聖典の守護者

らむか

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三章 異次元秘密聖文書館

己の魂と対峙せよ

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 最前列の最端の観覧席に座るルクレツィアは、額縁舞台に吊り下げられた巨大なスクリーンに吸い込まれるように魅入っていた。

 グレムリンはそっと隣に腰を下ろし、振り返って自動人形オートマータの位置を確認した。
 客席の間の通路の丁度真ん中で立ち止まっている。360度見渡せる場所だ。

 赤い絨毯に赤い観覧席、赤くライトアップされた大規模な劇場内では視界に入る全てが赤みがかり、その中に溶け込んだ赤いドレスのルクレツィアを見つけるのは骨が折れた。
 しかし、確信を持ったグレムリンに迷いはなかった。

 巨大なスクリーンに映し出されたホームビデオの映像は、引き伸ばされ擦り切れて途切れがちだった。

「ああ! あれは僕だ!」

 グレムリンは思わず声を出した。
 プロジェクタースクリーンに、自分が映し出されている。
 十数年前、所用のためストレイファス将軍の邸宅に訪問した時の映像だった。
 グレムリンは玄関先で将軍と上品な奥方に挨拶をしている。
 将軍の傍らには将軍のズボンをつかみながら訪問客に好奇の目を向ける小さなルクレツィアがいた。

 小さなルクレツィアはおてんばで、じっとしていることがなかった。
 グレムリンが持参した手土産を引ったくって、広いリビングを走り回る。
 グレムリンは追いかけるが追い付かず、奥方に助けを求める視線を投げる。
 将軍はそんな様子を見て、身体を仰け反らせて笑っている。
 音声があるならば、きっと割れ鐘のような大音声が劇場中に響き渡っただろう。

 大規模なプロセニアム・シアターで、巨大なプロジェクタースクリーンから、そんな、どこにでもある他愛のないホームビデオが延々と垂れ流されていた。

「わたしを覚えていたのね」

 スクリーンから目を離さぬまま、ルクレツィアは、(わたしは忘れていたのに)と続きそうな口ぶりで呟いた。
「沈みそうな船の上で、一目でわたしだとわかった?」
 グレムリンはその質問には答えず、スクリーンを指差した。

「見てください! 小茶彪こちゃとら君です!」

 美しく成長したルクレツィアの前に、あどけない顔をした若い男が立っている映像へと切り替わった。
 若者は、ルクレツィアを前にして緊張しているのか、ぎこちない様子で何やら話している。
 ルクレツィアはそんな若者を一瞥し、短い返事をしたかと思うと、踵を返してすたすたと歩き出しフレームアウトした。

 木漏れ日の降り注ぐ庭園に一人取り残された若者は、木陰に腰を下ろし、膝を抱えて顔を埋めた。
 若者の柔らかなブラウンの髪を緑陰を渡る風が揺らす。
 まるでサイレント映画を観ているようだ。

小茶彪こちゃとら……」ルクレツィアは歯軋りをするように呟いた。
「そういえば、小茶彪こちゃとら君。騎士見習いスクワイアの試験には合格したのですか?」
 グレムリンは懐かしむあまり小茶彪こちゃとらの近況を何気に訊ねたが、ルクレツィアは拳を握り、映像の中の膝を抱えた若者を睨むと一息に捲し立てた。

「受かったわ! 三度目でやっと! やっと騎士“見習い”よ。“見習い”なんて……。いつ騎士ナイトになれるの!? 二度も落ちたからてっきり放逐されるかもと思ったけど、お父様はそうしなかった。地位も名誉もない、愚図でノロマでうだつの上がらないひ弱なヤツ。ちょっと冷たく当たったらメソメソ泣いて、言い返す根性もない。そのくせ、家中を四六時中付いて回るし、目の前をうろうろして目障りったらないわ」
 グレムリンは激昂するルクレツィアに笑顔を向けた。
「相変わらずですね」

