこともあって、数分ほど猫たちの見守りを頼まれる。二つ返事で猫たちに温かい眼差しを向ける湯治。そんな時、コムギに手招きをされた湯治は細長い廊下をついて歩く。おかしいと感じながら延々と続く長い廊下を進んだ湯治だったが、コムギが突然湯治の顔をめがけて引き返してくる。怒ることのない湯治がコムギを顔から離して目を開けると、そこは猫カフェではなくのどかな厩舎の中。 まるで招かれるように異世界に降り立った湯治は、好きな猫と一緒に生きることを目指して外に向かうのだった。

家ごと異世界転移〜異世界来ちゃったけど快適に暮らします〜

奥野細道
ファンタジー
都内の2LDKマンションで暮らす30代独身の会社員、田中健太はある夜突然家ごと広大な森と異世界の空が広がるファンタジー世界へと転移してしまう。 パニックに陥りながらも、彼は自身の平凡なマンションが異世界においてとんでもないチート能力を発揮することを発見する。冷蔵庫は地球上のあらゆる食材を無限に生成し、最高の鮮度を保つ「無限の食料庫」となり、リビングのテレビは異世界の情報をリアルタイムで受信・翻訳する「異世界情報端末」として機能。さらに、お風呂の湯はどんな傷も癒す「万能治癒の湯」となり、ベランダは瞬時に植物を成長させる「魔力活性化菜園」に。 健太はこれらの能力を駆使して、食料や情報を確保し、異世界の人たちを助けながら安全な拠点を築いていく。

ぽっちゃり女子の異世界人生

猫目 しの
ファンタジー
大抵のトリップ&転生小説は……。 最強主人公はイケメンでハーレム。 脇役&巻き込まれ主人公はフツメンフツメン言いながらも実はイケメンでモテる。 落ちこぼれ主人公は可愛い系が多い。 =主人公は男でも女でも顔が良い。 そして、ハンパなく強い。 そんな常識いりませんっ。 私はぽっちゃりだけど普通に生きていたい。   【エブリスタや小説家になろうにも掲載してます】

辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました

腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。 しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。

処理中です...