 映像は再び変化し、ルクレツィアの買い物に付き合わされている小茶彪こちゃとら、一人剣術の習練に励む小茶彪こちゃとら、ストレイファス将軍が遠乗りのため、大型のハンターに乗馬するのを手助けする小茶彪こちゃとら、狩りに付き従う小茶彪こちゃとらと、コマ割りのように映像から切り取られた場面が、目が痛くなるほどの速さで次々と映し出されていた。

小茶彪こちゃとら君は将来有望の青年に成長しつつあります。この映像を見てもわかります。でなければ、あのストレイファス将軍が……あなたのお父上がそばに置いておくはずがありません。養子ではありますが、嫡子として家督を継ぐに値する立派な青年になるでしょう」

 ルクレツィアはグレムリンの言葉に虚を衝かれて閉口した。

「嫡子……?」

 ルクレツィアには兄弟がおらず、一人っ子だった。
 タオルにくるまれ通りに捨てられていた赤子の小茶彪こちゃとらを将軍が連れ帰って来たときは、弟ができたのかと勘違いをして大喜びし、拾い子だと知った時はひどくがっかりした。
 それからずっと一緒に育ったきた。

「沈みそうな船の上で」
 グレムリンはルクレツィアの茶色の瞳を真っ直ぐに見つめながら言葉を続けた。
「一目であなただとわかりました。あなたは5歳の頃と何も変わっていませんでした。見た目は本当にお美しく成長されましたが、内面は幼い頃のまま、おてんばで目立ちたがり屋でわがまま」
 グレムリンは額の大きな絆創膏に手を当て、意地悪な笑顔を作った。
暗号基盤サイファー・ベースは、あなたというバグを排除修正するために、異世界へ転送した。どうやらここは、異世界というか、あなたの精神世界のようですね。スクリーンに映っているのはどれもあなたの思い出ばかりです」

 小茶彪こちゃとらばかりが映し出される画面へ、二人は同時に視線を向けた。

 今、ルクレツィアと小茶彪こちゃとらは装飾を凝らした冬の庭園を並んで歩いていた。
 小茶彪こちゃとらはルクレツィアの手が冷たくならぬよう、自身の上等なクロークの脇に挟み込んでいる。
 絵画のように整えられた生垣や草木のある芝地を抜け、イチイの木陰にある石のベンチへ向かう。
「ルーシー」ルクレツィアは、映像に重なるようにセリフをつけた。

 小茶彪こちゃとらが、石のベンチを勧める。
 映像の中のルクレツィアはつんと顎を上げる。
「濡れていて座れないわ」ルクレツィアがセリフを吐く。
 小茶彪こちゃとらはすかさず自身の豪華なクロークの胸ポケットから絹のハンカチをさっと取り出すと、石のベンチに敷いた。
「これでいい」ルクレツィアが小茶彪こちゃとらに代わって言う。
 映像の中のルクレツィアはかぶりを振るとプイッとそっぽを向いた。
「ハンカチじゃ冷えてしまうわ」
 小茶彪こちゃとらは、迷いなく急いで上着を脱ぐと、ハンカチを取り上げ、代わりに上等なクロークを石のベンチに敷いた。
 ルクレツィアはその上に躊躇なく座り、隣に遠慮がちに座る小茶彪こちゃとらの脇の下へ当然のように手を差し入れた。
「あなたはわたしを温める係りよ」

 そこで画面はフリーズし、ルクレツィアの言葉は詰まった。
「なぜ泣くのです?」
 グレムリンは慌てた。
「泣いてないわ」ルクレツィアは頬を流れる涙を無視して言った。
「熱を出して……寝込んでも彼がそばにいてくれた。お母様は宮廷の動向に夢中で、あまり構ってはくれなかった。お父様はもちろん軍務にかかりきりで。わたしが熱を出したら、彼は熱冷まし役。わたしが、お腹がすいたと言ったら、彼は炊事役。いつもそばに控える彼を当たり前と思って、気にも掛けなかった。今思えば、世間体を気にしていたのは、わたしよ。お友達よりも良い縁談に巡り会うように、躍起になっていたのはわたし。こんなに身近にわたしを想ってくれている人が居たのに」

「居たのに?」グレムリンはきょとんとして聞き返した。
「なぜ過去形なんです?」

 ルクレツィアは頬を伝い落ちる涙の滴を白い手の甲で振り払うと、スクリーンに映し出された小茶彪こちゃとらの顔を凝視しながら毅然と答えた。

「わたしは、小茶彪の前でお見合いだなんだとお父様をせっついていたのよ。彼の気持ちを知っていながら。きっと侮辱されたと思うでしょう。そんな女を愛し続ける男がこの世にいる?」
 なんだそんなことか、と言わんばかりにグレムリンは華奢な肩をすくめた。
「小茶彪君は普通の男ではありません。家に戻らないあたなを一番心配しているのは彼です。疑うのなら早急にここを出て確かめに戻りましょう」

 ルクレツィアはこじんまりと隣に座るグレムリンを初めて見るかのように上から下まで眺め回した。
 わすが齢15、6歳の黒ずくめの少年の姿に、どこか諦念を得た老成円熟した雰囲気を感じ取った。
「グレムリン、あなたは人の心が読めるの? なぜそう言い切れるの?」
「まさか。人の心なんて読めません。わたしは人よりも長く生きていますので、人生の機微に敏感なだけです」
 そう断言するグレムリンを見て、ルクレツィアは諦め半分に述べた。
「ありがとう。なんだか前向きな気分になってきたわ。でも、わたしはここからは出られない」

「出れますよ」

「何度も試したわ。あの劇場扉は内側からは開けられなかった。わたしはここで追憶を辿りながら後悔の念に押し潰されるか、餓死するのを待つだけ」
 グレムリンはルクレツィアの手を取った。
 沈みそうな船の上で、手を取った時と同じように。

「出れますよ。わたしに任せて」
 二人は観覧席から立ち上がると、自動人形オートマータのいる通路へ急いで向かった。
 急角度の階段を上がり通路の半ばに立つ自動人形オートマータの元へ辿り着いたとき、地軸が揺れ傾くような大音響が劇場内を震わせた。

 額縁舞台に吊り下げられたプロジェクタースクリーンがひびのはいったガラスのような音を立てたかと思うと、鎖を立ちきるように砕け散り、その向こうから絡み合う黒い物体が転がり出てきた。

 舞台と前列の観覧席の大半をなぎ倒し、粉塵を撒き散らしながら転がる二体の物体は、一方はいかづち息吹ブレスを吐き、もう一方は双頭の口から青白い炎を吐いている。

「グラファイト!?」グレムリンは振り返って双頭の犬オルトロスと対峙するドラゴングラファイトを見た。
 たてがみ一本一本と尻尾が蛇になっているオルトロスはグラファイトの首を狙ってトリッキーに動く。
 グラファイトの連れた自動人形オートマータが巨大なコンパウンドボウで応戦している。
 それを見た魔法の杖を持つグレムリンの自動人形オートマータが反応した。
 杖の先に付いた魔法の珠から紅く燃える炎の塊が出現し、双頭の犬オルトロス目掛けて飛んでいく。

 グレムリンは怪訝に思った。
 オルトロスごときに遅れを取るグラファイトではない。
 しかし、二体の自動人形オートマータの援護が必要な理由を把握するのにわすがな時間も要しなかった。

 グラファイトの手の中に白い小さな毛玉が見えた。
 相手の攻撃からはもちろん、自身の強靭な爪と握力からもその小さな命を守ることに気を使っているため、本領が発揮できないでいた。

「あのバカ」グレムリンは一人ごちた。
「ちょっと! ここはわたしの精神世界なのよ! 壊さないでよ!」
 ルクレツィアは腕を振り上げて抗議したが、グレムリンはその手を引寄せ劇場扉へ引っ張るようにして走った。
 扉は簡単に開いた。
「ドラゴンは!? 彼は大丈夫なの?」
 ルクレツィアは振り返りさまに叫んだ。
「あいつは大丈夫。じきに出てきますよ」

 狭い洞窟のような通路を二人は走った。
 グレムリンは脱出の安堵と同時に、胸中を駆け巡る忸怩たる思いにしばし苛まれた。
 しかし、異世界へのゲートを抜ける頃にはその思いを払拭した。
 命よりも大切なものはないのだから、と。
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